ついにご対面か……。
翌朝目を覚ますと、頭の包帯が取れていた。
「朝ご飯の支度が整いました。食堂にご案内します」
怪我はすっかり治ったってことだろう。昨日まではレオに食事を持ってきてもらったけど、今日からは自分で食堂まで向かわなくちゃいけないのか。
髪と服を着替え、廊下に出ると、レオが「失礼します」と言って俺の胸元に手をかける。また、服が乱れていたらしい。
「旦那様との久しぶりの会食なのですから、身だしなみは整えておかないと」
「僕のお父さんって厳しい人?」
俺の声に不安が滲み出ていたのか、レオは俺の手を両手で包み込むように握りしめ、目を細めて微笑んだ。
「いいえ、とてもお優しい人ですよ」
俺が食堂の場所を覚えていないと思ったのか、レオは俺より少し前を歩いてくれる。俺は手持ち無沙汰に服の裾を掴み、レオの後ろをついていく。
……ついに主人公の家族とご対面ってわけか。磯貝からそろそろイベントがあるだろうからって情報を教えてもらっているけど、荷が重いなあ。でも、家族と会えるのはチャンスだ。会えるうちに、あのことを話しておかなくちゃいけない。
食堂の前にたどり着いた。レオはドアの横にさっと避け、ドアの取手に手をかける。
「もうじき食事の時間が始まります。行ってらっしゃいませ」
俺は部屋に入ろうとして、ふと違和感を覚えた。
「レオ、君は行かないの?」
レオは首を横に振った。
「僕は行けません。家族と極一部の限られた人以外は食堂に入ってはならないのが、この家のルールです」
「君は家族でしょ?」
「でも血は繋がっていません」
当然のように答えるレオに目眩がした。血が繋がってないから、食堂に入れないだって? そんなのおかしいじゃないか。
「行ってらっしゃいませ、想来様。ご家族がお待ちしていますよ」
何の曇りもない笑みを浮かべるレオに、場違いな怒りを覚える。
どうしてだよ、レオ。お前は俺が「家族」と言ったらあんなに嬉しそうにしていたのに、本心ではそう思ってなかったのか?
「家族」と言ったくせに、俺はレオを置き去りにするのか?
義理の弟とは思えない質素な服に、16にしては細い体。対する俺の格好を思い出し、やり切れなさに唇を噛む。また、胸がざわついた。ジルベールの体に残る記憶が、レオをここに残しては駄目だと告げる。
俺はレオの手を掴んだ。
「僕が君に言ったことは嘘じゃない」
「……」
「僕の言葉を信じてくれるなら、一緒についてきてくれる?」
レオは弱々しく首を振る。
「ありがとうございます。……でも、ご遠慮させていただきます」
「どうして?」
「義兄さんのお言葉を疑っているわけではないんです。ただ……僕にはまだ、父上に会う勇気がないんです」
ハッとなってレオから手を離す。レオは恭しく礼をすると、目を細めてはにかんだ。
「想来様。僕のことはお気になさらないでください。僕はもう、父上に会えなくて泣いていたあの頃のままではないんです。……なんて、今のあなたに言っても分からないかもしれないですけどね」
「僕」は記憶をなくしているという設定になっている。ここで下手に同情するようなことを言っても信じてもらえないだろう。
レオは続けて言う。
「それに、僕が食堂に入れば父上は何としてでも僕と義兄さんを結婚させようとするでしょう。義兄さんがまだご決断されていないのに、場を混乱させるようなことは言えません」
レオは自分のことだけでなく、俺の心配までしてくれている。その優しさを反故にしてまでレオを連れていくことはできなかった。
俺は食堂へ続く扉をしばらく眺めてから、レオの方を振り向いた。
「記憶をなくしている僕がこんなことを言っても説得力なんてないかもしれない。でも、信じてほしいんだ。たとえこの先僕が誰を選んだとしても、君が僕の家族じゃなくなるわけじゃないってことを」
俺はレオの手を握りしめる。こうやって何度もレオの手を握りしめたような気がした。きっとこれもジルベールの記憶だろう。
この言葉が適切でないことは分かっている。でも言わずにはいられなかった。
「レオ……大好きだよ」
呆気に取られた表情のレオが、次第に顔を歪ませていく。今にもこぼれ落ちそうな涙を、瞬きをしないことでレオは必死にこらえていた。震える唇がゆっくりと持ち上がる。
「はい……。僕も義兄さんのことを愛しています……っ」
俺は一度頷いて、扉を開けた。
*
食堂は広々としていた。部屋の隅には置き時計と暖炉が置かれている。大きな窓から差し込む日差しが部屋を四角く照らした。
大きなテーブルに、3人の男が腰掛けている。
主人公の実兄、リアム・セリーヌ。レオの実の父親にして主人公の義父であるクロード・セリーヌ。そしてセリーヌ家現当主のルシアン・セリーヌだ。
「遅いぞ。いつまで待たせるつもりだ」
鋭利な矢のような声が鼓膜を震わせる。テーブルを見遣ると、1人の若い男が俺を睨んでいた。その表情の冷たさにぞくりと肌が粟立つ。
自ずと視線が下に下がった。頭を下げ、自分の靴を見つめる。
「……リアムお兄さん、おはようございます」
リアム・セリーヌ。こいつもαだけど、主人公の実兄なので攻略対象ではない。どっちかと言えば物語における悪役タイプだ。
性格は傲岸不遜。セリーヌ家の血統を重んじる一方でα至上主義でもあり、Ωのジルベールを常に見下し妬んでいる。そして、血の繋がっていないレオのことも。
最後まで考えを変えないタイプの悪役だけど、磯貝は存外リアムのことを気に入っているみたいだ。「リアム殿にも事情があるんですよ」と、ゲームのネタバレを滔々と話していたけど、オタク特有の早口のせいで全く聞き取れなかった。何とか聞き取れた情報を繋ぎ合わせて要約するに、どうやら「過去に何やかんやあって拗れてしまった面倒な男」らしい。つまり具体的な情報は一言も聞き取れませんでした、はい。
……もう、面倒な男多すぎんだろ! 作者の捻くれ者好きはこの数日で存分に理解したし否定もしないから、ちょっとは素直な人間を用意しておいてくれよ。
「落馬したと聞いていたが、案外元気そうじゃないか。しばらく姿を見せないから、とっくの昔にくたばったかと思っていたぞ」
リアムは見下すように鼻で笑うと、優雅な仕草で脚を組み直す。悔しいが、顔は良い。流石はBL。登場キャラクターは美形揃いだ。
常に胡乱げな三白眼は、ジルベールと同じ金色をしている。一方で髪の色は黒く、さらさらとしているジルベールの髪質に比べ、リアムの髪は直線的で硬そうだ。
高圧的な態度のせいで椅子に座っているのに見下ろされているような気がするのが実に腹立たしい。
俺は努めて柔らかな笑顔を作った。これから言うことが皮肉ではなくジルベールの本心なのだと思われるように。ジルベールは皮肉を言うような性格じゃないけど、酷いことを言われて大人しくしているような柔な人でもない。
「……リアムお兄さんのご期待に添えず申し訳ありませんが、僕はまだ死ねません。やり残したことがまだたくさんありますから」
俺の生きる原動力は全てゲームだ。負のオーラを周囲に撒き散らし自分の機嫌ひとつ己でコントロールできないお前と違って、俺はゲームがあればそれで十分だ。
「お待たせしてしまってすみません。服の着方を忘れてしまい、少しまごついていたんです」
リアムは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「くだらない。嘘を吐くなら、もっとマシなものにしろ」
俺は空いた席に腰掛け、3人の姿をじっくりと観察した。
磯貝が言っていた通りなら、これから始まるのは全ルートで発生する共通イベントだ。主人公が誰と結婚をすることにしたのか、家族に尋ねられる。そこでジルベールは愛する者の名を答え、攻略キャラを親に紹介することになる。物語も終盤中の終盤。この後に待ち受けているのは攻略キャラとの婚礼と同棲イベントくらいだ。
「……久しぶりですね、想来サン」
控えめな、そして少しカタコトな喋り声が聞こえ、その方を向いた。そこにいたのはレオの実の父、クロード・セリーヌだ。
THE地味男の俺が他人の顔にケチを付ける権利はないけど、敢えて評価をするなら「パッとしない」だ。彼は今まで見た人の中で一番平凡な外見をしている。レオの面影がある栗色の髪に紺色の瞳。整っていると言えば整っているけど、他の攻略キャラやリアムには及ばない。
俺はクロードの姿を見た瞬間にビビッときた。この人はβだ。
同性同士の場合、子供を作ることができるのはαとΩの組み合わせのみだ。そしてたとえ異性だとしても、Ωとβの間にαが生まれることはない。この世界ではそうなっている。
レオは、クロードとαの女性の間に生まれた子供だった。クロードは自分がβだということにコンプレックスを持っているみたいだ。だから、自分の性別を偽るために、レオをセリーヌ家当主との間の子、つまり「僕」の異父兄弟として育てることにした。
レオルートの中盤頃、レオは「僕」と結婚するために自分が血が繋がっていないことを周囲に打ち明ける。その結果、クロードは自身がβであることがバレてしまう。
しかしながら強かなクロードは、そこで決して挫けることはなかった。αとβから生まれた子供が、αとΩの間に生まれた子供よりも長寿であることを活かし、レオがいかに優秀な遺伝子を持っているかを「僕」に説く。セリーヌ家次期当主の義父として、今度は地位を高めようとしているみたいだ。
もう、ややこしくて嫌になっちゃうね。
「体の調子はもう大丈夫なのですね」
クロードは安心したように、心からの笑みを浮かべる。
「おかげさまで、すっかりこの通り良くなりました。僕が意識を失っていた間も何度も見舞ってくれたそうですね。本当にありがとうございます」
「息子のことを心配しない親なんていませんよ。元気な姿を見ることができて、これほど喜ばしいことはありません」
その気遣いを少しはレオにも見せてくれたら良いのに。
「アナタがここに来ると聞いていたから、精がつくものを用意させました。これを食べれば、もっと元気になることができますよ」
クロードの言う通り、食卓には肉の入った料理がたくさん置かれている。……朝から食べるにはちょっと重たいんだけど。
とは言え俺は肉料理が大好きなので、ありがたくいただくことにした。
ナイフとフォークを手にして……マナーは分からんけどまあ良い。テキトーに食っちゃえ。
大きく口を開けて肉にかぶりつくと、リアムが顔をしかめる。
「はしたないぞ、もっと行儀良くできないのか」
「申し訳ありません。食事の作法が分からないのですが、教えていただけないでしょうか」
「……何故俺がそんなことをしなければならない」
「では、これからもこのように食べることになりますが、それでも大丈夫でしょうか」
リアムは俺と顔を合わせる度に「はしたない」行動を見なくちゃいけないのを想像したのか、げんなりとした顔つきになり、ナイフとフォークを手に取った。
「セリーヌ家の者として、最低限のマナーくらい覚えていろ」
リアムは身振り手振りを用いて俺に分かりやすくテーブルマナーを教えてくれる。磯貝が言っていたように、こいつは意外と悪い奴ではないのかもしれない。
俺が見様見真似で悪戦苦闘しながら食事をしていると、クロードがフォークを握りしめる手を不意に止めた。
「そのご様子ですと、記憶をなくされたというのは本当なのですね」
クロードの言葉にリアムも手を止める。だけどすぐに何もなかったかのように食事を再開した。だけどじっと押し殺すような気配から、俺達の様子を窺っているのが分かる。
クロードはウロウロと視線を彷徨わせ、それから意を決して俺に言った。
「つまり、婚約者選びは白紙に戻ったということですよね?」
「……申し訳ありません」
記憶喪失状態の俺が適当に誰かを指名することはできない。「より優秀な世継ぎを産む」というセリーヌ家当主の役目がある以上、俺は周囲を納得させる理由を考えなくちゃいけない。
まだ目を覚ましてから半月も経っていないこの状況で誰かを指名するのはあまりにも不自然だ。
クロードの目が一瞬、獲物を捕らえた獣のように輝いた。だけどそれはほんのわずかな間で、クロードはすぐに、冴えない青年のようなおどおどとした態度に戻る。
「あの……これを機に、婚約者を1人に絞ってはいかがでしょうか。たとえば、ワタシの息子のレオなどどうでしょう」
来た。クロードは「僕」が記憶喪失なのを良いことに、レオと俺を結婚まで持ち込むつもりだ。
確かにレオは良い人だ。純血のαではない分体も丈夫で、性格も(バッドエンドの片鱗を見せつつではあるけど)優しくて気遣いができる。何より主人公の古くからの顔馴染みという圧倒的なアドバンテージもある。
もしこれが今の時代だったら「親の理想を押し付けるな」なんて話になるのかもしれないけど、ここは中世風のファンタジーワールドだ。爵位を持つ身分の高い家庭では、恋愛結婚よりも親の決めた相手と結婚させられることが多いだろう。
そこで、俺はふと思った。セリーヌ家当主、ルシアン・セリーヌは婚約者が10人もいるというこの状況をどう思っているんだろう。
ルシアンを一瞥する。ルシアンは何も言わず、自分1人の世界に閉じこもっているかのように、黙って食事をしている。
窓から注がれる日差しが、その人の姿を神々しく照らし出す。主人公もかなりの美人だけど、雄妻(この世界ではΩで子供を持つ男は雄妻、一般的な女性は雌妻と読んで区別するらしい)のルシアンもかなりの美人だ。恐らくもっと若かった頃は、それこそ老若男女を虜にする類稀な美貌を持ち合わせていただろう。
ジルベールそっくりの銀色の髪に、棗色の赤い瞳。白い肌は人気のない雪原みたいに傷跡ひとつなく綺麗だ。赤く小さな口が少しずつ食べ物を口にする様子は小鳥が餌を啄むみたいに可愛らしくて、俺は某小説の冒頭で描写される母親の食事シーンを思い出した。
ふと、ルシアンの伏せられていた視線がゆっくりと持ち上げられ、俺の方に向く。小さな口がゆっくりと微笑むように形作られ、俺は咄嗟に顔を伏せ、小さく礼をすることしかできなかった。
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