第2話
幼稚園の先生も、馴染めなかった。
私は4月生まれであった。ジャングルジムで遊んでいる時に、私が発した何かの言葉に対して、ある先生が
「4月生まれなのに、遅いのね。」
といった風な言葉を発したのだ。
子供ながらに、切ない気持ちになったのを覚えている。けなされていることも、肌で感じた。そんな幼稚園を終えて家に帰っても、私は楽しくなかった。
母は専業主婦であったが、べったり遊んだりはしなかった。私には兄が3人いたのだが、私が幼稚園に通うころには、2人の兄は小学校にも入っていた。1つ上の兄は、同じ幼稚園の年長組に編入していた。
母は、兄の小学校のPTAの仕事はしていたようだが、そのほかにも、婦人会に入っていたり、私には関心がなかったのかもしれない。
母と遊んだ記憶はなかった。
私は、幼稚園から帰ると、家の中か家の前で遊んでいた。その頃はまだ、子供が一人で自由に遊べる時代だった。
家は、北陸の公立の総合病院の敷地の中にあり、外の人間が入ることはまずなかった。
来る人と言えば、父の入院患者さんの家族か患者さんが、退院のお礼にやってくるくらいであった。車の通りもまずなかった。安全なところだった。
そもそも、7軒くらいの家があっても、住んでいる世帯は、多くて3世帯くらいであった。
車は私の家にはなかった。
この地では、珍しかった。
本当はあったようだが、父が北陸に引っ越した時、冬の雪を見て車を手放したのだ。こんな雪では、人を轢いてしまうというのだ。
そう決めて以来、我が家はずっとタクシーを使って生活していた。
タクシー券というものがあり、一か月経つと、一か月分の乗った分をタクシー会社が集金しに来ていた。ハンコが押してない券ですら、使えるほど、この地では珍しく、特別のようであった。
そんなうちの周りは、のどかであった。私の住んでいる家の周りの地形は、病院から官舎まで、なだらかな坂道になっていた。私にとって坂から下の敷地は、自由に遊べるところだと思っていた。
坂の上は、どことなくオフィシャルな場所だと思っていた。
坂の上にはすぐの場所に、公用車の駐車場があった。その車は、院長先生や父が使う車だった。
運転手さんがいつも黒い車を磨いていた。そして、その運転手さんが外にいると、私は挨拶しないといけないので、私はその運転手さんが苦手だった。
私の父は、その運転手の人と仲が良くなかったようだ。
母が言っていた話によると、最初にその運転手さんの運転する車に、父が乗ったとき、何か失礼なことをその運転手さんから言われたらしく、それ以来、二度と公用車に父は、乗ることはなくなったらしい。本来なら公用車で行くべきところも、全てタクシーで行っていた。かなり、父は頑固な人だったのだと思う。
私にとって、この病院の敷地の中での生活は、箱庭の世界のような気持でいた。
箱庭の世界は、青い空の上から見守られているような、見張られているような、そんな気持ちにさせられていた。決して、居心地が悪いわけではなかった。
この箱庭の世界の中で、私には私なりの遊びがあった。ハコベの葉っぱをお皿にして、ままごとのようにして遊んでいた。ままごとと言っても、役割などなかった。ただ、ハコベの皿に料理もどきを載せるものだ。
通用口からの坂道以外は、半分が大きな階段になっていた。大きな階段と、その途中に小さい階段があった。そこではあまり遊ばなかったが、坂道の反対は、なんの手も加えられていない、野良の土地になっていた。そこにはハコベも生えていたし、瓦礫もいっぱいあった。大きな石は、ままごとの台所にもなり椅子になった。坂は、滑り台のようにして遊んだ。ずるずると手を動かして遊んだ。
その瓦礫の坂道を滑り台のようにして遊んだせいで、右手の薬指の付け根の部分を出ていた瓦礫で切ってしまったことがある。不潔な瓦礫で手を切ってしまい、母は凄く嫌な顔をしたことを、覚えている。
病院の職員通用口から坂を下りると、7軒の家がある。一番左の家は、院長先生の家だった。院長先生の家の方は、大きな階段がある方だった。院長先生の家は一番端で、家の前には入院病棟に抜ける坂道とその前には、実がたくさんなるイチヂクの木が生えていた。
私が最初に引っ越してきた桃の木の家は、院長先生の家の隣にあった。院長先生の家と最初に越してきた家の間は、アジサイの木で仕切られていた。そして、私たちは数か月後、副院長先生が引越しされ、父が副院長になり、副院長の官舎に引っ越した。
その家は、病院の職員通用口から坂を下りてすぐの所にあった。院長先生の家から4軒目のところであった。
院長先生と副院長になった後の家の間の家に、一時期、民子さんという小学生のお姉さん家族が住んでいる時期があった。私たちよりも先に住んでいたのかもしれない。
民子さんとは、遊んだ記憶はほとんどない。遊びに行っても、家に入れてもらえないことの方が多かったと思う。
民子さんが小学校の宿題で山の絵を描いていたことがあった。坂の上、階段の上の段に座り、西の空を見ると、西の山の夕日が沈むところが見える。民子さんは、その夕日の絵を描いていた。山を二つ描いて、その間に赤い夕陽を描いていた。私は、それをずっと見ていて、とってもかっこいいと思った。
憧れた。そして、幼稚園で絵画の時間に、真似をして描いてみた。山を大きく二つ描いて、その間に、赤い夕陽を描いてみた。大人っぽい絵だった。
しかし、幼稚園の先生は、母を呼び出し、「赤い山を描いている。どこか心が、おかしいのではないか?」
と尋ねたという。
母は家に帰り、私に
「どうして赤い山を描いたの?」
と問い詰めたが、私は、うまく説明できずに黙ったままでいた。
民子さんは、気が付くと引っ越して行ってしまっていた。
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