騎士道に則って

 剣術勝負……? 俺とこの人が?


「もちろんすぐにとは言いませんよ。数日の練習期間を差し上げましょう」

「待ってください。想来は記憶を失っているのに、剣術勝負なんてできるわけがないでしょう。その提案はそっちに有利すぎるんじゃないですか」

「ベルトランさん。別に僕も考えなしにこのような提案をしているわけではありません。これは、想来さんのためでもあるんです」


 俺のため? どういう意味だ?


「僕は寮長として、この学校の生徒達が怪我や病気をするのを数多く見てきました。その中には、想来さんのように鍛錬中に体に強い衝撃を受け、記憶をなくした方もいました。話によると彼は既に記憶を全て取り戻し、卒業後も息災に過ごしているようです」

「想来の記憶を取り戻す方法を知っているのか?」

「可能性があるというだけですよ。その人の記憶に強く訴えかけるんです。その人が何をしていたのか、何が好きだったのか。あるいは繰り返し行っていたルーティンをさせることで、記憶を取り戻す可能性が高くなります」


 なるほど。学校の訓練なんかはまさに同じことの繰り返しだから、やってみることで記憶が蘇るかもしれないってことか。


「だけど、わざわざ剣術勝負をする必要はないじゃないですか」

「それはもちろん僕がしたいからですよ。言ったでしょう? これは『交渉』なんですよ。僕に都合の良い提案をするのは当然のことでしょう。納得ができないというなら、あなた方から何か提案をしてください」


 アレクサンドルもオベールも黙り込み、何か良い方法を探しているようだった。

 簡単な話、パトリックの言うことなんて聞かずに学校を出てしまえばそれで解決する話だ。だけど、みんなはそうしなかった。


「……想来。お前はどうしたい?」


 ややあって、アレクサンドルはそう言った。


「お前がしたいというなら止めない。だが、お前が嫌だというなら、俺は別の方法を考える」

「アレクサンドル、お前! 想来がこいつのものになっても良いって言うのか!?」

「嫌に決まってるだろ!……だが、パトリックの言うことにも一理ある。そう思っただけだ。パトリックが想来を相手に指名したなら、ここは俺の出る幕じゃない。想来が決めることだ。そうだろう? パトリック」

「あなたのその聡明な判断、実に気に入りました。このような出会いでなければ、僕達は良き友人になれていたかもしれませんね」


 わざとらしいくらい軽薄な口調で、パトリックはアレクサンドルに同調する。そして、くるりと俺に向きなおった。


「想来さん、あなたはどうしますか」


 俺がアレクサンドルに憧れを抱いたのは、常に俺の判断を聞いてくれるところだろう。以前、抑制剤を届けに来てくれた時もアレクサンドルは、こうやって俺に尋ねた。「お前はどうしたい?」と。


 こういう時、ジルベールならどうするだろう。どうしたいと思うだろう。


 ……いや。「俺」は、どうするべきなんだろう。


 俺はひたすら考えて、答えを出した。


「……パトリックさん。二人きりで話すことはできますか?」


 *


「怒ってましたねぇ、ベルトランさん」


 パトリックは楽しげにクスクスと笑った。


「本当に私についてきて良かったのですか? 先程、あなたに手を出したばかりなのに」


 パトリックに連れられ、生徒用の宿舎を歩く。宿舎は来客用の建物に比べて古びており、歩くたびに床がギシギシと音を立てた。壁の至るところに修繕された跡があり、床には雨漏り防止の桶が置かれている。


「あの時、パトリックさんは本気で僕に手を出すつもりはなかったでしょ?」

「どうしてそう言い切れるんです。僕だって、あなたに好意を抱いているんですよ」

「……なんとなく、かな。でも、パトリックさんが先程僕達に聞かせてくれた話を聞いた時に、きっとこの人は悪い人じゃないって思ったんです」

「さっき、とは?」

「騎士学校の運営費がどこに使われてるかって話です」

「あんな与太話だけで信用したんですか?」

「それだけじゃありませんよ。これもただの勘ですが、パトリックさんが僕をどこに連れていってるか言い当ててみせましょうか。パトリックさんの部屋でしょ?」


 パトリックは面食らった顔を見せた。


「あなたは教官達と同じ建物で快適な暮らしをするよりも、生徒達と一緒に不便な暮らしをすることを選んだ。そんなに優しい人が、悪い人なはずありませんよね」


 呆気に取られた様子で、パトリックは固まった。


「パトリックさん?」


 顔の前で手を振ってみる。パトリックはしばらくして我に返ったのか、困ったように眉を下げた。胡散臭さが少し薄まった。


「あなたって人は本当に……くだらない人ですねぇ」

「ええ?」

「そんなに簡単に人を信用するべきじゃありませんよ。悪い狼に食べられてしまいます」

「じゃあ教えてよ。今、どこに向かってるんですか?」

「僕の部屋です」

「ほら、当たってる」

「自分のことを好いている相手の部屋に、分かってて行くんですか、あなたは」

「僕だって男だ。先輩が何かしてくるつもりなら、抵抗くらいできますよ」


 思うに、パトリックは一癖も二癖もある性格をしている。本音と建前を器用に使い分け、自分の本心を悟らせようとしない。

 だけどそういう人だって、二人きりの空間では気が緩んで本音を話すことが多い。パトリックが僕を好きなら尚更だろう。


 パトリックの部屋は、宿舎の3階、階段から一番遠い場所にあった。一人で使うとそれなりに広々として見えるけど、生徒達はみんな、一部屋を六人ほどで共有しているらしい。


 騎士学校に通うのは全員が男子だ。男達がこの狭い部屋で暮らすとなると、それはとても鬱屈した……いや、もしくは男子校の如く薔薇色の生活が……ううん、考えるのはよそう。俺までBL脳になるつもりはない。


 パトリックは後手に鍵をかけた。室内にひとつだけ置かれた椅子を俺に譲り、パトリックはベッドに腰掛ける。


「それで? この僕と二人きりになるのを選んだからには、さぞかし素敵なお話を聞かせてくれるんでしょうねぇ?」


 僕は首を振った。


「ううん。僕はパトリックさんの話を聞きにきたんだ。あなたの本音を聞きたい。さっきの記憶喪失の話は、アレクサンドルさん達のためにそれらしい理由を用意しただけでしょ?」

「何故そう思ったんですか?」

「僕を自分のものにしたいと言っていた割には、理由が客観的すぎるから。もし僕が記憶を取り戻したとしても、取り戻さなかったとしても、僕がパトリックさんを好きだという確率は十分の一のままだ。だとすると、パトリックさんが言ってた『僕に都合の良い提案』は成り立たない。つまり、言ってないだけで他に理由があるってことになる」

「……なるほどねぇ」


 パトリックは頷いた。


「流石は僕が見込んだ人だ。とても頭が回りますねぇ。そうなんです。さっきの理由は僕がその場でテキトーにでっち上げた嘘なんです」


 そう言うパトリックの声は、例の如く胡散臭かった。


「では、僕の考えを見破ったあなたにだけ、本当の理由をお伝えしましょう。ですが、その前に……僕の昔話に付き合ってくれますか」


 *


「僕はかつて、騎士を志した一人の少年でした。過去の戦争で多くの手柄を立てた立派な騎士のように、僕もそうなるのだと夢を見て、学校に入ったんです。しかし、そこで見た光景は、腐敗し切った『騎士』の姿でした。教官の殆どは酒浸りで碌に授業もせず、尊敬していた教官も、そんな腐り切った教官の利権のために、学校からいなくなってしまった。絶望した少年は、自分こそは立派な騎士になるのだと息巻いて、鍛錬に励み、優秀な成績を納めるために教官に取り入り、『都合の良い』生徒を演じるようになった。そうしていつしかその少年は、『碌でもない人間』を演じていたつもりが、心の底まで染まり切ってしまった。


 少年は青年となり、卒業後、めでたく寮長の地位を得ると、青年は生徒達を厳格な『秩序』で支配するようになった。何年もかけて、自分に都合の良い世界を作り上げたんです。

 しかしある日、そんな素晴らしい世界を突如としてかき乱す存在が現れた。その少年はαやβばかり集まるこの学校で唯一のΩで、しかも自分の家から逃げるためにやってきたという。


 許せなかった。秩序を乱す存在が。現実から逃げるために騎士学校を利用したことが。青年は許せなかった。


 だから……『僕』は学校の生徒をそそのかし、『あなた』を追い出そうとした」


 ぞくりと背中が粟立つ。


 なんて薄暗い瞳をするんだろう、この人は。


「思い出しませんか? あなたが受けた、数々の虐め行為を」


 俺は首を横に振った。パトリックはそれに対して特には反応せず、話をを続ける。


「しかし僕の努力も虚しく、あなたは虐めを耐え抜いた。それどころか、努力を重ね、年に一度行われる訓練の成果を競う大会で一位になるほどの実力を得た。


 その時に僕は己の過ちに気がつきました。あなたは家から逃げ出したのではない。己の努力によって『自由』を勝ち得たのだ。僕が憧れた騎士達も、そうやって『自由』を掴み取ってきたのではないか、と。


 僕は、あなたのおかげで目を覚ますことができたんです。そして、あなたに惹かれていった。あなたを虐め、この学校から追い出そうとしたこの僕が、です」


 パトリックは拳を握りしめ、体を震わせた。強烈に何かを嫌悪しているような、後悔しているような表情だった。


「今更、許されるはずがないじゃないですか。あなたを好きになったところで、周りが許してくれるはずもなければ、あなた自身が僕を許すはずもない。僕だって自分が許せない。だから……僕は『悪役』を貫き、嫌われてでもあなたを手に入れると決めました」


「パトリックさんは悪い人じゃない」と言った時、パトリックが何故困ったような顔をしたのか、俺はたった今理解した。


 この人は、自分が悪い人間であると思い込まなければ、罪悪感で押しつぶされてしまうんだろう。


 わざとらしいくらいに悪辣な態度は、そうすることで楽になれるからなんだ。


「……あの剣術勝負は、それが理由ですか」

「ええ。無理難題を吹っ掛ければ、皆が僕を悪人だと認めてくれるでしょう?」

「だとしたら、どうして僕には話したんですか。あなたは僕が好きだったんじゃなかったんですか」

「ええ、好きですよ。でも僕が好きだったのは今のあなたではない。記憶を失う前のあなたです。自由を得るため、必死に戦っていた、あなたのことが好きだったんです」


 胸がドキッと音を立てた。


「想来さん。僕と戦いなさい。自由を得たいなら、自分の意思を押し通したいなら、自分の力で勝ち取るんです。あなたは覚えてなくとも、あなたの体にはその力が眠っているはずですから。


 しかし、あなたが僕との勝負に負けると言うなら……僕はあなたを一生自由になんかさせない。束縛して、閉じ込めて、もう二度とそこから出たいなんて思わないくらい快適な生活を送らせてあげましょう」

 

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