パトリック寮長
馬車に乗って4日が過ぎ、俺達はついに騎士学校へと辿り着いた。
「ここが騎士学校か……」
教会がお金を出して運営している学校とは違い、騎士学校は基本的には国の税金や有数の貴族の出資によって設営されている。
広大な敷地は高い塀で取り囲まれ、出入り口には重厚な鉄の扉が付いている。扉の両脇に立つ鎧姿の兵士が、俺達の前に立ちはだかった。
バヤールが許可証を門番に見せる。オベールが荷台から顔を出すと、厳しい顔付きだった門番の表情が幾分か和らいだ。
「久しぶりだな、ベルトラン。今日はどうしたんだ?」
「パトリック・モラン寮長に会いに。彼は今どこにいますか?」
「モランに? 珍しいな。お前、あいつと仲良かったのか」
「いえ。私ではなく、この男が用があるんです。私はただの付き添いですよ」
アレクサンドルは荷馬車から降り、門番の男に礼をする。
「アレクサンドル・フォーレです」
「フォーレ……ああ、もしかして町医者のフォーレさんのとこのご子息かい?」
「父をご存知で?」
「もちろん知ってる。あの人はこの町でも有名だよ。それに、俺の家族も一度世話になったことがある。あの人は滅多にいないくらいの良い医者だな」
「そう言っていただけて光栄です」
オベールが荷馬車の中から「アレクサンドル、もう行くぞ」と急かす。アレクサンドルが乗ると、馬車は再び動き出した。
「あの人は話し出すと長くなるんだ。付き合ってると日が暮れるぞ」
「……僕は挨拶しなくても良かったの?」
「許可証に名前は書いてある。咎められなかったってことは、何の問題もなかったってことだよ」
オベールの口ぶりは、門番と俺を引き合わせたくないかのようだった。
もしかして、と嫌な予感が頭に浮かぶ。
「僕、この学校でも腫れ物扱いだった?」
実家の使用人ですら、「僕」のことを疎んじていたんだ。赤の他人ばかりのこの場所で、Ωの主人公が周りからどんな扱いを受けるかは、想像に容易い。
「君がΩだということを知るのは、学内でも極僅かだったよ。あの門番の男はそのうちのひとりなんだ。君の家はこの学校に多額の出資を行なっていたから教官達も君に直接何も言うことはなかった。でも、君はもうこの学校の卒業生だし、君が卒業すると同時に君の家も援助を打ち切っている」
「彼らから何を言われるか分からないってことだよね」
「訓練兵のみんなは君のことを慕っていたから、そこは安心してほしい。だけど、君に敵意を向ける人は少ないとは言え、単独で行動するのは避けた方が良い。この学校にいる時は俺かバヤールか……それが無理なら、アレクサンドルのそばに必ずいるようにしてほしい」
自分の名前が呼ばれると思っていなかったのか、アレクサンドルは面食らった様子で俺とオベールを交互に見遣った。
「何だい、その顔は」
「いや……お前のことだから、俺には近寄るなと言うと思っていた」
「君のことは嫌いだが、認めてないわけじゃない。何があっても想来を守りたいという気持ちは同じ。そうだろ?」
「……ああ。だな」
アレクサンドルは微苦笑を浮かべながら、オベールに手を差し出した。
「何だよその手は」
「別に。そういう気分なだけだ」
オベールはその手を無視したが、アレクサンドルは怒らなかった。
あれ? ふたりの仲がちょっとだけ改善してる? もしかして馬車でずっと一緒に過ごしてたおかげで仲間意識が芽生えたのかな。
俺はてっきり、仲の悪い奴等が同じ空間にいたら更に友情度が下がると思っていたんだけど……これは検討し直した方が良いかもしれない。
馬車を学内の人間に預け、俺達は馬車から降りた。足をつけた瞬間、地面がぐらぐらと揺れるような感覚に足がもたついた。
「想来ー!」
どこからか俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきたと思えば、全身に衝撃が走る。地面に崩れ落ちる体。誰かが俺の上に覆い被さっている。
つい最近もこんなことあったな。っていうことは……
「ネル!」
ネルは歯を見せて笑った。
「想来、想来! 会いたかったよー! 想来、どうしてここにいるんだ? もしかして俺に会いにきてくれた? 俺と会えなくて寂しかった? なぁ、想来」
あ、頭を揺らさないで……脳みそがシェイクされる……っ!
「何やってんだ小僧!」
アレクサンドルがネルを引き剥がしてくれる。俺のことしか視界に入ってなかったんだろう。アレクサンドルとオベールを視界に収めた途端、ネルは盛大に顔を顰めた。
「誰かと思えばチビとオベール先輩じゃねーかよ。何でこんなところにいんだよ」
「残念だったな、小僧。想来はお前に会いにきたわけじゃない」
「あ? じゃあ何しにきたんだよ」
その時。
「僕に会いにですよ」
その場の雰囲気にそぐわない、呑気な、感情を伴わない声が俺達の間に割って入る。俺達は一斉に声のした方を向いた。そこにいたのは、モノクルを着けた糸目の男だった。
ウェーブのかかった黒髪に白い肌。糸目を縁取る長いまつ毛に、三日月のように弧を描く唇。襟元から覗く、首筋のほくろ。身に纏っている制服は汚れひとつついてなく、新品のように綺麗だ。
見るからに胡散臭いこの男は、俺がこの世界で目を覚ました時に一度会っている。
パトリック・モラン。騎士学校において、訓練兵達の生活を管理する寮長の立場にある。パトリックは元々はこの学校の生徒だったが、その模範的な生活態度と優秀な成績を買われ、卒業と同時に寮長となった。セリーヌ家の門番、ジェイドとは同期らしく、ジェイドはパトリックのことを「容量は良いが、性格はあまり良くない」と評している。
何故こんなに胡散臭い見た目をしているかと言うと、磯貝曰くパトリックは元々は悪役として設定されたキャラらしい。それが、ストーリーを練っているうちに段々と愛着が湧いてきて、急遽攻略キャラに追加することになったのだとか。
このゲームを作った人、本当に捻くれた性格のキャラが好きなんだな……。
「パトリック先輩!」
ネルは、アレクサンドルに向けていた表情とは打って変わって、パトリックを見ると笑顔になった。パトリックもそんなネルを憎からず思っているのか、細い糸目を更に細くして笑う。
「ネル。お客様に対して失礼な態度は取らないようにといつも言っているでしょう?」
「でもよ、先輩、こいつは想来のことが好きなんだぞ。ライバルは卑怯な手を使ってでも倒すべきなんだろ」
「確かに彼らは我々のライバルです。ですが、今日はお客様という立場でやってきたんですから、丁重におもてなしをしてさしあげなければ、騎士学校は野蛮な者共の集まりなのかと思われてしまうでしょう?」
パトリックは丁重な仕草で俺達に礼をする。品のある所作がかえって胡散臭さを助長している。
本当にこの人は攻略キャラなのか……?
「挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、アレクサンドル・フォーレ様。本日はわざわざ僕のためにこのような僻地まで足をお運びいただき、まことにありがとうございます」
アレクサンドルも、パトリックのこの見せつけるような上品さには眉をひそめていた。
「先日の狩りの時振りだな、パトリック」
「お久しぶりです。フォーレ様。それからベルトランさんに……想来さんも。皆様揃っていらっしゃるとは、いったいどのようなご用件なのでしょうか」
ネルはパトリックの服の裾を引いた。
「先輩。たぶんだけど、俺、こいつらの用事が何なのか分かる気がする」
「ほう。では、言ってみなさい」
突然学校にやってきた俺達を不思議に思ったのか、辺りには人だかりができ始めていた。耳を澄ませると、ひそひそと「ベルトラン先輩がどうしてここに?」「それにセリーヌ様まで」「ああ、セリーヌ様。久しぶりにお会いできたけど、本当にお美しい方だ」「あの男の人は誰だ?」「その隣にいる子、凄く可愛くない?」と聞こえてくる。
「おい待て、小僧。人前であの話はすんじゃねぇぞ」
「はっ。誰がお前の言うことなんか聞くかよ、チビ」
ネルは歯を見せて不敵に笑った。
「俺様は誰の指図も受けない。俺様に言うことを聞かせられるのは、俺様が強いと認めた相手だけだ」
不味い。もし抑制剤のことがバレたら、俺がΩだって知られてしまう。せっかくこの学校の人達は俺を慕ってくれているのに、無闇に敵を増やすようなことはしたくない。
「教えてやるよ、先輩。この男がここにやってきた理由は_____」
ネルを止めなくちゃ!
ネルは親指で自分を指差し、得意げに鼻を鳴らす。
「想来が俺を一流の騎士だと認めてくれたからだ!」
「……一流の騎士?」
「ああ、そうだ。そこにいるアレクサンドルでもない、オベール先輩でもない、ジェイドでもない。俺が一番最初に、想来に認められたんだ。信頼の証によって!」
ネルが制服のポケットに手を突っ込んだ。
「ネル!」
咄嗟にネルに走り寄った。小瓶を持った手を両手で包み、周りに見えないようにする。
「ネルに久しぶりに会えるなんて、本当に嬉しいよ!」
「想来……俺も! お前と会えて嬉しい!」
ネルは感激に目をうるうると潤ませている。俺はネルの耳元で「瓶をポケットにしまって」と他人には聞こえないように囁いた。ネルはコクコクと頷いて、ポケットに薬をしまった。
*
訓令兵用の宿舎と違い、教官の個室や客人を迎え入れるための建物は、外見は宿舎とはさほど見た目が変わらないけど、中は豪勢な作りをしていた。
「趣味の悪い建物で申し訳ありませんねぇ」
パトリックは笑みを浮かべたまま、だけど吐き捨てるように言う。
「……各国の間で締結が行われ、この国に平和が訪れてから早くも30年。しかし、毎年募集される騎士の数は変わらず、騎士学校に割かれる税金も以前と変わらないまま……いえ、むしろ増加傾向にあります。アレクサンドルさん。このお金はどこに費やされていると思いますか?」
「国防のためか? たとえ戦争が起きずとも、膨大な軍事力を他国に見せつけることによって、抑止力があるだろ」
「もちろんそれもあります。ですが、その金の殆どは、教官の私腹を肥やすために存在します。今や『騎士道』など形骸的なものでしかなく、教官達は酒を浴びるように飲み、賭け事に勤しむ暮らしをしている。……まぁ、そのおかげで『寮長』などという何の価値もないただ飯食らいの地位に就くことができたのは確かなのですがね」
厚手のカーペットの敷かれた赤い床を見つめるパトリックの表情は仄暗い。
「……関係ない話をしてしまいましたね。さて、あなた方のお話をお伺いしましょうか」
客間へと案内され、俺達は抑制剤の説明を行った。
「なるほど。これが『信頼の証』だということですか」
「ああ! 一流の騎士しか持てない、凄いモンなんだぞ!」
「……一流の騎士、ねぇ」
パトリックは受け取った抑制剤を机の上に置き、脚を組んだ。
「くだらない」
「え?」
「くだらない、と言ったんです。これを『信頼の証』などということも、そのようなくだらない提案に乗るあなた方も、本当にくだらない」
パトリックに手を引かれ、俺は気がつけばパトリックの腕の中に抱き留められていた。目にも留まらない速さだった。
「お前……っ」
アレクサンドルが立ち上がり、オベールが剣を抜く。不穏な空気が流れる中、俺は「この人良い匂いすんな」と呑気なことを思っていた。だって、本当に良い匂いだったんだ。
「そんなものなくたって、僕は想来さんを手に入れることなんて簡単にできます。むしろ、あなた方が『信頼の証』などと、くだらないおままごとに興じているのは、僕にとっては非常に都合が良い。その隙に、僕が想来さんを奪ってしまえば良いのですからね」
パトリックは俺の髪を一房取り、恭しい態度でそこに口付けをした。オベールの顔つきが更に凶悪になる。
「バヤール!」
オベールがバヤールの名前を叫んだ時、バヤールは既に俺達の目の前から姿を消していた。視界に映り込む、銀色の刃。目玉だけを動かして横を見ると、パトリックの首筋に剣を突き立てるバヤールの姿があった。
こ、怖い……。バヤール、お前も剣術が扱えるのか。でも、そうだよな。オベールの従者だもんな。
「……僕の目を盗んでそれだけ早く動けるとは、あなた、見た目の割になかなかやりますね。オベールさん。この子は君のお知り合いですか?」
「想来様から離れろ」
バヤールが低い声で(と言っても、元々の声が高いから、小型犬が一生懸命吠えてるみたいだった)唸ると、パトリックは「やれやれ」と言いたげな顔をして俺を解放する。バヤールは剣をすぐさま納め、俺の肩を抱いた。
「お怪我はありませんか、想来様」
「う、うん……」
バヤールのこんな凛々しい顔を見るのは初めてだったので、ちょっとドキッとした。
可愛い、けど、かっこいい。
「パトリック。ふざけるのも大概にしろ」
アレクサンドルがパトリックを睨みつける。
「ああ怖い。なんて目をするんですか、あなたは。恐ろしくて、思わず泣いてしまいそうです」
「そういう態度をやめろと言っているんだ。俺達は狩りの日、勝った者が想来を手に入れると決めた。あの時は素直に承諾したのに、今回は何故認めないんだ」
「あの時は、その場にいた全員で決めて納得したことでしょう? ですから、僕がそれに応じるのは当然のことです。しかし今回は違います。あなた方が僕の知らないところで勝手にルールを決め、それを僕に押し付けようとしている。こんなの、弱い者虐めと何ら変わらないじゃないですか」
パトリックの言っていることは、俺にも良く理解できた。ジェイドとネルが俺の知らないところで勝手に剣術勝負をしていた時、「まずは俺の意見を聞いてよ」と思ったから。
「ですから、その提案を僕に呑ませると言うなら、まずは『交渉』が必要でしょう」
「……交渉? お前は何を要求しているんだ」
「そうですね……では、こうしましょう」
パトリックは脚を組み替え、優雅に微笑んだ。
「僕と想来さんで剣術勝負を行いましょう。想来さんが勝てば、僕はその薬を素直に受け取ります。ですがもし、あなた方が僕の要求に応じない、あるいは想来さんが負けたなら……想来さんを、奪わせていただきます」
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