勇者20000【前編】


 魔王が統治する世界――楽園エデン


 無敵の魔王に、手傷を負わせたひとりの人間がいた。


 彼は魔王と敵対する長命のエルフの秘策によって生み出された勇者であり、彼を討つため魔王は力を振るい、勇者を爆殺した……かに思えたが。


 爆発四散した勇者は、自らの力を分割して世界に解き放った。

 魔王の追撃により、勇者の力を宿した【白い輝きを放つ欠片】はさらに増えて、およそ20000の数となり、世界へ散っていった――――


 それから世界には、多くの勇者が誕生することになる。


 無敵の魔王に傷を負わせられる貴重な存在……勇者。


 世界は、彼らを蔑ろにはできなかったのだ。




「――邪魔するぜ」


 窓枠に足をかけて部屋に入ってきた男がいた。

 彼は土足で絨毯を踏み荒らし、部屋の中の家具を見回した。途中、驚きのあまり声すら出せていなかった十歳ほどの少女を一瞥したが……気にせず家具の引き出しを開けた。


「だ、ダメっ! そこはお母さんの――」


「あー、……チッ。親はきちんと説明してねえのか……めんどくせぇ」


 後ろへ流した短髪、顔には大きな傷を隠すための刺青があった。

 腰には小さなナイフを差しており、一般人まちびとでは立ち入れない危険地帯へ「代理」で向かう冒険者だというのが分かる。


 少女もそういう職業があるという知識はあるのだが、冒険者が家に入り、母親が大事にしている家具の引き出しを開けて中身を持っていこうとするのが仕事の一環である、とは、よく知らないながらも思えなかった。これは明確な違法行為である――そう判断した。


 犯罪だ。つまり勝手に部屋に入ってきた男は冒険者ではなく盗人だと……。

 本当に男が盗人だとすれば、少女はまず逃げるべきだった。さらに言えば誰かに助けを求めるべきだったのだ。だが、彼女は立ち向かうことを選んでしまった。


 男が盗人だったら悪手だった。

 ――盗人でなくとも、民家に勝手に入り荷物を漁るなど、まともな大人ではない。


 例外がいるとすれば……勇者だ。


 勇者だけは、民家から道具を『譲り受けて』も咎められない。


「悪いな、嬢ちゃん……オレは勇者様だ」

「そんな怖い顔した勇者なんかいないもん……っ」

「顔は関係ねえだろ。ほれ、手の甲に紋章があるだろ? これが証拠だ――」


 男が手の甲を少女に見せる……すると、星型の紋章が白く輝いた。


 勇者を真似た刺青ではない。本物の……勇者なのだ。


「分かったか? オレは勇者だ。つまり嬢ちゃんの家からなにを持っていっても問題はねえんだ。不安なら大人に言ってみな? 全員がオレの行動を推奨するはずだぜ」


 勇者は民家から必要なものを譲り受けてもいいことになっている。一般人は、勇者が望むものを譲り渡すべきである、とも言われている……。

 その時に、譲るための条件を付けることもできるが、勇者次第で棄却される場合もある。


 勇者と一般人であれば、当然ながら勇者の方が立場が強いのだ。

 だからと言ってなんでもしていいわけではないが、今回の場合、男の行動は勇者としてはなんの問題もない。逆に、勇者の足を止めている少女の方が、罪に問われる可能性が出てくる……。


 少女の人生を左右するのは勇者だ。勇者によっては、既に斬られていてもおかしくはなかった。……生かされている今の結果を見れば、この男は優しい方だろう。


「嬢ちゃんは勇者を応援してはくれねえのかい?」


 魔王が支配する国……世界――エデン。

 魔王の配下である『魔人』が、各地で好き勝手に暴れているのだ。弱者という立場を強いられている人間の生活を理想に近づけるためには、魔人、そして元凶である魔王を倒すしかない……その希望は、勇者に託されている。


 人間種のために戦っているのに……小さな女の子には理解されていないようだ。


「嬢ちゃんたちのために命懸けで戦ってるんだぜ?」

「なら……」

「ん?」


「――だったら、さっさと魔王を倒してよっ!!」


「そうしたいの山々だがな……魔王の行方、分からねえんだよ」


 かつて、魔王は『魔王城』にいた。だが、無敵と言われた魔王が手傷を負ったその時から、魔王は姿を消していた。

 ……魔王城はもぬけの殻……、魔王に辿り着くための手がかりはなく、魔王の存在が観測できなくなってしまった。


 観測できないだけで世界のどこかにいるというのは分かっている。

 今はまだ、受けた手傷の治療に専念しているからか……。

 各地で魔人たちが好き勝手に暴れているのは、魔王の支援が途切れていないからだ。


 世界はまだ、魔王の支配の下にある。


「(さっさと倒せ、か……いや、勇者としちゃあ、生かしておいた方がオレたちの仕事も特権もなくならねえから、倒すとまずいんだがな――)」


 現状の世界だからこそ必要とされている。

 ちやほやされている……つまり、世界が平和になってしまえば、勇者としての役目は終わり、仕事がなくなる。それこそが平和の象徴とも言えるが、勇者の数が増えれば増えるほどに多様性の考え方になっていく。


 世界平和のために魔王を倒す勇者がいれば、勇者特権を利用し続けるために魔王を活かし続けることを望む勇者もいる。力自慢がいれば策士がいるように、勇者の種類も増えたが、同じように勇者にとっては腫瘍と言えるような存在も混ざってしまう。

 数が増えれば仕方のないことだが……、少女の望みは、耳が痛い話だった。


「勇者……ぜんぜん強くないじゃん……っ」


「そんなことはないぜ。勇者の力を手に入れれば、ある程度は肉体が強化されるもんだ。たとえ引きこもりでも、運動音痴でも、戦える体にはなる――だから信用していいぜ。嬢ちゃんの願いはいずれ誰かが叶えてくれるさ」


 男はそう言いながら、部屋の中を漁る。便利な道具、そう言えば切らしていた道具などを回収し、最後に母親が苦労して稼いだであろうお金に手が伸びた。


「お、意外と貯めてるじゃねえか。……さすがに全部はまずいか。よし、一枚は置いておく。あとは貰っていくぜ――」


「ゃ、ダメッ、それはお母さんが、」


「――勇者が言ってんだぜ? これを譲れと」


 男の手が腰のナイフに伸びた。

 理由なく手を出せば勇者と言えど犯罪だが、『魔王を倒すために必要だから譲ってほしいと頼んで、理由もなく拒否された場合』は、『力づくで奪っても罪には問われない』――。


 それが、この世界の勇者の特権だ。


 ……男の顔が不気味に歪んだ。これまでがまんしていたのだろう……、小さく、柔らかい肉を切ることができる快感を想像して、思わず笑みがこぼれてしまったようだ。

 悪魔のような顔。

 少女は目の前の勇者を見て、ついつい口からこぼれた……


「魔人……?」


「勇者だっつってんだろ」


 男が軽く振った手の甲が、少女の頬を打った。

 両足を浮かせて飛んだ少女が、家具に体を打ち付け床を転がる。ほんとに軽く当てた感覚だったが……、想定以上に威力が出てしまったようだ。

 力を出すことに長けていても、抑えることには向かないらしい……。


 勇者は元より、手加減をする機能はない。


「(一撃で壊すのはもったいねえな……)」


 男はあえて残しておいた、最後の一枚を指でつまみ、


「嬢ちゃん。やっぱりこの金も貰っていくわ」


 ――挑発。

 少女は痛む頬に顔を歪めながら、立ち上がり――勇者を睨みつけた。


 母親が必死に働き、稼いだお金……最後の一枚。

 それを、奪われるわけにはいかない。


 たとえ勇者であろうとも……


 ――譲れないものがあるのだから。



「ダメ……ッ、渡さ、ない……ッッ!!」

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