辛党にチョコレートを渡す方法

秋宮さジ

辛党にチョコレートを渡す方法


 僕は甘いものが苦手、いや……嫌いだ。頭がくらくらするし、舌がじんじんする。

 グミやら飴やら、ましてやチョコレートなんて以ての外だ。


 ガラス戸を開け、本棚から漫画を一冊抜き取り、カウンターに向かう。


「いつもの」

「もう出来てる」


 錆の目立つ丸椅子に座り、割り箸を割って料理を待つ。


「ほい、どうぞ。お熱いから気を付けて」

「どーも」


 裏を返せばつまるところ、僕は辛党なのだ。だから今日もこうして、学校帰りに立ち寄ったラーメン屋のカウンター席で、鷹の爪を大量に乗せた担々麵を食べている。


「今日も来たんだ」


 厨房から、そんな声がする。聞き慣れた声だ。いや……もはや聞き飽きている。


「来て悪いかよ」

「そんなこと言ってないよ。ほら水」

「最後に飲む」

「ふーん……」


 厨房に立っているのは、エプロン姿のポニーテールの女の子。幼馴染の柏原かじわらだ。

 このラーメン屋のアルバイトである。


「良いのか、会話なんかしてて」

「いーんだよ。この時間帯お客さん来ないし。皿洗いも君ので最後」

「そうかよ」

「そうだよ。毎度思うけど、よくそんな辛いの食べるよねぇ。美味しそうにさ」


 キッチンから頬杖を付き、僕の食事をじっと眺めているこの女とは、もう十年来の付き合いになる。幼稚園で知り合って以来の腐れ縁だ。


「実際、美味しいからな。味付けも上手いし。柏原、腕上げたんじゃないのか?」

「……っ――褒めたってタダにはならないんだからね」

「別にタダにしようと思って褒めてるわけじゃない。美味しいものは美味しい」

「そ。じゃあそう受け取っといてあげる」


 そう言ってにへらと笑った彼女。柏原が言葉の割に嬉しがっているのは、彼女の夢が関係しているということは、もはや既知の事実である。


 夢。


 柏原の将来の夢はよく知っている。幼稚園生の頃、うんざりするほど聞かされた。


 ――パティシエール。お姫様とかプリティアだとか、そんな可愛らしい夢を抱えた女児が大半の中、この幼馴染もまた、可愛らしい――僕は全くそうは思わないが――夢を抱え、それを今もまだ抱いているのである。


 水の入ったコップを呷り、コトンとどんぶりの横に置く。


「ごちそうさま」

「お粗末様でした」


 柏原にどんぶりとコップをカウンター越しに渡し、流れるように漫画を手に取る。


 水の流れる音、食器のカチャンと鳴る音、キャビネットを開く音、手を拭う音。

 それを聞きながら漫画を読み終え、時計を見ると六時半。


「じゃ、そろそろ帰る」

「そっか」


 柏原がレジに向かうのと、僕が財布を取り出すのは同時。

 お互い慣れた様子で会計を済ませる。


「じゃ、気を付けてね」

「ああ。柏原もな」

「……」


 扉を開くと、ぴゅうと冷たい風が頬を撫でる。もうすっかり夜だ。僕はポケットから手袋を取り出し、マフラーを巻き、ゆっくりと歩み始めた。



 ◆



 今日がバレンタインだというのに、この男は性懲りも無く、このラーメン屋にやって来た。しかし、それは分かり切っていたことだ。

 だからこうして、時間を見計らって、担々麵を作って待っていたのである。


 流石に今日は来ないだろうとも思ったけれど、この男に限っては、バレンタインだから今日は控えておこうとか、そんな考えに至るはずもない。


「いつもの」

「もう出来てる」


 常連ぶってこんなセリフを吐くようになったのはいつからだったか。


「ほい、どうぞ。お熱いから気を付けて」

「どーも」


 ぶっきらぼうにそう言って、一口スープを啜る男を、頬杖を付きながら観察する。


「今日も来たんだ」

「来て悪いかよ」


 そんなこと言ってない。毎日来て欲しい。学校が無い日も来て欲しい。


「そんなこと言ってないよ。ほら水」

「最後に飲む」

「ふーん……」


 真剣な面持ちで、麺を啜る。それをずっと眺める。目は離さない。


「良いのか、会話なんかしてて」

「いーんだよ。この時間帯お客さん来ないし。皿洗いも君ので最後」


 この時間帯はいつも店主のおばちゃんと二人で切り盛りしている。しかし、今日は違う。茶々を入れられては困るのだ。だからこの男が来る間は控えて貰う様頼んだ。

 快諾だった。ぱしんと叩かれた背中がまだじんじんする。


「そうかよ」

「そうだよ。毎度思うけど、よくそんな辛いの食べるよねぇ。美味しそうにさ」


 窓の方を見るふりをして、興味無さげに、素っ気なく。

 どうせ料理に夢中で気付かないんだろうけど。


「実際、美味しいからな。味付けも上手いし。柏原、腕上げたんじゃないのか?」

「……っ――褒めたってタダにはならないんだからね」


 ほんとは、タダで食べさせてあげたい。

 毎日。毎日毎日、朝も昼も夜も、私が作ったご飯でお腹を満たして欲しい。


「別にタダにしようと思って褒めてるわけじゃない。美味しいものは美味しい」

「そ。じゃあそう受け取っといてあげる」


 だめだなあ。にやけて、顔の筋肉が緩んでくる。

 でも平気。どうせこいつは気付かない。


 水の入ったコップを呷り、コトンとどんぶりの横に置く。


「ごちそうさま」


 こうやって、手を合わせて、食後の挨拶をするときの素振りが、愛おしくてたまらない。決まって返すセリフはこうだ。


「お粗末様でした」


 それから男は、漫画を手に取って、小一時間ほどその場に居座ると知っている。今だ。今しかない。渡すのは今しかない。


「じゃ、そろそろ帰る」

「そっか」


 何してるんだ、私。足踏みしてる暇ないっていうのに。帰っちゃうじゃん。


 なるべく気取られないように、レジを打つ手はいつもとおんなじ速度。もっと遅くしたい。でもアルバイトを始めてから随分経つ。変に遅くして、怪しまれては困る。


「じゃ、気を付けてね」

「ああ。柏原もな」


 返事が出来ない。エプロンに忍ばせた包みを渡すはずの、私の手は、レシートすら渡せず握り締めたまま固まっている。


 扉を開け、出て行ってしまう。ああ、だめだ。今年も駄目だった。


 何年目だと思ってるのさ。もう十年間渡しそびれてるんだよ。


「……」


 包みを開けて、小さな箱から取り出したプラリネを、口に入れる。


 一口、噛んで、ビターチョコレートがほろ苦く溶けていく。



 ◆



 一人の少女が、エプロン姿のまま、歩道をゆく青年を追いかける。

 二月の冷たい風を切って、その距離を詰めていく。


 その駆ける音に気が付いた青年が振り向く。


「――どうしたんだ、柏原」


 少女は返事をすることなく、立ち止まった青年に近づく。


「何だよ、返事くらい――」


 ぐいっと少女にマフラーを掴まれ、直後――唇が数秒触れた。


「……っ」

「ん……もっかい」


 青年は全てを受け取った。少女を抱き寄せ、次は――長い間だった。


 青年は思った。この女。さてはと。


 頭がくらくらする。舌がじんじんする。甘い。甘ったるい。


 唇が離れると、少女は尋ねた。


「……美味しい?」


 答えは決まっていた。


「――……ああ、美味しい」




























 ◇ 辛党にチョコレートを渡す方法


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