十二、胃袋掌握〈二〉

 翌日、宵珉シャオミン苓舜レイシュンに朝餉を振る舞うことにした。昨夜思い付いた、【胃袋を掴んで好感度を上げよう作戦】を決行するのだ。

 この世界において宵珉シャオミンはいわばチーター。分厚い攻略本や解説本を見なくとも、大体のことは分かる。もちろん、苓舜レイシュンの好みだって。


苓舜レイシュンは豆が好きなんだよな〜)


 宵珉シャオミンは自分が考えた苓舜レイシュンの好みを思い返し、レシピを考えながら台所へ向かう。


「げっ、梦陽モンヤン……!」

「は、宵珉シャオミン!?」


 台所に着くと、どうも見覚えのある少年が鍋を使っていた。それは、寝間着に髪を下ろした状態の梦陽モンヤンである。


「何しに来たんだよ」

「朝メシ。ちょっと隣空けてくんね?」

「はぁ? 俺が最初に使ってたんだぞ!」

「まぁまぁ、同輩なんだしいーじゃん!」


 突っかかってくる梦陽モンヤンを押し切り、彼の隣に割り込む。梦陽モンヤンは文句をいいつつも、宵珉シャオミンの場所を空けてくれた。


「なっ……その腕、そんなに酷かったのか……!?」

「ん?」


 どうやら、梦陽モンヤン宵珉シャオミンの右腕に巻かれた包帯を見つけたようだった。眉をしかめて凝視している。


「あーいや、大したことないんだけど、ちょっと血が出てたから」

「血……」


 梦陽モンヤンはますます険しい表情になる。そして、なにやら黙り込んでしまった。


梦陽モンヤンよ、気にしないでくれ。あれは俺が悪かったんだから……!)


 宵珉シャオミンは気まずい気持ちになりつつも、食材をざるに集める。苓舜の胃袋掌握作戦のキーアイテムは"鹹豆漿シェントウジャン"だ。


(豆腐と搾菜ザーサイ、胡麻、青葱、香菜……っと)


 宵珉シャオミンは難なくお目当ての食材を入手する。

 リン派の台所は食材豊富だ。肉はないがその他は色々揃えられている。というのも、食材や薪が減ってきたら、下っ端の弟子が収穫しに行くからである。


(俺も気が向いたらやっておこう)


 おそらく阿珉アーミンは、こういった雑用もサボっていたに違いない。

 そんなことを考えていると、梦陽モンヤンから「宵珉シャオミン」と声をかけられる。


「どうしたー?」

「……これやる」


 梦陽モンヤンはそう言って、大きく丸い包子パオズ宵珉シャオミンに差し出した。


「え?」


 宵珉シャオミンは困惑して梦陽モンヤンを見上げるが、彼はなぜか顔を背けている。


「ほら、受け取れよ」

「えっと、ありがと……?」


 引きそうにない梦陽モンヤンに、宵珉シャオミンは礼を言って包子パオズを受け取る。


(こ、これは一体!? 梦陽モンヤンが俺にものをくれるなんて……!)

 

 宵珉シャオミン包子パオズを手に動揺している間に、梦陽モンヤンは朝食を抱えて部屋を出て行ってしまう。


「お、おーい! 梦陽モンヤンさーん……!」


 取り残された宵珉シャオミンはこのホカホカの包子パオズの意味を考える。


「はっ!」


 そして、変なところで勘がいい宵珉シャオミンは気づいてしまった。


梦陽モンヤンのやつ、可愛いところもあるじゃないか!)


 宵珉シャオミンの腕の傷を見て険しくなった表情、包子パオズをくれる際に見えた紅い耳朶。


(ふふん、俺に罪悪感を覚えて、これをくれたってわけだな……!)


 怪我をさせてしまった罪悪感がある。しかし、謝るのは癪に障る。

 梦陽モンヤンはその葛藤の末に、手作りの包子パオズ宵珉シャオミンにくれたのだろう。


「ふふ、これは俺のおやつにしよう」


 宵珉シャオミン包子パオズを紙に包んで懐にしまった。


 そして、一人になった台所で、苓舜レイシュンに振る舞う朝餉作りを始めたのだった。


◇◇◇


レイ師兄〜!」


 宵珉シャオミンは浮かれた調子で鼻歌を歌いながら、苓舜レイシュンの部屋まで朝食を運ぶ。


「弟弟子の宵珉シャオミンです。一緒にご飯を食べませんか?」


 部屋の入口から苓舜レイシュンに声をかける。

 すると、既に身なりの整った苓舜レイシュンがこちらまで歩いてきた。


「突然どうした」

「その、昨日のお礼をしたくて……」

「それで、朝餉を?」

「はい! やっぱり、ご飯って一緒に食べた方が美味しいですし……」


 宵珉シャオミンは健気な弟弟子を装い、苓舜レイシュンを上目遣いに見る。


(成人男性がもじもじしているのは少々気味が悪いが、今は可憐な美少年だ! いける!)


 宵珉シャオミンが内心勝利を確信していると、苓舜レイシュンはお盆の上の茶碗を見て、僅かに眉を上げた。


「もしや、君が作ったのか」

「はい!」


 宵珉シャオミンはこくりと頷く。

 すると、苓舜レイシュンは「入りなさい」と言って、部屋の中へ案内してくれる。


「隣に」

「はい」


 宵珉シャオミンは茶碗を長机に並べてから、苓舜レイシュンの隣に立つ。


鹹豆漿シャントウジャンです。豆腐から豆漿を作り、出汁と酢を交ぜて煮詰め、搾菜ザーサイなどを合わせました! 汁物として朝食にちょうど良いかと」

「……うん、とてもいい香りだ」


 そうだろう、そうだろう。微かに口角を上げる苓舜レイシュンを見て、宵珉シャオミンは自信満々に胸を張る。


「師兄、冷めないうちにどうぞ召し上がってください!」

「では頂こう。……ほら、君も座りなさい。"一緒に食べた方が美味しい"のだろう?」

「は、はい!」


 宵珉シャオミンはそっと苓舜レイシュンの隣に座る。


(ずるいぞ苓舜レイシュン……!!)


 流れるようなイケメンムーブにまたしても、宵珉シャオミンは撃ち抜かれてしまった。


「私好みだ」


 苓舜レイシュンは汁を一口飲み、感嘆の息を漏らす。そして、次々と飲み進める。

 宵珉シャオミンは嬉しくなって、だらしない笑みを浮かべながら、自分の鹹豆漿シャントウジャンを飲み干した。


宵珉シャオミン、やはり、私と会ったことがあるだろう?」

「へ?」


 飲み終えたところで、苓舜レイシュンは突然そんなことを尋ねてくる。その表情は読めない。


(この前の、仙人様のことか……?)


 依然として心当たりのない宵珉シャオミンは、「いえ……」と首を横に振る。

 すると、苓舜は「そうか」と頷き、顎に手を添えてなにかを考える素振りを見せる。


(なにを考えてるんだ……?)


 やがて、苓舜レイシュンは「宵珉シャオミン」と呼んで、宵珉シャオミンの顔を見つめる。


(ん……?)


 そして苓舜レイシュン宵珉シャオミンの首の後ろに手を伸ばして、宵珉シャオミンの緩んだ髪紐を解いた。艶やかな黒髪がふわりと広がり、背に溢れる。


「し、師兄……!?」


 宵珉シャオミンは突然のことに固まって動けない。

 対して、苓舜レイシュン宵珉シャオミンの艶髪をさらりと撫でた。そして、真剣な表情で宵珉を見つめる。

 しばしの沈黙の後、苓舜レイシュンは髪から手を離した。


「とても美味だった。ありがとう」


 そして、苓舜レイシュンは立ち上がり、宵珉シャオミンに礼を言う。その表情はいつもの涼し気な澄まし顔だ。


(え、はっ!? 苓舜レイシュンって、こんなキザなことするキャラだった!? 清純硬派じゃなかったっけ!? 俺の心臓が持たない……!)


 そんな苓舜レイシュンに対して、宵珉シャオミンの内心は荒ぶりまくりであった。胸を押えつつ、なんとか「よかったです」と返事をして立ち上がる。


「明日は課外演習だ。今日は身体を鎮めて演習に備えなさい」

「はいぃ……」


 平然とした苓舜レイシュンに対して、宵珉シャオミンは腑抜けた返事を返し、空の茶碗を持ってふらふらと部屋を出ていく。


(なんか俺、苓舜レイシュンに振り回されっぱなしじゃね……!?)


 宵珉シャオミン苓舜レイシュンを堕とすつもりだったのに、むしろ堕とさている気がする。苓舜レイシュンの意図が分からない。


(でも喜んでくれたみたいだし、上手くいった気がするぞ……!)


 宵珉シャオミンはるんるんと上機嫌で台所へ戻っていくのであった。

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