まもるくんのお誕生日会


 今日で9歳になる≪まもるくん≫は、知った襖を開けて居間に入りました。八畳ほどの広い居間は、まもるくんとその家族が暮らしていた部屋です。中央にあるこたつの中を覗くと、柴犬のムクが昼寝をしていたようで、まもるくんが顔を見せたことで起き上がりました。


「おはようムク!」


 むくり、と起き上がった柴犬のムクが、こたつから出てきてまもるくんの頬をぺろぺろと舐めます。舐めまくっていました。まるで頬にバターかなにかでもついているかのように……。美味しそうな匂いでもついていたのかもしれません。


「まっ、くすぐったいってば、ムク――もうっ、ダメだってっ」


 こら、と怒ると、ムクもやっと気づいたようで、身を引きました。まもるくんの目の前でお座りです。まもるくんが「お手」と言えば、差し出されたまもるくんの手の平に、肉球をぽん、と置きます。まるで押印のようです。


「えらいえらい」


 ムクの頭を撫でます。まもるくんは部屋を見回して、まだ準備ができていないことに気がつきました。今日はまもるくんの9歳の誕生日――つまり家族で誕生日会が開かれるはずなのですけど……、今のところ飾り付けはされていませんでした。

 まもるくんがタンスの引き出しを開けると、事前に買っておいた(?)折り紙がありました。これを使って飾りを作って部屋を豪華にしよう、と、まもるくんが企みます。

 自分の誕生日会なのに主役が準備をするなんて……とは、まもるくんは思いませんでした。サプライズではないのです。ケーキやお肉は『お母さんたち』が買ってきてくれるはずですから、まもるくんはただ待っているだけではなく、先にできることをしておこうと思ったのです。


「ムクも折る?」


 くぅん、と鳴いたムクは、こたつの中に戻ってしまいました。まるで亀のように……、顔だけ出して、作業するまもるくんを見守っています。

 大きなあくびをしているので、きっと手伝う気はないのでしょう……まもるくんもムクをあてにしていないと言えばそうですけど……ムクには言いません。期待していない、と言ってしまうのは可哀そうです。まあ、ムクにそういうことを求めているまもるくんではないですが。



「かんせーいっ!!」


 たくさんの折り紙を使って部屋を豪華にしました。鶴や手裏剣、星を作り、部屋の壁にぺたぺたと貼り付けたり、糸で吊るしたりしています。

 押し入れの中にあったクリスマスツリーもついでに出して(実はクリスマスもそろそろなのです)綺麗な色をした、たくさんの鈴をツリーに引っかけていきます。

 一番上の先端には目立つ星を突き刺しました。

 白い綿をツリーに乗せれば雪が積もったみたいです……、お誕生日と言うよりはクリスマス会ですけど、どちらにせよお祝いごとではあるのですから、まもるくんは気にしませんでした。

 でも、楽しいことがひとまとめになってしまうのはもったいない……とは思っています。損得を考え始めたのは、9歳になったことで見せた成長なのでしょうか。


「おかあさん、早く帰ってこないかなー……ね、ムク」


 ムクを抱きしめながら、こたつに入って目を瞑ります……気づけばまもるくんもムクも眠ってしまっていました。

 ぬくぬくと。すやすやと……。次に目を覚ました時、時計の針は朝を示していました。昨日、母親は帰ってきていないようです。


「ムク。おかあさん、まだみたい」


 わふ、と小さく吠えたムク。

 こたつから出たムクが台所へ向かいました。冷蔵庫ではなく食器棚の下の引き出しを、爪でガリガリと掻いていました……そこは、確かドッグフードがしまってあった場所です。

 ムクは覚えていたようです。


「あー……ダメだよムク、なにもないよ」


 ドッグフードはありませんでした。

 引っ張った引き出しの中を覗いたムクは、むす、として、こたつの中に戻っていきました。拗ねてしまったようで、ムクの尻尾は揺れるどころか起き上がることもありません。


「ムク、もうちょっと待ってみよう。おかあさん、すぐ帰ってくると思うし……」


 まもるくんはムクを励ましながら。

 彼だって、母親が帰ってこないことを不安に思っているはずですが……。


「おかあさん……ぼく、9歳になったんだよ……?」



 次の日も。


 その次の日も。


 一週間後も、一か月後も――……一年経っても……さらに、十年が経っても。


 母親は、帰ってきませんでした。



「……お腹すいたね……ムク……」


 既にそういう段階ではないはずですが、まもるくんもムクも、空腹に堪えるようにこたつでダラダラと過ごしていました。

 ふたりで身を寄せ合い、ただこたつの中なのでしょっちゅう暑くなります。その場合、片方がこたつから抜け出るのですが……、しばらくすると寒くなってまたこたつに戻ってきます。……外はまだ冬です。まだまだ、冬なのです。


 お誕生日会の準備を始めたあの日から、もう十年が経っています……、まもるくんは9歳のままでした。



 ――すると。

 まもるくんが開けた後、一切開かなかった襖が開きました。


 顔を出したのは、二十代前半の男の人でしたが……、まもるくんは、なんとなく見覚えがあって……いや、見た目ではなくて――――


 まもるくんはその男性と同じ匂いの人を知っています。そう、実の兄です。


≪とうまお兄ちゃん≫です。


 耳にピアスを付けたまもるくんよりも四つ年上の兄が、やっと帰ってきたのです。



「おかえり、おにいちゃんっ!」


「……お前……まもる…………?」


 腰にしがみついたまもるくんを抱きしめたとうまお兄ちゃん。……彼は、なぜか涙を流しながら謝っていました。……お誕生日会に遅れたことを? いえ、あのとうまお兄ちゃんが遅刻したくらいで謝るとは思いません。

 それよりも。

 どうして兄が、すっごく大人になっているのか、まもるくんは気になっていました。


「とうまおにいちゃん。……なんだか、変わったね……」


「ああ、そりゃそうだろ……だって、十年も経ってるんだぜ……? あの日、俺が――」



 とうまお兄ちゃんは過去の後悔を思い出していました。


 四つ下の弟。うっかり手を離し、点滅する青信号を先に渡ってしまったとうまお兄ちゃんは――追いかけてくる弟のことを考えていませんでした。

 たとえ赤信号であろうとも、兄に追いつくことを優先する弟は、猛スピードで駆け抜けていく車を見ても止まることはなく――――


 小さな体は、すぐに真っ赤に染まってしまいました。



 即死でした。


 病院に運んで治療する意味もありませんでした。


 9歳の誕生日に、まもるくんは…………



 既に亡くなっているのでした。



「……遅れてごめん。随分と待たせちまったな」

「とうまおにいちゃん……は、どうしてここに?」

「やばい薬をちょっとな……一度吸ったら、もう人生めちゃくちゃだ……」


 麻薬です。


 とうまお兄ちゃんは麻薬に依存し、最終的にはヤバイ人たちに歯向かって殺されてしまったのです……二十代前半でした。

 まもるくんの前では言えませんが、亡くなるのがとても早かったです。


「おかあさんと、おとうさんは……?」


「まだ帰ってこないさ……あの人たちは健康体だからな……。もしかしたら100歳まで生きるかもしれねえな」


 もちろん、それが良いに決まっています。100歳まで生きるなら帰ってくるまで随分と時間がありますけど……今はまもるくんの他にとうまお兄ちゃんもいます。

 ムクだって忘れていません。ふたりと一匹がいれば、両親が帰ってくるその時まで、退屈せずに待つことができるでしょう……。


「……なあ、まもる。お兄ちゃんとなにして遊ぶ?」


「ヒーローごっこ!!」



 それから三年後、襖が開きました。母か父か、お早いお帰りだったようで……と、とうまお兄ちゃんが立ち上がれば、部屋に入ってきたのはチワワでした。

 犬です……。どうやら両親は、失った子供の穴を埋めるために、犬を飼っていたようです。自然の流れではありますが、やはり親よりも犬の方が亡くなるのは早かったようです。


「新しい子だ!」


「……新しい家族なら名前が分からねえな……こっちでテキトーにつけちまうか?」


 ラッキーと名付けられたチワワが新しい家族に加わりました。――それからまた三年。今度はパグです。さらに三年後……ヨークシャテリア。さらにさらに――またチワワ。トイプードル、ゴールデンレトリバー、シーズー、パピヨン――――などなど。

 両親がここまで犬好きだとは知りませんでした。

 多くの犬がまもるくんの周りでお昼寝をしています……みな、まもるくんを弟だと思って接してくれているのでしょう。


「親の気持ちなんて分からねえからなんとも言えねえけど……心の穴、でかくねえか?」


 そしてまったく塞がっていません。

 ……我が子を失った穴がそう簡単に塞がるとは思えませんけど……それを飼い犬で誤魔化しているのでしょう。

 それにしても……それにしたって、多過ぎる気もしますが。約三年で一匹が亡くなるのは普通なのでしょうか。赤ん坊から育てたわけではないのであれば不思議ではありませんか。


「……ま、賑やかでいいし、まもるも嬉しそうだからいいけどよお……」


 八畳ほどの居間に犬ばかりが増えていく中――あっという間に月日が流れていきました。

 二十年? 三十年? ――そして、その時は唐突にやってきました。


 いつも通りにすやすやと眠っている犬が、一斉に起き上がりました。

 囲まれて眠っているまもるくんは気づきません。まだぐっすりと眠っていて――――


 お兄ちゃんも気づきました。

 足音です……襖が、開きました。


「………………おかえり、って、言うべきか? ――母さん」



 白髪のおばあちゃんになっていました。


 それだけ歳を重ねるほど、母親は長く生きられたということです。


 母親は、息子ふたりとこれまで生活を共にしてきた犬たちを見て、崩れ落ちました。

 悲しいからではありませんでした。……嬉しいから。

 こうして再会できたことが。


 これから夫を待つ数年が、寂しくならないから――――



 それから数年後、家族全員が揃いました。


 やっと、始めることができます――


 まもるくんの大好きなチキンが、目の前にありました。



『まもる、9歳の誕生日おめでとう』



 まもるくんが知る光景ではなかったですが、大人になっても、老人になっても、まもるくんにとってはおかあさんで、おとうさんで、おにいちゃんで――家族の犬たちです。


 …………まもるくんはずっと、この日を待ち望んでいましたから。



「ありがと、みんな――――じゃあ、いただきますっ!!」




 …【Happy Birthday!!】

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