第8話
次の年の夏休みも、私は院長先生の家で、昼食を食べた。新品のそうめんと新品のそうめんのつゆは続いていた。院長先生の奥様とは、一度もお話をしないままであったが、毎日、院長先生の家に通っていた。
そうめんを食べて、ミケ子さんと遊ぶ。その繰り返しだった。
院長先生は、ミケ子さんと遊んでいるときに、私に向かい
「猫は大人になったら遊べるから、赤ちゃんはそっとしてあげてくださいね。お母さんが、怖がるから。」
と教えてくれた。
ミケ子さんの赤ちゃんを取ろうとしている私の姿を、奥様が見ていたのだ。それを院長先生に話したのだと思った。
院長先生の家の勝手口は、台所の流しの横にある。台所に立つと、窓からアジサイが見える。
奥様は、私がミケ子さんの赤ちゃんを取ろうとしているのを、毎日見て、ミケ子さんが可哀想だと思ったのだ。
私は、赤ちゃんの猫が好きであった。大人の猫は、愛想がなかった。遊ぶ時は面白かったが、可愛さはなかった。ミケ子さんの子供のジョンでさえ、もう大人の猫であった。ミケ子さんよりも体は、ジョンのほうが大きかった。茶トラの猫は、からだが大きくなるというのは、本当であった。ジョンは若い猫のようだったが、子猫ではなかった。
赤ちゃんの猫の顔は、大人の猫の顔と全く違っていた。大きな丸い目で、小さな顎をしていて、毛もフワフワしていた。私は、大人の猫は子供の猫の変わりにはならないと思っていた。特にミケ子さんは、大人の猫の中の大人の猫であった。貫禄満点であった。
ミケ子さんは、ゆっくり歩く猫であった。大きな階段のところを、のしのし歩いている姿をよく見ていた。大きな垂れたお腹を揺らしながら、歩いていた。おなかに赤ちゃんがいる時など、相当ゆっくり歩いていた。そして、いつも外にいた。そして、院長先生が昼ご飯を食べ終わる時間頃になると、床の間のある座敷の掃き出し窓から、すっと部屋に入ってくるのであった。
ミケ子さんは、院長先生が座敷に来るとやってきた。
ミケ子さんは、時間を知っていたのだろうか?
院長先生の姿を、どこからか、見えていたのだろうか?
子供のころ疑問に思ったことはなかった。でも、ミケ子さんは、院長先生が遊ぶ時間になると現れた。あの時間は、ミケ子さんの労働時間だったのだろうか?
いつも、ご飯をもらっている院長先生を、喜ばせている時間だったのだろうか?
いつもご飯をもらう、院長先生ご家族に対しての、奉仕だったのだろうか?
ミケ子さんがいないときは、代わりの猫が遊びに来ていた気がする。時には、2匹の猫と遊んでくれた。
ミケ子さんは三毛猫であったので、ミケ子さの子供たちは、みんないろんな色の猫たちだった。覚えられない。色とりどりの猫たちであった。
ジョンは茶トラ、ほかの猫は覚えてないけど、色んな柄の子供たちだったと思う。ほかの猫は、名前すら、覚えていない。もしかしたら、ビートルズの名前がついていたのかもしれない。ジョンしか思い出せないし、ジョンとミケ子さんしか、顔と名前が一致する猫はいなかった。
ミケ子さんが新しく産んだ子供たちは、みんな院長先生の家の猫になっているという訳ではなかった。
おそらく、最初のミケ子さんの子供たちは、それぞれのお姉さんの子猫になった。院長先生の家の猫になっていた。
けれども、今、私が狙っていたミケ子さんの子猫たちは、みんな大人になるとどこかに行ってしまっていた。
大人の猫になって、どこかに行ってしまう前に、どうしても、子猫を抱っこしたかった。
私は、ミケ子さんが子供を産むたびに、子猫を狙っていた。何度も何度も、アジサイの下を覗いていた。
猫の赤ちゃんを見ているのは、とても楽しかった。何時間でも見ていられた。起きている時も、寝ている時も、おっぱいを飲んでいる時も、子猫は可愛かった。私は、一日のほとんどを、赤ちゃん猫の捕獲に費やしていた。いつか子猫を抱くために、そのためだけに、私は、子猫を見に行っていた。
小さく、おぼつかない足取りの猫の赤ちゃんを抱くと、きっと、ふんわり気持ちがいいのだろう。細い小さい脚は、弱弱しく可愛かった。お顔は、目を開けていても、閉じていても、子猫は可愛いかった。
目標達成のために、私は、毎日毎日、何時間も座り続けた。アジサイの木の間から覗くと、ミケ子さんは、コンクリ―の上に寝そべっているのが見える。ミケ子さんは、赤ちゃんの背中を舐めたり、顔を舐めたり、お母さんらしかった。何匹も重なり合っている、いろんな色の猫たちは、どの子も可愛かった。
ミケ子さんに、シャーッと怒られても、私は赤ちゃんの観察と捕獲の瞬間を狙うために通い続けた。私は自分の自由になる時間の全て、暗くなるまで、赤ちゃん猫を見に行っていた。
時間の経つことなど、全く気にもならなかった。
私は、どの子も可愛かったが、一番かわいいと思ったのは、白地にグレーの縞々のある猫の赤ちゃんだった。ミケ子さんには、本当にいろんな色の赤ちゃんがいた。
幼稚園がある日も、ミケ子さんが赤ちゃんを産むと、毎日見に行っていた。見るというより、狙いに行っていた。
箱庭世界は、狭くても、幸せに包まれていた。ほのぼのと、自由だった
最初に住んでいた桃の木がある家は、いつも、空き家だった。
私は、いつも自由に桃の木の家の庭に入っていた。何時間でも、そこに座ってミケ子さんと子猫を見ていた。
好きなだけ、子猫の赤ちゃんを見ることができた。
夏休みの日は、朝から一日中見ていた。
でも、本当に見ているだけであった。
子猫の赤ちゃんを、胸に抱く子緒はできなかった。
猫の赤ちゃんは、毎日毎日見ているけど、少しずつ大きくなって、ある日、突然、子猫はいなくなってしまった。
子猫たちがミケ子さんから離れると、ミケ子さんはシャーッと怒ることはなくなった。
けれども、そうなると今度は、子猫がどこにいるのか分からなくなってしまった。そして、ミケ子さんから離れた子猫は、すばしっこくて、追いかけても、捕まえることなどできなかった。
私はミケ子さんと一緒にいるうちに、どうしても、捕まえたかった。私は、執念を燃やして、子猫を狙っていた。
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