三、思案

 宵珉シャオミンは必死に思考を巡らせて、死を回避する方法を考える。

 せっかく理想の世界に目覚めたのだから、思う存分堪能したいし、華琉の恋路を見届けたい。


(……おそらく、この座学は阿珉アーミンが死ぬ洞天仙会から約半年前だ)


 『桔梗仙郷伝』の三章辺りで、【華琉ホァリウたち新米弟子が、師兄である苓舜レイシュンの座学を受ける】という場面を書いた覚えがある。


 前提として、今この書院に座っている華琉ホァリウたちは数十年に一度の修仙者選抜に合格し、俗世からリン派の仙郷へと迎え入れられた新入り弟子だ。


 そして、この座学は洞天仙会に向けてのもので、華琉ホァリウの合格から半年後であると推測する。

 もう既に、主人公・晏ユェンツェイ華琉ホァリウの【初めての出会いイベント】を終えているはずである。


(このままリン派を逃げ出して、洞天仙会への出場を避ければ、俺は死なずに済む……)


 しかし、宵珉シャオミンは洞天仙会から逃げるという選択を取ることはできない。

 何故なら、宵珉シャオミンが庇わなければ華琉ホァリウが死んでしまう上に、あの洞天仙会イベントがなければ、晏崔ユェンツェイ華琉ホァリウの心が近づかないからである……!


華琉ホァリウが死ぬなんて嫌だ! 絶対に死なせない! けど、晏崔ユェンツェイ華琉ホァリウの二人がくっつくのを見届けるまで、俺も死ねない……!)


 華琉ホァリウはツンケンして見えるが、実際は誰よりも心優しい。

 阿珉アーミンに対して厳しい言葉を投げかけることもあるが、それは、真面目に修行しない阿珉アーミンの将来を心配しているからだ。


 また、華琉ホァリウ晏崔ユェンツェイに負けても、愚痴や不平を漏らすことはない。

 心の中では晏崔ユェンツェイを認めており、彼に追いつけるように日々努力を重ねている。華琉ホァリウは誰よりも努力家で一生懸命なのである。


(そんなの、愛おしくないわけないだろう……)


 華琉ホァリウも自分で考えたキャラであることを思い出せば虚しくなるかもしれないが、今は違う。実際に隣で息をしているのだから、虚しさなどは感じない。


(なんて素晴らしい世界! 転生、ありがとう!)


 数分の脳内会議を経て出た結論は、【洞天仙会の死亡イベントは絶対に発生させなければならないが、かといって自分も死にたくない】というものである。


 方針が固まったので、今度は自分が死ぬのを防ぐ実際の方法を考えなければならない。

 それは単純だ。奈落に落ちても妖魔に食われないほど強くなればいい。


(でもたしか、奈落の底にいる妖魔は、餐喰散サンハンザンだ……! 最悪っ!)


 もう泣きたい。方法は単純だが、全くもって簡単ではない。


 これはなんという試練だろうか。

 阿珉アーミンを殺す妖魔は、黑熾ヘイチー山に住まう"極悪非道"の頭首・餐喰散サンハンザンであった。

 餐喰散サンハンザンは巨躯で、禍々しい妖術を用いる上級ランクの妖魔だ。阿珉アーミンには絶ッ対に勝てるはずのない相手である。それはもう、絶ッッッ対に!


 とはいえ、宵珉シャオミンは『桔梗仙郷伝』の作者であるから、餐喰散サンハンザンを倒す必勝法を知っている。


(でも、それを実践できなければ話にならない……!)


 この先に続く茨の道が想像され、宵珉シャオミンはますます頭を抱える。


「今日はここまで。各々復習し、精神統一をして霊力を蓄えること」


 そんな中、いつの間にか座学が終了したようで、苓舜レイシュンが解散の合図を出した。

 すると、それまで静かだった弟子たちが今日の座学について語り出し、書院が賑やかになる。


宵珉シャオミン


 頭を使い過ぎて疲れ果てた宵珉シャオミンの席に、苓舜レイシュンが近づいてきた。

 宵珉シャオミン苓舜レイシュンの端正な顔をぼうっと見上げる。


「食事を摂ったら、私の部屋に来なさい」

「はぁい」


 食事の後だなんて、随分とお優しい男だ。

 宵珉シャオミンは腑抜けた返事を返してしまうが、苓舜レイシュンはそれを気にも止めず、芍薬のようにさらりと書院を去っていった。


宵珉シャオミン! 今日も師兄の話を聞いていなかっただろ。ちゃんと修行しないと突破できないぞ!」


 今度は華琉ホァリウが、大きな目と眉を吊り上げて宵珉に小言を言う。突破とは、修行段階のレベルアップのことだろう。


「はいはーい、わかったよ」


 宵珉シャオミンはひらひらと手を振って生返事をするが、その内心は決意で固められていた。


華琉ホァリウよ。原作の阿珉アーミンはダメダメだったが、俺が転生したからには、ちゃんとするから安心してくれ!)


 命にかえても華琉ホァリウは守ってみせる。そして、自分の命も守る…!


「本当に分かったのか……? まあいい。今夜は師兄にみっちり扱かれるんだな!」


 華琉ホァリウ宵珉シャオミンに向かってそう言い放ち、身を翻して書院から出ていく。これから宿舎に戻るのだろう。


「ちょ、華琉ホァリウ! 置いてかないで!」

「はぁ? 着いてくるな! 俺は怒ってんだからな!」

「やだー」


 宵珉シャオミンは慌てて華琉ホァリウの後ろに着いていく。まずはリン派の仙居を把握しないと始まらない。


 華琉ホァリウは口ではつれないことを言いながらも、宵珉シャオミンを追い払おうとはしなかった。

 そして、道中は口をきいてくれなかったが、宿舎に着くと「……明日はちゃんとやるんだぞ!」と言って部屋に入っていった。


 宵珉シャオミンの部屋は華琉ホァリウの隣である。リン派は裕福であるから、贅沢に一人一室与えられている。


「おおお……!!」


 宵珉シャオミンは自室に入り、ふかふかの寝台に横になってみる。


「柔らかいっ!」


 ボロ屋敷の硬い床よりも何十倍も寝心地がいいとは、これはカミサマの恵みだろうか。柔らかい設定にしていてよかったと心底思う。


(どれどれ、俺の見てくれはどんなもんかな)


 宵珉シャオミンは起き上がり、壁に立て掛けられた簡素な鏡を覗き込む。

 自分の容姿は、転生したと分かってからずっと気になっていたことだ。さて、自分が思い描いた阿珉アーミンの容姿が再現されているのか。


「おおっ! いいじゃないか!」


 宵珉シャオミンは丸鏡をガシッと掴んで、食い入るように見つめる。

 目の前に映る少年は、少し癖のある黒髪を上の方で結って、長めの後れ毛がふわりと左右に垂れている。

 前世の宵珉シャオミンは短髪であったから、このように艶のある長髪は新鮮だ。

 宵珉シャオミンは、手で髪を襟元から背に向かってさらりと流してみたり、くるくると指に絡ませてみたりする。


「髪は気に入ったし、超絶美少年だ……!」


 宵珉シャオミンはすべすべとした頬の白肌を摘んだり、逆に押さえたりして遊ぶ。元の自分の顔も好きだったが、阿珉アーミンもイケメンだ。というか、かなり想像通りだ!


 そして、同じ名を与えたらか、なんとなく宵珉シャオミンの面影があるような気がしなくもない。

 歳は前世の宵珉シャオミンとは違い、中高生くらいの歳若い少年で、すっかり若返った気分だ。


「けどちょっと腹黒そうだな、こいつ」


 尻の跳ねたつり目がちな深紅の瞳。すうっと通っている鼻筋。桃色の上唇は薄く、下唇はややぷっくりとしている。華琉ホァリウと似たタイプの猫ちゃんフェイスである。

 前世の俺はバカだ。この顔を引き立てモブに置いておくには勿体ないぞ。


「ああでも、一番は苓舜レイシュンだなぁ……」


 宵珉シャオミンはうっとりと苓舜レイシュンの姿を思い浮かべる。


苓舜レイシュンがあんなにかっこいいなんて。たしかに、美丈夫設定にしてたけど……それにしても好みだ)


 宵珉シャオミンは、自分の顔を覗き込む苓舜レイシュンの姿に、ビリッと雷で撃たれたような衝撃を受けたのだ。

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