第13話

私は、中学年の頃には、方言も使いこなし学校の中でも、のびのびと過ごしていた。箱庭の世界の外でも、自由にしゃべることができ、家と学校以外も自由に動き回れるようになっていた。

 その頃は、方言もすっかり、身についていた。むしろ方言が汚くて先生から注意されるほどになっていた。

 それでいて、勉強に苦労することもなく、学級委員を務めたり、放課後に友達と遊んだりと、十分地元に馴染んでいた。

 学校では、いろいろな代表にも選ばれていた。地域の陸上大会があれば、短距離走や、走り幅跳び、リレーの選手にも選ばれた。市の大会に出て、入賞すると県の大会にも出ていた。

 放課後になると、選ばれた友達と、校庭で遅くまで練習をした。とても楽しかった。それは部活動ではなかった。

 私は、いつも、リレーの選手の中では一番にはならなかった。アンカーや第一走者には、ならなかった。敢えてならないようにしていたのではなく、普通に頑張って、いつも2番手か3番くらいだった。走り幅跳びは、学校の代表であった。短距離は、何人かいる選手のうちンの1人であった。

 普通の授業時間ではなく、放課後の特別な時間を味わっていた。そして、選ばれたという、優越感を感じていた。

 私の通っていいた小学校は、大会が近づく、2か月くらい前に、先生から選手が選ばれ、選ばれた選手だけが、部活動というわけではなく、練習に参加していた。先生たちは、とても一生懸命指導してくれた。先生たちが、授業とは別に放課後の時間、特別に指導してくれていた。

 地域の大会を勝ち進み、県大会に出場することもあった。その度に、放課後の練習時間は続いた。

 県大会は、とても楽しかった。県の中で、一番いい陸上競技場で行われた。本当に、特別の大会であった。

 冬になると、今度は、バスケットボールお大会があった。バスケットボールの選手にも選ばれた。北陸の冬の校庭は、雪で覆われていた。その中で、体育館でバスケットボールをしていた。夜の体育館で、練習していた記憶がある。外が暗い中、明かりのついた体育館で、沢山走り回って、熱くなるほど、バスケットボールをした。

 やることがたくさんあった。家の前の大きな階段は、雪で覆われると、ミニスキーで遊ぶのにちょうどいい距離の坂になった。誰も歩くことのない坂道は、綺麗なスキーの滑走路のようになった。私や兄は、自分たちでスキー場を作って遊んでいた。

 ミニスキーやそりで遊んでいた。

 院長先生の家から病院の通用口までは、車の通らない、人が歩くだけの、雪を踏み固められた道ができていた。本当に、車の通ることなど、ほとんどなかった。

 ミケ子さんは、雪の中でも外を歩いていた。人が作った道の上を歩いたり、家や病院の軒下を歩いたり。ミケ子さんが、雪の中を歩いている姿は、私は見ている。

 私は、ミケ子さんのように、たくましくなっていた。

 私は、次第に箱庭の世界から飛び出していた。少し広い世界でも、私は高く青い空を感じていた。楽しかった。

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