どいつもこいつもギスギスしやがって

 俺が様々なことをつらつらと思っている間もクロードはレオの良さを語っている。俺はルシアンのことが気になって後半部分はほとんど聞いていなかった。


「……いい加減にしろ」


 リアムが痺れを切らして声を上げる。声には怒りが滲み出ていたけど、マナーを守らないのはプライドが許さないのか、食いしばった歯の隙間から絞り出されたような声だった。


「カンパネラ卿。自分の息子を売り込むとは感心できる態度じゃないな。仮に俺の弟があの召使いを選んだとしても、あなたがβでありながらαを騙った事実がなくなるわけじゃない。たとえ父上があなたを許したとしても、俺は一生あなたのことを許すことはないだろう」


 リアムの鋭い眼光に、クロードは震え上がった。


「売り込むだなんて……そんな……私はただ……」


 クロードは自分の表情を隠すように俯き、紅茶を飲む。

 

 窓から差し込む美しい日差しですら中和できないくらいに、室内の空気が澱んでいる。

 ああ、これだから家族とは会いたくなかったんだよな。せっかくの食事の時間だっていうのに、ずっとギスギスしている。この世界の住人は喧嘩腰でなければまともに会話もできないのか。

 こんなところにレオを介入させていたら、余計会話が拗れてしまっていたかもしれない。……複雑だけど、レオの言う通りにしていて良かった。


 俺はパンをもそもそと食べながら、これから起きるであろうイベントに思考を巡らせた。

 攻略キャラの恋愛イベントを通して分かったことがある。それは、イベントクリアの判断基準だ。

 俺は原作を未プレイだからストーリーを詳細には知らないし、攻略キャラ全員に求愛されるという不具合だらけのこの状況で、原作通りのストーリーをなぞれているとも思えない。それなのに無事翌朝を迎えられているということは、ゲームシステムがイベントをクリアしていると判断したってことだ。つまり、イベントをクリアするにあたって重要なのは「原作のシナリオ通りに行動する」ことではない。

 イベントをクリアしたかどうかの判断基準は恐らく、「イベント内選択肢を表示させる」あるいは「主人公が適切なステータスを用いる」。このふたつだろう。


 今回のイベント内容からして、与えられる選択肢は……。


「……記憶をなくす前の僕は、どんな人だったんでしょうか」


 よっつの目が俺の方へ向けられる。


「あれほど大勢の人の慕われるお人柄なんて、僕には全く想像がつきません」

「人柄なんてどうでも良い。どうせ奴等はこの家の地位が目当てだろう」

「そんなことないと思います。何よりみんな、僕の家に嫁がなくとも、由緒正しい家柄の人達ばかりじゃないですか。オベールは伯爵家ですし、アレクサンドルだって、フォーレ家と言えばこの辺りでは代々続く医者の家系なはずです。他の人達だって_____」


 これ以上詳細に話すと記憶喪失でないことがバレてしまうかと考え、口を閉ざす。俺の言葉尻に重ねて、リアムが言う。

 

「たとえそいつらが市井でどんな評価をされていようと、王族の血に勝るものはないだろう」


 ドクンと心臓が跳ねる。内心で起こったその動揺を押さえつけるように、「僕」は自分の髪を撫でる。


「忘れるなよ。お前の体に流れている血を欲している者が大勢いるということを。お前がどんなに抗ったところで、セリーヌ家の宿命から逃れられはしないということを」


 リアムはクロードを一目睨んで、冷静な所作でフォークとナイフを置いた。喋りながらも、皿の上はすっかり片付けてしまったようだった。


「ならば何故、僕には10人もの候補者がいるのですか? そんなにセリーヌ家の血筋が大事だと言うなら、僕に婚約者を決めさせるということはせずに、リアム兄さんやお父様が決めてしまえば良かったではありませんか」

「それは……」


 リアムが何かを言いかけた。一瞬閉じられた口はすぐに開かれたが、次に続いたのは


「お前はどうするつもりだ」


 という、具体性に欠けたものだった。


「どういうつもり、とは?」

「今更新たな婚約者を探したところで時間が足りない。ならば、お前が見つけた候補者から相手を選ぶしかないだろう。どうだ? 何人かにはもう会ったんだろ。目ぼしい相手は見つかったか?」


 その時、俺の目の前に透明のパネルが出現する。


【結婚相手は既に決まっています】

【まだ決められていません】


 やっぱり選択肢はこのふたつか。下の選択肢を選んだ場合、本来ならば三角関係ルートに突入する。だけど、今はどうだろう。


 俺は頭を下げる。


「まだ決められていません」

「でしたら_____」


 尚も口を挟もうとするクロードを邪魔するように、リアムが嘲笑する。


「お前ならそう言うと思っていた。そうやってはぐらかして、シラを切るつもりなのだろう。だが、そうはさせないぞ。そこまでお前が言うなら、俺が代わって選んでやろう」

「待ってください、お兄さん。その前にひとつ、僕の頼みを聞いてはくれませんか?」

「……頼みだと?」

「はい。ひとつだけで良いんです。聞き入れてくだされば、その後はリアム兄さんの言う通りにします」


 リアムが探るような視線を俺に向け、低い声で「頼みとは何だ」と問う。俺はもう一度頭を深く下げ、息を大きく吸った。


「……半月ほど、外出の許可をいただけないでしょうか」


 リアムの眉間に深いしわが刻まれるのに気がつかないふりをして、矢継ぎ早に続ける。


「僕はまだ以前の記憶を取り戻せていません。こんな僕のことを愛してくれる人を、僕は全く覚えていない。ベルトランさんとは何度も顔を合わせていますが、目を覚ましたあの日以来、一度も顔を合わせていない人もいるんです。このような状態で婚約者を選ぶというのは、かつての僕を愛してくれた人に失礼だと思います。せめて全員の為人を見てから、僕に相応しいと思う相手を決めたいんです」


 冷ややかな視線が俺へと注がれる。リアムは汚いものを見た時のような顔をしていた。


「くだらない。お前はそうやってまた逃げるつもりか。オベール・ベルトランにそそのかされ、奴と共に外に逃げた時のように」


 ジルベール・セリーヌは、何不自由ない暮らしをしていた。衣食住には困らず、要求があれば自分が動かなくても周りに命令をすれば良かった。見目麗しく、王族の血を引く侯爵の次期当主で、裕福な暮らしが一生続くことが保証されている。何も知らない人がジルベールを見たならば、何て幸福な人だと思っただろう。

 

 だけどジルベールは自分のことをいつしか不幸だと思うようになっていた。「何もしなくて良い」は「してはいけない」だった。ジルベールはセリーヌ家の血を後世に残すためだけに生まれ、それ以外の生き方は許されなかった。外に出ることはできず、何年も大きな屋敷の中に閉じ込められ、ただ大人になる日を待つ生活。ジルベールの唯一の楽しみは、オベールが屋敷にやってきて、外の話を聞かせてくれる時だった。ジルベールはいつしか外の世界に憧れを持ち、自分も外に出たいと思うようになった。

 

 学校に通ったのは、外に出るための口実でしかなかった。セリーヌ家もそれを分かっていた。だから、剣術学校を卒業するとすぐにジルベールを家に連れ戻し、これ以上の自由は許さないとばかりに結婚を言い渡した。


 俺が目を覚ましたのはその少し後だ。


「成人はとうに迎えているというのに、お前はいつまで子供のつもりでいる。いい加減に次期当主としての自覚を持ったらどうだ」


 リアムの言うことも理解はできる。リアムから見たら、俺の行動は結婚を何とかして引き伸ばそうとしているようにしか見えないだろう(というか俺だって、できることなら結婚したくないし)。


 だけど、こうも威圧的な言われ方をすると、流石に腹が立ってくる。


「そんなにおっしゃるなら、リアム兄さんが結婚なさって、跡継ぎをお産みになったらどうですか?」


 俺は何の気なく、ただ素朴な疑問をぶつけたつもりだった。さっきまでのようにリアムは怒りつつも冷静に言い返してくると思っていた。

 だけど結果は違った。


 リアムは雷に打たれたような顔をして固まった。大きく見開かれた目がわなわなと震え出す。クロードが信じられないと言った顔で俺を見ていた。


「俺に子供を産め、だと……?」

 

 異様な緊張感が部屋中に立ち込める。どうやら俺はリアムの地雷を踏んでしまったらしいということだけは分かった。


「リアム、落ち着きなさい」


 そこに鈴を転がしたような静かな声が聞こえてくる。ルシアン・セリーヌが持っていた扇で口元を隠し、俺達を見据えていた。


「想来は今記憶がないんだ。あなたのことを知らなくても無理はない」


 リアムはハッとなって、だけど相変わらず憎らしげに俺を睨む。


「まだ時間はある。我が家のことは、これから知っていけば良い」

「……ですが父上、こいつは俺を侮辱したんですよ! 記憶喪失なんてどうせ嘘だ! こいつはただ外に出る口実が欲しいだけで_____」


 ぱちん、と扇を閉じ、ルシアンは扇を持った手をまっすぐ前へと伸ばす。扇の先から線が伸び俺とリアムの間を分断するかのように、リアムはルシアンのその姿を見るとすぐに俺から視線を逸らし、大人しくなった。


「想来」


 透き通った声に名前を呼ばれ、自然と背筋が伸びた。ルシアンは目を凝らして俺をじっと眺める。

 

「外にはいつ出ていくつもり?」

「1週間後です」


 何かを探るような視線の動きに気分が落ち着かなくなり、俺はまた髪を手で撫でた。

 

 不意に、凍てつくようだった視線が和らぎ、ルシアンは微笑んだ。

 

「馬車を用意させます。約束通り、ちゃんと戻ってくるように」

「……本当に良いのですか?」


 まさかこんなにあっさり許可を貰えるとは思えなかった。

 俺だけじゃなく、クロードも驚いている。リアムは苦々しい表情をして力なく座っている。ルシアンはただひとり、優雅な仕草で扇を扇ぎ、目を細めた。


「我が子の望みを叶えてやりたいと思うのは、親として当然のことだ。……私の気が変わらないうちに行きなさい」

「……父上のお心遣いに感謝します」



 こうして俺は屋敷の外に出る許可を得た。

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