踏んだり蹴ったりも悪くない

「……ということなんです」


 馬車の中で、俺はアレクサンドルとオベールに事情を説明した。バヤールは、馬車の操縦をしているから、俺達の話は聞こえていないかもしれない。


「つまり、記憶がないから覚えてはいないけど、君にはあと2人、俺達が知らない婚約者候補がいるってことなんだね」

「記憶がないなら、どうしてそのことを知っていたんだ?」

「部屋に、2人から貰った手紙があったんです。僕だってあまり信じたくはなかったけど、あの手紙を見たら、そういう仲なんだろうなって……」


 いっそのこと、2人が怒って「君のことなんか嫌いだ」とか「結婚なんてこっちから願い下げだ」とか言ってくれれば俺としても都合が良かったんだけど、そう上手くはいかないみたいだ。


「そいつらはどこにいるんだ?」


 アレクサンドルが声を潜めて言う。


「屋敷からそう遠くない街に住んでるはずです。手紙に住所が書いてありました」

「分かった。じゃあ先にそいつらに会いにいこう」

「え? でも、予定では先に騎士学校に行くはずじゃ……」

「予定変更だ。先にそいつらに会わなくちゃ気が済まない。なぁ、オベール」

「君と意見が一致するというのは気に食わないが、同意だね。想来の心を射止めた相手を、俺達で、ちゃあんと見定めておかないとね」


 オベールはバヤールに、行き先の変更を告げる。


「はーい! かしこまりました、ご主人様ぁ!」


 バヤールは鞭をしならせた。馬車の速度が上がり、視界がぐらぐらと揺れる。


 中世ヨーロッパの世界観を再現したいのかなんなのか分からないけど、この国のインフラは現代日本と比べると、当然ながら最悪だった。申し訳程度に整備された道路はでこぼこしていて、通るたびに車体がガタガタと激しく揺れ、大きな音を立てる。


 ゲームのくせに、なんでこんなところまで再現しようとするんだよ!


 ガクン、と体が大きく弾み、その拍子に俺はアレクサンドルさんにもたれかかった。


「す、すみません」

「構わない。危ないから、俺に掴まってな」

「ありがとうございます」


 アレクサンドルさんの服を掴む。すると、アレクサンドルさんは俺の肩を抱き、体をぴったりと密着させた。


「これで揺れないだろ」


 優しく笑いかけられ、胸がドクンと音を立てる。何を男相手にときめいてんだって思うかもしれないけど、仕方ないじゃないか。アレクサンドルさんは、男の俺から見てもカッコいいんだから。

 恋と言うよりは憧れかもしれない。俺もこんな男になりたいと思わせる魅力がアレクサンドルさんにはある。


「おい、アレクサンドル。君は何をどさくさに紛れて、想来に触れようとしてるんだい?」


 オベールがアレクサンドルから俺を引き離し、腰を抱いてきた。


「全く。これだから不埒な輩は困るね」

「どの口が言ってんだ。お前だって、そう言って、想来を抱こうとしてるくせに……よっ!」


 アレクサンドルが、オベールから俺を奪い返す。オベールはムッとして、俺の二の腕を掴んだ。アレクサンドルも負けじと俺の肩を掴む。


「アレクサンドル。本当に君は気に食わない男だな。そんなに僕に想来を奪われるのが怖いのかい?」

「馬鹿言え。幼馴染だからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ。想来は誰のものでもないだろ」

「誰のものでもないと言うなら、想来から手を離すんだ」

「お前が先に離したら、俺も離してやる」


 この人達、なんって面倒臭いんだ。頼むから俺に話を振るのだけはやめてくれ。


「想来、君はどうなんだ。僕とこいつ、どっちに抱かれたいんだ」


 ほら来た! はい来た! いつもは俺の話なんて聞いてくれないくせに、こういう時だけ都合良くこっちの意見を聞いてくる!


 というか、「抱く」とか言わないでほしいんだけど。


 2人が言い争っている間も、馬車は動き続けていた。脳みそがシェイクされ、視界がぐらぐらと揺れ、内臓も揺れ……有り体に言えば、俺は完全に車酔い状態だった。


「……あの、ごめんなんだけど、ちょっと静かにしてくれると嬉しいかな」


 うう……気持ちが悪くなってきた。


「想来、顔色が悪いけど大丈夫か?」

「ごめん……馬車に乗るのが久々だったから、ちょっと気分が悪くなっちゃって……」

「それは不味いな。もう少しで街に着くから、それまで我慢できるか?」


 オベールはバヤールに、馬車の速度を落とすように命じた。速度が緩やかになると、揺れも少しだけマシになる。オベールの肩がちょうど良い高さにあったので、オベールにもたれかかって目を閉じた。オベールもアレクサンドルも、流石に今は言い争いをしている場合ではないと思ったのか、何も言わなかった。


 しばらくして、街の賑やかな喧騒が俺の耳に届いた。オベールが俺の腰を抱き、外に連れ出してくれる。


 馬車を出た途端、周りの人々の視線が俺に突き刺さった。俺はそれに気がつかないふりをして、近くの石段に腰掛けた。


「想来、僕に手伝えることはない?」

「……水、飲みたいかも」


 オベールとアレクサンドルは互いに顔を見合わせ「俺達で水を探してくる」と言い、離れていった。


 バヤールが手綱を引いたまま、馬車から降りてくる。


「大丈夫ですか、想来様ぁ……」


 バヤールは泣きそうな顔をしていた。


「大丈夫だよ、バヤール。ちょっと休んだら、すぐに良くなるから」


 バヤールはそれでも心配なようで、主人の帰りを待つペットのように、俺のすぐそばをうろうろと歩いていた。

 いや、違う。たぶんバヤールは、周りから俺を守ってくれてるんだろう。突き刺さるような視線は相変わらずだけど、それでも俺達に近づいてくる奴はいなかった。


「想来様、ボクにできることはある?」

「そうだな……僕と一緒に、お喋りしてくれる? 喋ってたら、少しでも気が紛れると思うんだ」


 バヤールは頷くと、僕の隣に座った。


 バヤール。オベールに仕える従者であり、オベールと行動を四六時中共にしているという点では、オベール同様、主人公の幼馴染という立場と言えるかもしれない。

 バヤールは謎な男だった。年齢も分からなければ、苗字も分からない。何故オベールに仕えているのかという理由も作中では明かされないらしい。磯貝曰く「作中一のミステリアスなキャラ」とのこと。


 何か裏があるのかと思えば、そうでもないみたいだ。パラメータを変化させイベントを回収することで、バヤールとも普通に結婚することができる。だけど、全てのルートを回収しても、バヤールの詳細が明かされることはない。


 悪い子ではないと思うんだけど……どうも不思議な子だな。


「バヤール。オベールがさっき、君のことを情報通だって言ってたよね。僕が今日出かけるってことを、君はどこで知ったの?」

「知りませんでしたよ」

「え?」

「知らなかったけど、何となくそうだろうなって思ったんです」


 バヤールが俺に、推理を披露してくれる。


「ご主人様は、ご自身の頭の中を整理するためにボクにご相談なさることが良くあるんです。想来様がオベール様をお屋敷にお呼びになった日のことも、ボクは知っています」

「僕がオベールを呼んだ日っていうのは……」


 バヤールが僕に耳打ちをする。

 

「抑制剤のことです。想来様はご主人様に、『アレクサンドル様に抑制剤のことを尋ねられたら、こう言ってほしい』と仰られたでしょ。つまり、近いうちにアレクサンドル様がご主人様を訪ねてくるとボクは予想しました。


 でも、ただ抑制剤のことを尋ねるためだけに、ご主人様の元を訪れるとは思えない。他に目的があるんじゃないか。そう考えた時、もしかすると、アレクサンドル様はご主人様に抑制剤をお渡しになるためにやってくるのではないかと思ったんです。


 抑制剤がなくなってるいたとしたら、想来様は新しいもの作るようにアレクサンドル様にお頼みになるはずです。ネル様は新しい抑制剤を既に受け取っていて、ジェイド様とレオ様も抑制剤のことを知っている。だとしたら、近いうちに婚約者全員に抑制剤をお渡しになるとしても、不思議な話ではありません」

 

「今日渡しに来るっていうのは知ってたの?」

 

「それは分かりませんでしたが、近いうちに訪ねてくるとは思っていました。ご主人様のお屋敷は、想来様の屋敷から一番近いところにあります。


 ですので、もし一度に全員に抑制剤を渡すとしたら、一番最初か、もしくは最後にボク達の家にやってくると思いました。


 想来様がご主人様に抑制剤のことを話してからまだそれほど日が立っていないので、これからお出かけになられると判断しました」


 なるほど。それで、一緒についていけるようにオベール達も出かける準備をしていたと。


「どうですか、パーフェクト正解ですか?」

「……うん。凄いんだね、君は」

「えへへ。ご主人様のお役に立ちたくて、頑張りました!」


 それにしても、凄い推理力だ。証拠もないのに、ここまで俺達の行動を言い当てるとは。

 だけど、ひとつだけ突っ込みどころがあるとすれば、俺はオベールに、ネルが抑制剤を持っていることは打ち明けていないということだ。

 大部分は推理なのかもしれないけど、バヤールが何か特別な情報網を持っているのは間違いないだろう。

 バヤールの前であまり迂闊なことはできないな。


「僕がアレクサンドルについていくというのは、知ってたの?」

「それに関しては勘ですが、でも、想来様のことですから、外に出られる機会は逃さないでしょ?」


 ジルベール・セリーヌは自由を求めていた。

 

「……僕のこと、良く知ってるんだね」

「想来様とは長い付き合いですから」

「ふふ。僕以上に、僕のことを知ってそうだね」

「そうかもしれませんね」


 バヤールはクスクスと笑う。可愛い。女の子だったら、人嫌いな僕でも好きになっていたかもしれない。なんてね。


「ねぇ、バヤール。僕ってどんな人だったの?」

「想来様はとてもお優しい方でしたよ。でも、お屋敷にいる時の想来様は、いつも寂しそうな顔をなさっていました。まるで、翼があるのに飛べない鳥のようでした。いつも青い空を見上げて、いつか飛び立つ日を夢見ているような、そんなお方でした」


 随分と綺麗な例え方をするな。


 俺はゲームをやっていないから、ジルベールのことは良く知らない。でも、寂しい人だったということだけは知っている。

 

「でも、学校には行けたんだよね」

「それは、ご主人様の説得があってのことです。ご主人様が、何があっても想来様を守るからって、想来様のご家族を説得してくださったんですよ。それがご主人様にとっての『責任』なんです」

「責任?」

「想来様に、『自由』を教えてしまった責任であると。ご主人様はそう考えています」


 責任、か……。


 オベールがジルベールに外のことを教えなければ、ジルベールは外に出ることを望まなかった。自由を知ることはなく、自分の幸福か不幸かも考えることもなく、与えられた役割を果たすことに一生を捧げることができた。


 以前、磯貝が言っていたことを思い出す。俺が何気なく尋ねた問いに対する返答だった。


『ジルベールって本来なら家の外にも出られないし、勉強もさせてもらえなかったんだよね。だとしたら誰が侯爵家としての仕事を務めることになってたの?』

『当主と血縁関係のある、αのご家族がするんでござるよ。現当主のルシアン・セリーヌ殿にも実のお兄さん、フロラン・セリーヌ殿がいるでござろう? 今も、あの方が侯爵としての役目を担ってるんでござるよ』

『じゃあ、ルシアンの仕事は? ルシアンは何をしてるの?』

『……より多くの優秀な世継ぎを産むことがΩの役目でござる。それはセリーヌ家でも変わらないでござるよ』

『じゃあ、ルシアンとジルベールは……』

『セリーヌ家の当主とは、名ばかりなんでござるよ。彼らは、実権を持っていなければ、家族に逆らう権利も持っていないんでござる』


 何故ジルベールが外に出るのを許されていなかったのか。何故次期当主でありながら、使用人がジルベールに向ける視線は冷たかったのか。全てを理解した時、俺はジルベールが尚更可哀想だと思った。


「想来様。ご主人様のことを、どうか嫌いにならないでほしいんです。あの方はずっと後悔してるんです。子供の頃、自分が何気なく話したことで想来様が苦しむことになってしまったんじゃないかって、ずっとお悩みになっているんです」


『心配に決まってるじゃないか。君の美しい体に傷がつくなんて、俺には耐えられないよ』

『本当に大丈夫かい? 君は我慢強い人だ。誰にも相談せずにまた一人で抱え込もうとしてるんじゃないかい。何か力になれることはない?』

『たとえどんな敵が来ようとも主人を守るのが騎士の役目だ。君なんかに想来は渡さないよ』


 ……オベール。お前だって「僕」と同じじゃないか。好きな人には何も言わず、一人で後悔して、悩んで、それでも好きだから守り続けると決めて、記憶がなくなった「僕」のそばに今もいるなんて……


 悔しい。カッコいいじゃん、お前。ただの嫉妬深い気障野郎だと思ってたのに。


「……嫌いになんて、ならないよ」


 バヤールの頭を撫でる。バヤールは気持ち良さそうに目を細めた。


「ご主人様と結婚してくれますか?」

「それとこれとは、また別の話かも。ごめんね。……でも、良いの? 君も、その……僕のことが好きなんじゃないの?」

「はい。大好きです。でも、ボクの一番の幸せは、ご主人様が幸せになることですから。ご主人様が幸せなら、ボクはそれで良いんです」


 バヤール。お前も良い奴だな。



 バヤールと喋っているうちに、気分も落ち着いてきた。話すこともなくなって、ふたりでのんびりと空を眺めていると、賑やかな会話が俺達の方に近づいてくる。


「アレクサンドル、それを渡すんだ。俺が想来に水を飲ませてやるんだ」

「井戸を見つけたのは俺だ。想来に水を飲ませる権利は俺にある」

「誰が水を汲んでやったと思っているんだい?」

「だが、毒味をしたのは俺だろ?」


 視線で火花を散らしながら俺達の元に戻ってきたアレクサンドルとオベールは、水の入った瓶を同時に手渡してくる。


「「想来!」」

 

 ここまで来たら、逆に仲良しなんじゃないの、お前ら。


 大の大人が水を持って言い争いをしている状況が面白すぎて、俺は笑った。バヤールも釣られたように噴き出す。


 アレクサンドルとオベールはお互いに顔を見合わせ、首を傾げた。

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