第20話
私たちが暮らしていた町は、旧陸軍の連帯跡地であった。病院の広い敷地は、正に、陸軍の駐屯地跡地だった。戦争にゆかりのある土地であった。
病院の道を挟んで中学校があった。そこも、軍用地で、広い土地が、戦後、学校として使われるようになっていったのだ。
私は、さらに大きくなって歴史を習うようになった。
父から、院長先生は、有名な政治家の息子さんだったと聞いたことがあった。初めて聞いたときは、私は子供で、特別な気持ちは起きなかった。
「そうなんだ。」
としか、思わなかった。
ちょうど第二次世界大戦の頃の閣僚にいた家の方だったそうだ。戦犯にもなっていた人のご家族だったようだ。
私は、大きくなって考えるようになった。
院長先生は、戦争のとき学生だったのだろうか?
そういえば、そうめんを食べていたとき、院長先生は、テレビで青い壁の前で話をしている政治家に、家族のような口調で、つぶやいていたことがあった。
そうめんが院長先生の家からなくなると、あるところに奥様が電話をかけると、その次の日に院長先生の家に行くと、床の間には、箱入りのそうめんが積み上げられていた。院長先生の御親戚は、政治家だったのだろう。
頂き物のそうめんを、分けてくださったのであろう。
けれども、院長先生は、政治とは遠い、北陸の地で人の命を助けるために働き、暮らしていた。毎日、家から病院まで歩いて通い、お医者さんをしていた。
ミケ子さんと家族と、とても静かに穏やかに暮らしていらした。
院長先生は、何を思い、お医者さんになったのだろう。戦争を、どう思って生きてきたのだろう。院長先生は、学生の頃、人の命を助けたいと思ったのだろう。それで、医学部に進まれたのだろう。
私は、父が
「院長先生が死んでしまう。」
と言ったのを、院長先生がおじいちゃんだから、夜遅くまで労使交渉をしているのを見て、体を心配して、そう言ったのだと思っていた。院長先生は、髪の毛が真っ白で、私にとっては、おじいちゃんだった。おじいちゃんが、夜遅く働いたら、疲れて死んでしまうと、子供の私は、思っていた。
けれども、もし、真相が違っていたらどうなのだろう。真相が、子土馬の殺意であったのなら。
戦争で多くの人が亡くなったのを、院長先生のせいにされていたのなら、どうなのだろう。そんな言葉を、浴びせられたのなら、院長先生の心は、死んでしまう。優しい院長は、耐えられるのであろうか?
学生の頃、人の命を助けたいと言って、医学部に進まれた院長先生に向かって、
「人殺し。」
と叫んだのなら。
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