何でお前が!?

 自分の部屋に戻った俺は、磯貝にしこたま怒られた。


「自分から好感度を上げるような態度を取るなんて! 本当にゲームの世界から出るつもりがあるんでござるか!? 見るでござるよ、ほら……レオ殿の好感度が96になってしまったでござる!」


 画面越しに唾を飛ばさん勢いで散々言われたけど、多分こいつはジルベールの裸が見られなかったことに腹を立ててるだけだろう。全く、俺にやつ当たりするのはやめてほしいよね。


「元はと言えば、お前が風呂に入りたいなんて言わなければ、あんなことにはならなかったんだからな」

【……てへ】


 ごまかすな。可愛くなんかないからな。


 とは言え俺も、自分が馬鹿なことをした自覚はあった。好意を向けている相手に、一緒に風呂に入るように誘うなんて……。レオが良い奴だから助かったけど、相手によっては無事では済まなかったかもしれない。


 でも、あの時はああしなくちゃいけないような気がしたんだ。俺の体に残るジルベールの「記憶」が、レオを弟として、家族として扱うことを望んでいたから。それが最善だと思った。


 そういえば、俺の意識がジルベールの体に乗り移った今、ジルベールの意識はどこにあるんだろう。

 そもそもゲームの登場人物に俺達のような意識や人格なんてものがあるかは謎だけど……。

 

「お前って、こういう憑依? 系の作品には詳しいんだろ。ジルベールがどこに行ったかとか知らないの?」

【残念ながら、拙者にも良く分からないでござる。でも、朝日奈氏の様子から見るに、もしかしたら朝日奈氏がジルベールたんの体に乗り移ったことで、ジルベールたんは眠らされてしまったのかもしれないでござるね】

「眠る?」

【たとえばでござるけど、記憶喪失を起こした時、起こす前と起こした後では性格が別人のようになるでござろう? でも、ふとした拍子に過去の記憶が断片的に蘇ることがあって、記憶があった時のような振る舞いをすることがある。……朝日奈氏とジルベールたんは実際に別人でござるが、似たようなことが起きてるんじゃないでござるか?】


 なるほど。それなら、この体にジルベールの記憶が残っているのも納得がいく。だとすると、ジルベールの意識を取り戻すことができたら、俺もこの体から追い出される形で元の世界に戻れるのかもしれない。


「でも、取り戻すって具体的には何をすれば良いんだよ……」


 俺が頭を抱えて悩んでいると、「話は変わるんでござるが」と磯貝が言う。


【この前朝日奈氏に頼まれたこと、調べてみたでござるよ】

「この前……あ、あのことか。どうだったの?」

【残念ながら、今のところは収穫なしでござる】


 俺は以前磯貝に、このゲームの制作者に連絡が取れないか頼んでみたんだ。ここ数日でいろんなことがあり過ぎて、すっかり忘れていた。


【制作者……『ニゲラ』氏と言うんでござるが、その人のSNSのアカウントにDMを送ってみたでござる。でも、そのアカウントは随分前に更新を停止しているでござるから、正直なところ望みは薄いでござるね】

「そっか……」


 作者とコンタクトが取れれば、何か進展があると思ったんだけどな。

 

【でも、これからも返事が来てないか定期的に確認するでござるよ。他にも拙者にできることであれば何でも言うでござる。だから元気を出すでござる!】

「……ありがとう」


 磯貝は良い奴だ。自分の好きな作品を押し付けてきたり俺(ジルベール)の裸を見ようとしてきたり、変態な奴じゃなければ、もっと素直に感謝できるんだけどなぁ。

 とは言え、俺も磯貝のそんな性格に救われている部分はある。


 でも……。


「しばらくの間、こうやって磯貝とは喋れなくなるんだな」


 外に出れば大半の時間をキャラと過ごすようになるから、通信機能は使えなくなる。キャラの好感度や友情度を逐一確認することもできなくなるし、磯貝と喋ることもできない。


 ここからしばらくの間は、俺一人で頑張らなくちゃいけないんだ。


「……寂しくなるなぁ」

「朝日奈氏……」


 でも、磯貝に頼ってばかりじゃいれられないもんな。俺も俺で、頑張って解決の糸口を探さなくちゃ。


 だから、磯貝。俺、頑張るから。……俺のこと、空から見守っててくれよな。

 

【勝手に拙者を殺すな】

 


 *



 ついに外に出る日がやってきた。部屋で待っていると、レオがやってきて、俺を客間へと案内する。


「アレクサンドルさんから抑制剤は受け取った?」

「はい。この通りに」


 レオは服の襟に手を入れ、首にかけていた紐をたぐり寄せる。すると、掌に収まるサイズの小さな瓶が出てきた。


「首からかけておけば、なくさずに済むね」


 レオはゆっくりと頷き、俺をジロリと睨んだ。


「義兄さん、僕に何か言うことがあるんじゃないですか?」


 胡乱げな視線に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「……ごめん」

「何がごめん、なんですか」

「えっと……外に出ることを、君に言わなかったこと、かな」

「他の人の口からそのことを聞かされた僕の気持ちが分かりますか?」

「レオを悲しませたくなくて、打ち明ける勇気がでなかったんだ」

「他人から聞かされた方がよっぽど傷つきますよ。僕ってそんなに信頼できませんか? 僕のことを家族だと仰ってくださったのは、義兄さんじゃないですか」

「レオのことを信頼していないわけじゃない。ただ、お風呂の件もあったし、この家ではどこで聞き耳が立てられているかも分からないでしょ。あまり、抑制剤のことは他人には知られたくなかったんだ」


 レオは屋敷で働く他の使用人と違って、絶対に俺を裏切らないだろうから、レオを一緒に連れていくことも考えた。

 だけど、レオはそもそも屋敷の外に出ることを殆ど想定されていないキャラクターだ。下手に連れて出したりしたら、どんな不具合が起きるか分からない。


「誰から聞いたの?」

「先程フォーレ様から伺いました。フォーレ様も、僕が知らないと知って驚かれていましたよ」


 どんなに言い訳をしようと、俺がレオに隠し事をしていたことに変わりはない。レオを傷つけてしまった罪悪感から、胸がチクチクと痛んだ。


 レオは大きなため息を吐く。


「僕だって分かってるんです。ご一緒したところで、僕が義兄さんのお役に立てることなんて、ないってことは。だけど、せめて相談してほしかったです。もし義兄さんが僕に相談していてくだされば、あんなことには……」


 ん? あんなこと?

 

「義兄さんが外に出ることも反対はしません。僕が反対したところで義兄さんの意思は変わらないでしょう。それにフォーレ様は信頼のおける方ですから、あのお方になら安心して義兄さんを任せられます。ですが、ですが……!」


 レオはギリ、と歯を食いしばり、拳を震わせる。


「ベルトラン様もご一緒するとは、いったいどういうことなんですか! 義兄さんは僕よりもあの者を信頼しているんですか!?」


 ……なんでそこでオベールの名前が出てくるんだ。


 応接間のドアノブに触れた時、嫌な予感がした。扉の向こうで、何か良くないことが起きている予感が。

 意を決して扉を開ける。すると……。


「やあ、想来。待っていたよ」


 客間のソファに腰掛けたオベールが、優雅な仕草で出されたお茶を飲んでいる。その向かいには、額を手で押さえて項垂れているアレクサンドルの姿があった。そして、オベールの隣に凛とした姿勢で立っているのは、バヤールだ。


「オ、オベール。何でおま……君がここにいるの?」

「君についていくために決まってるじゃないか」


 何がおかしい、と言いたげな表情に、一瞬視界がクラっとした。へたり込みたくなるのを済んでのところで堪え、壁に手をついて立つ。


 落ち着け、俺。素を出すな。何があってもジルベールを演じ続けるんだ。

 

 俺が外に出るということは、レオを除くジルベールの家族とアレクサンドル以外には隠していた。表向きは、抑制剤のことを関係者以外に知られないため。そして、本当の理由は、攻略者のパラメータの調節のため。

 嫉妬深いオベールには、特に知られたくなかったのに。

 

「アレクサンドルさん、これは一体……」

「……悪い、想来。何故かは知らないが、オベールにバレちまったみたいだ」

「うちのバヤールを甘く見ないでほしいな。バヤールはこう見えてかなりの情報通なんだ。この子の前ではどんな情報も筒抜けだよ」


 バヤール、お前……! なんてことをしてくれてんだ。


 オベールの隣に立っていたバヤールが、にこっと俺に笑いかけて、小さく手を振ってきた。

 そんな可愛い顔をしたって無駄だからな。俺は怒っているんだ。

 バヤールを睨みつける。バヤールはきょとんと目を瞠ったかと思うと、瞳をうるうると潤ませて泣きそうな顔をした。


 そんな顔をしたって……無駄なんだから……。

 

 ……無理だっ! 人を泣かせるなんて、コミュ症でチキンな俺には耐えられない。ただでさえレオを傷つけたことで胸が痛いのに、バヤールまで泣かせるなんてできないよ。

 

 手を振り返すと、バヤールはコロッと表情を変え、花が綻ぶような笑顔を見せた。

 オベールはムッと表情を険しくする。


「バヤール。俺達はこれから大切な話があるから、お前は外に出ていろ」

「かしこまりました、ご主人様っ!」


 バヤールは恭しく礼をして、退散した。部屋に残されたのは、俺とオベール、そしてアレクサンドルの3人だけだ。


「……」

「……」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。


「……で? どういうつもりなんだ、オベール」


 重い沈黙をアレクサンドルが破る。オベールは涼しい顔をして、ティーカップに口をつける。

 

「どういうつもり? それはこっちの台詞だよ。抜け駆けだなんて酷いじゃないか」

「抜け駆け? 違う。俺は抑制剤を届けにいくだけだ」

「信頼の証、とやらのために? だったら、どうして想来を連れていく必要があるんだい? お前ひとりで勝手に持っていけば良いじゃないか」

「違うんだよ、オベール。僕がアレクサンドルさんに、一緒に連れていってほしいって頼んだんだ」


 俺は事情を説明した。記憶喪失になった以上、婚約者候補の10人と改めて会って、為人を知るべきだと思ったこと。そうしなければ不公平だと思ったこと。

 そして、抑制剤を皆に渡すに至った経緯。


 全てを話しても、オベールは納得がいかないみたいだった。


「だとしても、やっぱりおかしいよ。君はこいつにずっとついていくつもりなんだろ。その時点で、公平性を保つという本来の目的と矛盾する。それにふたりきりになって、アレクサンドルが君に何かをしないとも限らない」

「アレクサンドルさんはそんなことしないよ」

「どうしてそんなことが言い切れるんだい?」

「これまでだって、僕は抑制剤の作成のために何度だってアレクサンドルさんとふたりきりになったはずだ。もしアレクサンドルさんが僕に何かするつもりなら、とっくの昔にやってるはずだよ」

「記憶をなくしている君が、どうしてそう言い切れるんだ。どうしてこの男を信用できるんだ」

「それは……僕がオベールを信用してるのと同じ理由だよ」


 オベールは驚いた顔を見せた。


「僕は確かに、以前の記憶がない。みんなと過ごした日々も忘れてしまった。でもね、これだけは分かるんだ。みんながろくでもない人だったら、以前の僕はそもそもみんなを婚約者候補なんかに選ばないって。だから僕は、みんなを信じることにした」


 僕は笑みを作り、オベールに向けて微笑みかける。


「オベール。アレクサンドルさんのことを疑うのも分かるけど……オベールの方こそ、僕とふたりきりになった時、僕にしようとしたりなんかしてないよね?」


 僕は覚えている。この世界にやってきた日、つまりは落馬したジルベールが目を覚ました日のことだ。

 オベールは俺の腰を抱き、額にキスをした。「ここには君と俺の2人しかいない」なんて言って。


 オベールには、アレクサンドルを責める権利なんてない。

 もしアレクサンドルにこれ以上問いただすつもりなら、俺はあの日のオベールの行動を暴露してやるつもりだった。

 

 オベールは俺の言いたいことが分かったんだろう。


「……分かったよ。俺も、想来の言うことを信じよう」


 まごついた口調でそう言って、咳払いをする。


「想来。俺もひとつ、君に質問して良いかな」

「何?」

「先程君は、『10人の婚約者候補』と言っていたけど、それはおかしいんじゃないか」


 ……あ、やべ。


「どういうことだ、オベール」

「この間の狩りのことを思い出してほしい。あの日、狩りに参加したのは全員で何人だった?」

「ああ……確か、俺とお前、レオ・セリーヌ、ジェイド・シュバリエ、ネル・アンリ、パトリック・モラン、あとお前のところの従者と……全員で7人だ」

「うん。それともうひとり、仕事で参加できなかった先生がいるよね。これで8人だ。想来の言う通りなら、あと2人足りないことになる」


 アレクサンドルがハッとしたように、懐から小瓶を取り出し、テーブルの上に置く。


「俺も違和感があったんだ。薬を10個用意してほしいと言われた時、想来は予備の分も作ってほしいと言っているのだと思っていたが……」


 2人の視線が、同時に俺へと向けられる。


 磯貝に尋ねなくとも分かった。頭の中で、2人の友情度が下がっている音が聞こえた。


「想来、どういうことなんだい?」

「説明してもらおうか。馬車の中で、ゆっくりとな」


 ……くそ、何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ! 悪いのはおバグり散らかし遊ばされたゲームのせいなのに!

 

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