第3話

 私の楽しみは、相変わらずであった。外に出て、ハコベの葉っぱをお皿にして、ままごとをしていた。

母は、よく掃き出し窓のそばで、手鏡を手に持ち正座をして、自分の顔を見ていた。母は時々ピンセットで、自分の顔を触っていた。

 私は、それを見るのは、あまり好きではなかった。

 私は、外に出た。

 外は、相変わらずの箱庭の世界であったが、私はそれを受け入れて生きているのだと思っていた。空にから見ている人が、誰かなど、気にいなかった。

 そうした私の生活の中で、院長先生は大好きであった。私の欲しいものは、院長先生に』全てあった。近くに住むおじいちゃん、そして猫。

 外で遊んでいると、職員通用口から出てくるのが見えた。院長先生は、真っ白な髪をしていらした。父とは大して年は変わらなかったと思う。でも、院長先生は真っ白な髪をしていらして、私にとってはお爺ちゃんであった。みんなの家にいるおじいちゃんが、私のそばにもいると、思っていた。

 私が欲しくて欲しくてたまらなかったおじいちゃんが、そばにいると思っていた。

 院長先生には、お嬢さんが3人いらした。一番上のお姉さんは一番気さくな方であった。一番交流があった。ほかの2人のお姉さんは、大学生で京都の大学に通っていらした。一番上のお姉さんは、面白いあだ名で呼ばれていた。私は、本当のお名前を聞いたことがあったかもしれないけど、覚えていない。

 でも、面白いお魚のあだ名で呼ばれていたことは、覚えている。なんで魚のあだ名なっているのかは、教えてもらった。その魚が好きで、食べるのがとっても好きで、いつも

 「食べたい、食べたい。」

 と言っているから、あだ名になっちゃったと聞いていた。

 私は、お魚のあだ名のお姉さんと、2回お出かけをしたことがある。

 楽しいところに連れて行ってあげると言われた。

 お魚のあだ名のお姉さんが運転する軽自動車で、

 「よっちゃん、遊びに連れて行ってあげる。」

 と言われ、出かけたのだ。私は、自分の家に車がなかったので、少しワクワクしていた。お魚のあだ名のお姉さんの車は銀色の軽自動車を自分の車にしていた。車の中で、お魚のあだ名のお姉さんは、楽しそうに私に話していた。私は、うまく受け答えできないけど、お魚のあだ名のお姉さんは、楽しそうに話していた。

 でも、お魚のあだ名のお姉さんに連れて行ってもらったところは、子供の遊ぶところではなかった。大人が楽しいところだった。

 正直に言うと、私は公園人行くと思っていた。見合ことのないブランコや滑り台があるところに、連れて行ってくれるのだと、思っていた。それなので、着いたとき、少し戸惑ってしまった。

 確か。最初に行ったところは、喫茶店のようなところに行った。

 私は、何をしていいのか分からず、アイスクリームのようなものを食べた。きっとそこは、若者が集うような、新しい食べ物が食べられるところだったのだと思う。そこでも、お魚のあだ名のお姉さんはたくさんお話をしてくれた。お魚のあだ名のお姉さんといるのは、楽しかった。お魚のあだ名のお姉さんは、私のことを受け入れてくれていると感じた。

 もう一か所はどんなところかすら、思い出せない。

 けれども、子供の楽しむところではなかった。そこは、若者が集まるファッションモールのようなところだった気がする。とにかく、公園ではなかった。私の思っていた遊びに行くところではなかった。

 それでも、私は魚のあだ名のお姉さんとは、沢山しゃべっていた。私のことを、可愛がってくれていることは、幼い私にも分かった。私は、お魚のあだ名のお姉さんに懐いていたのだ。

 私は、お魚のあだ名のお姉さんからピアノも習った。

 お魚のあだ名のお姉さんたち姉妹は、音楽大学を出ていらした。私は、お魚の名前のお姉さんの部屋でピアノを習った。ピアノの前に座らせてもらい、お魚のあだ名のお姉さんは、立って教えていた。

 お姉さんの部屋には、アップライトピアノが置かれていた。他には、何も置いていなかったので、もしかしたら、その部屋は、ピアノだけの部屋だったのかもしれない。その部屋は、台所の奥にあった。人気のない家の中を通って、一番奥のその部屋に行った。

 私がピアノを習う時間、院長先生はお仕事中であった。院長先生の奥様は、いらっしゃらなかった。もしかしたら、お家のどこかにいらしたのかもしれないが、私は、お顔を合わせることなく、院長先生の家に行き、お魚のあだ名のお姉さんの部屋に連れて行ってもらい、ピアノを習っていた。

 お月謝を払っていたかどうかは、記憶にない。母が渡していたのか、その確認もしたことがなかった。

 けれども、頼んだのは、母だったようだ。もしかしたら、私がピアノを習いたいと、母に頼んだのかもしれない。幼稚園では、ピアノやバレエを習っている子がいた。羨ましいなと思っていた。

 私は、ピアノは習うことができた。でも、私の家にはピアノはなかった。いくらお魚のあだ名のお姉さんの前で弾けても、家で練習ができなかった。家には、ピノがなかった。

 お魚のあだ名のお姉さんが教えてくれた教本は、子供用のピアノの教本ではなかった。

 みんなが言っていたような『バイエル』ではなかった。

 今でも覚えている楽譜は、大人と同じサイズの五線紙で書かれた簡単な楽譜であった。お魚のあだ名のお姉さんの家では、すぐに弾けるのであるが、身につくものにはならなかった。やっぱり、その場だけになってしまった。私が習いたかったピアノとは、どこか違っていた。

 母は、ピアノを習わせてくれたが、ピアノを買ってはくれなかった。

 「引っ越しがあると、ピアノは大変だから。」

 と母は言い、オルガンしか買ってくれなかった。私は、いつの間にか、お魚のあだ名のお姉さんから、ピアノを習うのをやめていた。

 しかし、私とお魚の名前のお姉さんと院長先生との交流は続いていた。私は院長先生が大好きであったし、お魚の名前のお姉さんも大好きであった。

 お魚のあだ名のお姉さんの髪型は、ロングのワンレングスであった。伸ばしっぱなしといった感じの、さっぱりとした人で、お化粧もしている様子はなかった。セーターとジーンズ。シャツとジーンズといった服装であった。

 田舎にはいない、都会のような人だった。

 カッコイイ女性だった。

 お魚のあだ名のお姉さんは、私のことを、私の家族のように、

「よっちゃん。」

 と呼んでくれた。私は、自分の名前を呼ばれることが少なかった。幼稚園の先生も名字で呼んでいた。「よっちゃん」と呼ぶ人は、家族くらいであった。だから、家族以外の人から、「よっちゃん」と呼ばれるのは、うれしかった。

 院長先生は、私のことを

 「よし子ちゃん」

 と呼んでいたと思う。もしかしたら、

 「よし子さん」

 と呼んでいたのかもしれない。

 私は、院長先生から名前を呼ばれるのも、うれしかった。とても、丁寧に扱ってもらっている気がした。とても、丁寧にお話をしてくださっていた。

 挨拶も、ちゃんとしてくださった。私は、院長先生に挨拶するのが好きだった。

 接点があることが、嬉しかった。

 私は、おじいちゃんが欲しかったので、自分の存在を知って欲しかった。私の作戦だったのだ。院長先生を見つけると、必ず駆け寄って、挨拶をしに行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る