田舎の一日

「はぁ……」


寝起きで最初に出す声は、小さなため息であった。


何故なら、寝ている時だけ、心が安らぎを感じられる。


怖がるものを全て忘れられるから。


「まだこんな時間に起きてしまった」


ベッドの横にいる時計によると、今は朝の六時。

学校がないし、家事をする必要もないのに、体は俺に安眠を許してくれない。


まるで、体すら俺のことを恨んでるみたいに。


『おい』


そしたら、頭の中から声が聞こえる。


『お前は寝てる間何もしてないのか?』


できるわけないだろう。


『本当か?あんまり自信がないみたいだけど』


だからどうした。


『まだ失望されるぞ、今回はお婆ちゃんにかな?』


この言葉で、俺の中のトリガーが上手く引っかかった。


強迫行為のトリガーが。


でも俺の周りには誰もいない。


だからその代わりに、俺は……


自分の手を見つめる。


なんの感触もない、何も触っていなかったはず。


『本当かぁ?もっとよーく見てみい?』


痴漢などのことした形跡がない。


『おいおいおい、痴漢なんて直球だね、現実になったらどうする?』


……なにもしてない。


『ちょっと、なに指を動かしてんだよ』


動くくらい良いじゃないかよ。


『動かしたらなんか気になるじゃないか、チェックもう一回やり直し』


はぁ……


医者からは頭の声を否定ように言われたけど、今の俺には難しすぎる。


無関係だとわかってるだけど、ただの妄想だとわかってるだけど、怖いんだ。


もし頭の声は嘘じゃなく本物の警告だったな。


ホラー映画によくある、嫌な予感を無視して死ぬ奴のようになったら。


目が痛いが、汗でビショビショになろうが。


「大丈夫…大丈夫…大丈夫…」


強迫行為が止められない。


「……ちゃ……」


辛い……


「こ……ちゃ……」


辛い……


「コウちゃん!」


「……っ!はい!」


部屋の前で心配そうな顔をしてるお婆ちゃんを見て、「やらかした」って思った。


慌てて時計を見ると、時は既に九時。


俺は手元を見てるだけで三時間を掛かってしまった。


「ごめん……お婆ちゃん」


お婆ちゃんは一体何回俺に呼びかけたんだろう?


まだ心配をかけた情けなさなあんまりに、俺は謝った。


「そういう病気でしょう、仕方がないさ。それより朝ご飯を食べましょう?」


お婆ちゃんの後ろについていき、リビングまで来た俺たち。


あれから月日が飛んでいき、気付けば田舎に来たのはもう一ヶ月。


それでも目の前の光景は、未だに慣れない。


ちゃぶ台で並んでるのは一人分の食器だけ。


もう一人分の食器、もっと正確に言うとお婆ちゃんの食器は、遠く前のキッチンの地面にいる。


そして当たり前のように地面でご飯を食べるお婆ちゃん。


「ごめんなさい……」


「コウちゃんのためならこれくらい気にしないさ」


こうなってる理由は明白、俺のせいだ。


未だに強迫性障害が治らない俺は、他人に近づくことができない、同じテーブルで食べることは尚更だ。


そんな俺に配慮するために、お婆ちゃんはわざわざ離れたとこでご飯を食べようとした。


最初はせめて位置を変わると説得したが、お婆ちゃんは「コウちゃんはちゃんと机で食べなさい」と頑固拒否した。


本当、何から何までお婆ちゃんに迷惑をかけるばっかりだ。


「それにしても、今日は朝ご飯は豪華だね」


よく見ると、味噌汁の中に肉が入ってるし、サラダの中に違う野菜が沢山入ってるのでいつもより色が鮮やかだし、何より料理の品数がいつもより多い。


まるで今日は何かの記念日みたいだ。


「なにぜ今日は祝うべき日だからねぇ」


嬉しそうなお婆ちゃんを見て、俺は頭をよぎった。


今は春の最中だし、大きな祝いとかがないはずだけど。


「そこに手紙があるだろ、見てみい」


そんな俺の疑惑を見抜いたお婆ちゃんは、ちゃぶ台の端に置いてる手紙に指差した。


色々と訳がわからないが、俺は言われたままに手紙を読み始めた。


「……っ!」


「いいお知らせでしょう、良かったねコウちゃん」


その手紙は、ただの手紙じゃなかった。


警察からの通知書。


内容は勿論俺の犯行に関わるお知らせでした。


俺に痴漢容疑をかけたあのOLは逮捕された。


どうやら彼女は極端な男嫌いで、男に報復するために今まで何人に同じ手で痴漢容疑をかけようとした。


幾ら何でも痴漢されすぎと疑った警察は彼女を調べ始め、そしてそれが彼女の本性の暴露へ繋がった。


要するに、俺の全ての容疑は冤罪だった。


「やはりコウちゃんは無罪だったんだね、お婆ちゃん間違ってないわ」


「……」


「コウちゃん?」


俺の心の中に、なんの起伏もなかった。


嬉しいお知らせのはずなのに、大喜びするはずなのに。


心が凍りついたのように、動かない。


「……良かったね、お婆ちゃん」


「コウちゃん……」


わかってるんだ、心が動じない理由。


冤罪とわかったでも、今更壊れた関係は治らない。


俺のせいで、お母ちゃんと姉さんは傷ついた、詩織は犯罪者の幼馴染みと言われた、はるきは俺を見るだけで逃げ出すほどショックを受けた。


手紙一枚くらいで、俺の失敗は消えない。


それでもせめてお婆ちゃんには笑ってほしい、だから俺は無理やり笑顔を作り出した。


「やった、大きくお祝いしないとなお婆ちゃん」





大きくお祝いと言っても、俺の状況は状況で俺たちは特別に何かをした訳もなく、ただ昼ご飯と晩ご飯が豪華になっただけだ。


そしてその夜、お婆ちゃんは俺を村へ連れ出した。


いつまでも部屋に引きこもる訳もいかないので、お婆ちゃんはたまにこうして夜で俺と散歩する。


夜だから、村の中には誰もいなく、俺は誰かに会う心配する必要がない。


静かな夜風が体に当たって、良い感じで体が冷えていく。


蝉声に囲まれ、村の風景を眺め、ただただお婆ちゃんの後ろに付いていく。


眠り以外に、唯一心が安らぎを感じるこの時間、俺は好きだ。


でも今日はちょっと違った。


普段なら家に帰るところで、お婆ちゃんは別の方向へ行った。


そして、そのまま山の方へ。


ここに来てから初めて山に入ったこともあり、頼れるのは明かりを持ってるお婆ちゃんだけ、先より大きくなった蝉声が俺の不安を煽る。


そんな時、何かが俺の脚を触った、


「うわ!?」


「おや、大丈夫かい?」


足元へ覗いて見ると、そこには小さい犬がいた。


「え?」


「ワン……」


「あら、田中さん家のわんちゃんじゃないか」


お婆ちゃん曰く、このわんちゃんはいつも家から抜け出す常習犯らしい。


「戻ったら田中さんに届けなきゃいけないねぇ、その前にコウちゃんが面倒を見てあげて」


「お…俺!?」


「大丈夫、ヤンチャだけど人に優しい子だから、触ってみい」


「いいの……俺なんかが触っても?」


「何言ってるのよ、村のいる人ほんとんど触ったことあるから、誰も気にしないさ」


それを聞いて、俺は恐る恐るわんちゃんへ手を伸ばす。


『おいおいおい、待て』


なんだよ。


『本当に触るのか、もし何かがあって傷ついたらどうする』


そう考えた瞬間、俺は手を止めた。


怖くなったんだ、このまま触ったら、どんな形であれ俺の手による被害者が増えるのが。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


考え始めると、呼吸が重くなり、目が犬から離せられなくなった。


俺はまだ何もしてないよね?犬は大丈夫だよね?

俺は、まだ何も傷ついてないよね?


大丈夫?大丈夫?大丈夫?


俺は何もできない、頭が目の前の犬でいっぱいいっぱい。


そのときだった。


「大丈夫だよ、コウちゃん」


「……っ!」


「コウちゃんはわんちゃんに何もしていない、ただわんちゃんを触るだけだから」


まるで俺の頭の中を見抜いたのような、的確な言葉。


その言葉で、心が軽くなった。


そして思い出した、ここに来てからお婆ちゃんとしてくれたことの数々を。


ブリキカエルのことも、ご飯のことも、いつも寄り添ってくれることも。


『おい!やめろお前!』


うるせえ!触るだけど何も問題ないだろが!


そんなことより!これ以上優しくしてくれるお婆ちゃんを困らせたくないんだよ!


そう考えながら、俺は手を伸ばす。


そして、ついに……


「ワン!」


俺はわんちゃんの頭に触れた。


事件が起きてから一カ月、俺が初めて自分以外の生物に触れた。


「大……丈夫?」


「ワン?」


「ナデナデしても……いいよね」


恐る恐る頭にいる手を動かし、優しく犬の頭を撫で回す。


「ワン〜」


すると、わんちゃんは気持ち良さそうの顔になった。


「お婆ちゃん、俺、わんちゃんに触れたよ!大丈夫だったよ!」


初めて頭の中の声への反抗。


そして俺の手は、誰も傷つくこともなく、誰かに触れることができた。


この事実だけで、何よりも、今朝のお知らせよりも嬉しく感じた。


「よく頑張ったねぇ、おめてとう」


こんなバカみたいなことに喜ぶ俺を笑うことなく、お婆ちゃんは優しく微笑んでくれた。


お婆ちゃんは俺のお婆ちゃんでよかったと、改めて思った。


そして、俺はわんちゃん抱きかかえながらお婆ちゃんの後ろに付いて行った。





「すげえ……」


「そうでしょ」


お婆ちゃんの行き先は、山の奥にいるちょっとした平原だった。


蝉の声が聞こえなくなり、静かな雰囲気が心を落ち着かせる。


わんちゃんを抱えながらそこに座り、空に見上げると、綺麗な星空が目の前で広がる。


「すごいでしょう、都市ではこんな星空が見えないだろ」


「うん、すごいよお婆ちゃん」


「いいとこはこれからさ、お婆ちゃんの星講座の時間」


「え?」


「あそこにいる一番明るい星はシリウスで、そっちの……」


すると、お婆ちゃんはペラペラとここから見える星座などの小知識を語り始めた。


まるで星博士のように、ここから見える全ての星座や星を解説していく。


あんまりにも面白くて、俺は思わずお婆ちゃんの講座に魅入ってしまった。


「お婆ちゃんすごい、まるで博士みたいだよ」


「私はちゃんと若い子の流行りも取り入れるできるお婆ちゃんだからねぇ」


星は流行ってるのから?って思った瞬間、俺は思い出した。


ここ一週間、お婆ちゃんはなぜかずっと普段使わないスマホと苦戦していた。


俺のために、わざわざ調べていたんだ。


そう考えると、心の中から感傷が溢れてきた。

まだ、困らせてしまったら。


お婆ちゃんだけじゃない、姉さんも、詩織も、はるきも。


なんで、こうなってしまったんだろ?


空を見上げる、星座たちがお互いを照らす。

俺たちはきっと、輝く星座だったんだろ。


なのに今となっては星座一部だった俺は、ほかの星たちを傷つき、そして星座から蹴り出された。

「あう……」


わんちゃんは俺の感傷を気ついたのように、慰めようと俺の顔を舐める。


そういえば、昔は結構今のわんちゃんみたいにはるきを膝に抱えていたら。


昔は結構今のわんちゃんみたいの距離でみんなの体温を感じていたら。


俺はだたみんなの前で俺をしていただけなのに。

一体、どこで間違ったのだろう?


「……姉さん、詩織、はるき……会いたいよ」


「コウちゃん……」


「俺は……どうすればいいんだよ……ううう……」


お婆ちゃんの優しさと、わんちゃんの体温で、今まで我慢してきた何かが崩れ落ちた。


この夜、俺は事件が起きてから、初めて涙を流した。

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