美風の決意

 目が覚めると見慣れない天井があった。


 それもそうだろう。ここには昨日引っ越してきたばかりなのだから。


 天井を眺めながら、俺は呟く。


「ぐっすり眠れたなあ。まあ、それもそうか。昨日は大変だったし」


 引っ越しには荷解きがつきもの。昨日は自分の分の荷解きに加え、三人の手伝いもしたのでとても疲れた。熟睡できたのはそのためだろう。


 上体を起こし、うーん、と伸びをして、ひとりごつ。


「今日から、本格的に同棲生活がはじまるんだな」


 口にしてみたら、美風・詩織・萌花と同棲することに、ますます現実味が湧いてきた。


 なんだか緊張してきたな。ドキドキするし、そわそわする。


 どうにも落ち着かない気分だ。しかたない。ずっと想い続けてきた女の子たちと、今日からひとつ屋根の下で暮らすのだから。


 けど、同時にわくわくもするな。


 俺の口元が自然とほころぶ。


 それもそのはず。ずっと想い続けてきた女の子たちと、今日からひとつ屋根の下で暮らせるのだから。


 緊張と、それを遙かに上回る期待を感じながら、俺はベッドを降りて部屋を出る。


 顔を洗うために洗面所へ向かい、ドアを開けた。


「え?」

「へ?」


 瞬間、俺の体と頭が完全に停止した。ドアを開けた先に、全裸の美風がいたからだ。


 いつもはポニーテールにされているゴールデンブロンドは下ろされており、雪原のような白肌は桜色になっている。どうやら、俺が現れる直前まで、美風はシャワーを浴びていたらしい。


 バスタオルで頭を拭いていたため、美風の体を隠すものはなにもなかった。必然的に、妖精めいたスレンダーボディが余すことなく披露される。女の子が異性に見せてはいけない場所も含めて。


 俺と同じく美風も硬直していたが、時間が経つにつれて状況を理解してきたのか、桜色だった肌がさらに赤らんでいき、瑞々みずみずしい唇がわぐわぐと波打ちだした。


「ひゃあぁああああああああっ!!」

「ごごごごごめん!」


 美風が上げた悲鳴が、俺の頭を再起動させる。


 弾かれたように回れ右。目を『><』にする美風に背中を向けて、急いで脱衣所を飛び出した。


 バタンッ! と勢いよく閉めたドアにもたれかかり、すー、はー、と深呼吸。それでも、俺の心臓はかつてない速度でビートを刻み、血液が沸騰しているんじゃないかと錯覚するほど、体が熱かった。


 きっと、俺の脳内ではアドレナリンがドバドバ分泌されていることだろう。大好きな女の子の裸を目の当たりにしてしまったのだから、当然だ。


 しかし、その興奮は性的なものではない。感動からくるものだ。


 綺麗だったな、美風の裸。


 俺の感動は、芸術作品に抱く畏敬いけいの念に近い。圧倒的な美に対しては、性欲なんて俗な感情は湧かないみたいだ。


 ただし、欲情しなかったからといって、許されるわけではない。不可抗力とはいえ、俺がしたのはノゾキなのだから。


 さあっと血の気が引き、火照っていた体が一気に冷める。俺の顔色は、真っ赤から真っ青になっていることだろう。


「わ、悪い、美風! やましい気持ちはなかったんだけど、その……」

「そ、そんなに必死に謝らなくてもいいわよ。大方おおかた、あたしがシャワーを浴びているとは思ってなかったんでしょ?」

「わ、わかってくれるのか?」

「同棲するの、はじめてでしょ? だったら、こういう事故が起きてもしかたないわよ」


 どうやら、美風に俺を責めるつもりはないらしい。状況を踏まえたうえで、俺を許してくれるようだ。


 ほっと胸を撫で下ろす。


 美風が理性的で助かった。もし美風に嫌われたら、俺は死にたくなっていただろうし。


 動揺していた心が落ち着いていき――代わりに罪悪感が湧いてきた。


 本当に許されていいのか? 俺はなにも失っていないけど、美風は裸を見られてしまった。女の子にとって、異性に裸を見られるのって相当ショックなことだよな?


 裸を見られたことで美風が傷ついているなら、俺は自分を許せない。ばつの悪さを感じながら、美風に確認する。


「許してくれるのはありがたいんだが、美風、無理してないよな?」

「無理って?」

「俺が気に病まないように我慢してるんじゃないかと思って……償えるなら、俺はなんだってするから」

「そ、そんなのいいって。むしろ、そんなふうに気にされたほうが困るわ」

「けど……」

「いいって言ったらいいの! それに、いずれあたしと蓮弥は……お、お互いの全部を見せ合うんだし」


 美風の発言の威力が高すぎて、俺は「うっ!?」とうめいた。


 冷えていた体が、またしても火照る。『感情のジェットコースター』という表現はよく耳にするが、いまの俺は『体温のジェットコースター』だ。


 ななななんてこと言うんだ、美風のやつ! でも、そ、そうだよな……結婚したんだから、俺たち、もするんだよな。


 思い至ったら、床を転げ回りたくなってきた。恥ずかしくて、照れくさくて、けれど嬉しくもある、なんとも言えない気分だ。


「そ、そうか」

「そ、そうよ」


 上擦った声で相槌を打つと、同じく上擦った声が返ってくる。おそらくは美風も、自分の発言で悶えているのだろう。


「そ、そんなことよりさ! あたし、目標を決めたのよ! 実績を上げなくちゃいけないって話だったでしょ!?」

「そ、そうだったな! 美風はなにを目指すんだ!?」


 気まずい雰囲気を吹き飛ばすためか、美風が強引に話題を転換。渡りに船とばかりに、俺も話を合わせる。


 それまでの慌てようが嘘みたいに、美風が真剣な声音で宣誓した。


「あたし、バスケでIH優勝するわ」

「おお……ずいぶん大きく出たな」

「やってやれないことはないと思う。あたし、桜橋さくらばしでスタメン張ってたし」

「桜橋で!?」


 俺は目を剥いた。


 桜橋中学の女子バスケ部は、全国大会に何度も出場してきた強豪だ。そこでスタメンを勝ち取っていたというなら、美風は相当な実力者なのだろう。


 バスケはチームスポーツだが、ひとりの卓越したプレイヤーの加入が起爆剤となり、チームが急成長を遂げるケースはしばしばある。俺の入部によって、それまで中堅クラスだった清泉が強豪になったように。


 桜橋でスタメンを張っていたのならば、美風が江信をIH優勝に導く可能性は充分にあるだろう。


「美風はすごいな。桜橋のスタメンなんて、そうそうなれるもんじゃないぞ」

「あのころのあたしにとって、バスケは蓮弥が残してくれた大切なものだったからね。夢中で練習した結果、いつのにかスタメンになってたってわけ」


 どこかしみじみと美風が語る。


 子供のころからバスケ好きだった俺は、その面白さを伝えたくて、友達になった美風にバスケを教えた。体を動かすのが好きだった美風はすぐにバスケにはまり、俺たちはよく1on1をした。


 ジン、と心が痺れる。『バスケは蓮弥が残してくれた大切なもの』と美風が思ってくれていたことが、嬉しくてたまらない。


「蓮弥ができないなら、あたしが代わりにIHで優勝するわ。それに、あたしが優勝したら、教えてくれた蓮弥はもっとすごいってことになるでしょ? まあ、もとからあんたはすごい選手なんだけどさ」


 おまけに、こんな健気なことまで言ってくれるのだから、感動のあまり泣いてしまいそうだ。


 目頭が熱くなるなか、俺は美風に礼を言う。


「ありがとな。美風は本当に、優しいツンデレだよ」

「ツンデレは余計よ!」


 照れ隠しまじりに口にした冗談に、美風が噛みつくみたいにツッコんだ。

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