勇者20000【後編】


「そうか……残念だっ」


 嬉しそうに。


 想像するだけで快楽に溺れてしまいそうな勇者が、腰のナイフを引き抜き刃を少女へ向けた。

 研いだばかりでまだなにも斬っていない刃は、早く斬らせろとばかりに強く輝いている。

 銀色の刃に映る勇者の顔は、魔人の誰よりも、魔人のようだった――


「残念だ。嬢ちゃんを斬りたくはなかったが……、仕方ないよなあ?」


 どっ、ッッ! と、一歩。

 踏み込んだだけで飛び出した勇者が、ナイフの刃を少女の柔らかい肉へ突き刺す瞬間――――



 勇者の側頭部が蹴り抜かれた。



 窓から槍のように入ってきた人影が、勇者の体を床に叩きつけたのだ。



「ふ、ぇ……?」


 黒いマント。

 頭を覆うフードで顔を隠す謎の男――……彼が、少女の前に立った。


 一方、床を転がった勇者はふらつきながらも立ち上がり、


 目の前の敵を認識して、ナイフをさらに強く握りしめた。


「誰だ、テメェは……ッ!」


「通りすがりの一般人まちびとだ」


「一般人が、勇者に楯突くとはいい度胸じゃねえか!!」


 黒フードが事前に危険を察知し、傍にいた少女を抱きかかえた。


 ほぼ同時に、ナイフが突き出される。

 刃から黒フードまで距離があるが……関係ない。

 ナイフの切っ先から浮き上がった『魔法陣』――ナイフに宿る魔法が発動される。


「(不足した魔力を足せば、既に構築された魔法陣から魔法を発動できる――

 あのナイフは見た目、最近のものだろ……ナイフというよりは使われた素材に魔法陣が仕込まれていたタイプか?)」


 であれば。


 魔法陣自体は劣化も激しいはずだ。

 魔法の規模はそう広くないと見てもいいだろう。


 黒フードは少女を抱えて窓の外へ。

 ナイフから吐き出された魔法――斬撃の嵐がふたりを追って飛び出してくる。

 できる限り、少女の家への被害は抑えたつもりだが……無傷というのは難しかったか。


「はぁ、はぁ……ッ、悪い……家、壊れちまったな……」


「ううん……。助けてくれたの……やっぱり、魔人さんなんだね……」


 少女の呟き。

 黒フードが、しっ、と人差し指を立てた。


「それ、口に出すなよ? こっちも追われてる身なんだからな」

「ごめんっ」



「――待ちやがれ!!」


 民家の屋根から屋根へ跳んで追いかけてきた男が、黒フードの目の前に降り立った。


 魔法を備えたナイフを突きつける――


「テメェ……『魔人』だな?」

「…………」


「正体を隠しても分かんだよ……、一般人の動きじゃねえ。

 戦闘慣れしてると言うよりは、勇者慣れしてる……追われてる側だろ?」


 勇者に追われるのは魔人くらいのものだ。


 対勇者経験があるのは、魔人か勇者だろう。


 ……だが、勇者ほどの特権を持っている様子がなければ、おのずと魔人となる。


「なら、ラッキーだぜ。こんなところでどでかい手がかりに出会えるとはなぁ……」

「ガキ」


 黒フードが、抱えていた少女を下ろし、耳元で囁く。


「逃げろ」

「でもっ、お兄ちゃんが――」


「オレは大丈夫だ。

 あいつが言っていたように、勇者慣れしてる。負けるつもりはねえよ」


「でもっ」

「ほら、いけよ」


 少女の背中をそっと押す。

 後ろ髪を引かれている少女だったが、追いついた勇者の顔を見て怯えを思い出したのか、足が自然と前へ進んでいた。

 逃げろ、と言っただけで、助けを呼んでくれとは言っていない……必要ない。


 勇者でも魔人でもない部外者の助けなど、邪魔にしかならないのだから。



「――こそこそしてんじゃねえよ、魔人がよぉ……。

 魔王がいねえと正々堂々と戦うこともしたくねえってか?」


 魔人は各地で暴れ回っているが……見て分かるように大々的に動いているわけではない。

 社会に溶け込み、甘い蜜を吸っている……。紙を水に浸すように、じわじわと人間社会を歪めているのだ。――掘らなければ分からない穴の底に、魔人たちはいる。

 かつての魔王や魔人のように、表立って活動している方が今では珍しい。

 逆に言えば、目立っている魔人はそれだけ強さに自信があるということだ。


 勇者たちは目立った魔人ではなく、ひっくり返してみた岩の裏に隠れているような魔人を狙って、手がかりを得ようとしている……。

 その時点で勇者も勇者でこそこそとしているが。


「しねえよ。お前らと正面から戦うのは分が悪いからな……オレらは認めてるぜ?」


 黒フードがフードを取った。

 肩で揃えた赤髪。金色の瞳は、獲物を見つけた肉食獣のようだった。


 見た目はまだ若く、青年にも思えたが……、魔王=エルフの血を(半分でも)持つ彼は、人間よりは長命だ。見た目通りの年齢とも限らない。


 ゆえに、経験値は、人間よりもだいぶ多い。


「――勇者は強い。だからこそ、手は打ってんだ」


「ナメてくれりゃあいいもんを……めんどくせえ」


 勇者がナイフを突き出した時、


「――その魔法、斬撃を飛ばせるのか」


「ああ。……だが、ただ飛ばすだけじゃねえぜ――、一方向じゃねえ。

 嵐の中に放り込まれて周囲を飛び回る全てが斬撃だったとすれば、テメェは巻き込まれた時点で既にバラバラになってんだよォッ!!」


「そうか」


 赤髪の魔人の指先。


 小さく、薄く、しかしかなりの速度が出ていた。

 指先から飛び出した黒い塊は…………彼の魔力だった。


 硝煙のような軌跡を残しながら、魔力が勇者のナイフに届いた。――瞬間。


「は、」


 魔法陣が浮き上がる。


 ナイフに仕込まれていた魔法陣は、魔力を足すことで欠けた部分を補い、魔法陣を完成させることで古の魔法が発動される。

 足す魔力は……自身のものでなくとも構わない――つまり。


 勇者が持つナイフの魔法陣を完成させるために注ぐ魔力は、魔人の魔力でもいいのだ。


 ナイフは真下を向いていた。

 魔法が発動されれば、魔法は真下へ飛び出す。


 その魔法が嵐を生むのだと言うのであれば。

 ……その範囲はナイフから吐き出されたその後、周囲一帯だ。


 ――勇者を巻き込む、局地的な斬撃の嵐が、彼を襲う――。



「ぐぎ、がァ、あがァァぎぎゃぎゃがァ!?!?」



 ――斬撃が飛び交い、前後左右上下から……勇者の体を切り裂いた。


 バラバラに。

 たとえ勇者の耐久度を持ってしても、魔法には敵わなかった。


 少女を先に逃がして正解だった。

 ……こんな光景、見せられない。

 バラバラに切断された肉塊が、赤黒い血と共に積まれていた。


 ――勇者だった、モノだ。



「……これで残りは……いや、考えたくもねえな」


 およそ20000人の勇者。彼が減っても、19999人……いや、実際には既に亡くなっている勇者が多いから……、仮に5000人が減っていても、まだ15000人。


 魔人に迫る脅威を失くすとして……、それだけの数の敵が存在していることになる。


 これ以上、増えることがないのが幸いだが……にしてもだ。


 10000人以上の勇者からの脅威に怯える日々は、まだまだ終わらない……。



「…………目に毒だ」


 身に着けていた黒マントを肉塊に被せる。

 マントに付着していた魔法陣に魔力を足して……燃やす。


 これで悲惨な光景を少女が目にすることはないだろう。

 ……使ったのは炎魔法だ。ただ、今更気づいたが、単純に道具で火を点ければ良かったのでは? なんて思ったが、魔法が便利過ぎて手作業をついつい忘れてしまう。


 習慣とは怖い。

 ありふれたものとして普及しているからこそ、魔法陣の本来の貴重さを忘れてしまうのだ。


 消耗品だ。

 使っては捨ててを繰り返していれば、当然、いずれは魔法陣がなくなってしまう……。

 エルフが少ないこの世界では、着実に魔法陣がなくなる世界まで近づいているのだから。



 完全に肉塊が燃えてなくなったことを確認してから……、赤髪の魔人が屋根の上まで跳んだ。

 近づいてくる足音は、先ほどの少女のものだった。


「魔人のお兄ちゃんっ!」


 少女の声には答えず、青年は素早くその場から立ち去る。


 彼は魔人だ――……そう、勇者ではない。


 少女の隣にいるに相応しい立場ではないのだから……。



 ――ただまあ。


 今の勇者が、少女の隣に立つに相応しいとも言えないが……。




 …了

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