やめて!俺のために争わないで!(物理)

【朝日奈氏、朝日奈氏!】


 また、磯貝の声が聞こえる。目を覚ますと俺は、バルコニーに立っていた。欄干に手を置き、眼前の広大な景色を眺めていた。


【朝日奈氏、どうやら次のイベントが発生したようでござるよ】

「イベント……?」

【ほら、庭を見てくださいでござる。下、下でござる!】


 俺は磯貝に言われるがまま、視線を下に落とした。するとそこに2人の青年がいた。


 広い庭の中央に向かい合って並び、お互いを見つめている。2人の手には木製の長い棒が握られていた。


「あれは……」

【ジェイド殿とネル殿でござる。2人は朝日奈氏を巡って、これから剣術で勝負をするんでござる。そうなった切っ掛けのイベントは好感度80以下で発生するので、今は見られないみたいでござるね】


 ジェイド・シュバリエ。日に焼けた焦茶色の髪と黒い瞳を持つ、22歳の男。飾り気のない素朴な顔立ちと精悍せいかんな表情が特徴だ。年齢の割に背丈は低く、だけど服の上からでも分かるほど体は逞しく鍛え上げられている。

 飛び級で騎士学校を卒業するほどの優れた剣の才能があるものの、国は休戦中のため戦で手柄を立てることはできず、天涯孤独の身で仕事を斡旋してもらう親戚もいないため仕事に困っていた。最終的には才能を買われ、セリーヌ家の門番として働くようになる。


 ネル・アンリ。燃えるような長い赤髪とスミレ色の瞳を持つ16歳の青年。笑うと鋭い牙のような八重歯が姿を見せる。ジェイドのようにがっしりした体型ではないが、しなやかな筋肉を持っていて、高い身長の割に動きが非常に素早いらしい。

 主人公、ジルベールが通っていた騎士学校の生徒でジルベールの後輩に当たる。性格は無邪気かつ傲慢で、剣術で自分の右に出るものはいないと思っていた。だけどジルベールに剣術の勝負で負けたことを切っ掛けに態度を少し改め、ジルベールに興味を持つようになる。


「ジェイドとネルって関わりあるの? 年も離れてるよね」

【ジルベールたんが騎士学校を卒業した後、ネル殿はジルベールたんに会うためにセリーヌ家にやってくるんでござる。そこで剣術の才能を互いに認め、時折勝負をするようになったでござるね】

「へぇ……」


 ってことは、元々仲は良いほうなのか。え、でも今は友情度がめっちゃ低いんだよね? 大丈夫なの? 殺し合いとかしない?


【安心するでござる。愛するジルベールたんの家で殺し合いをするほど彼らも馬鹿ではないでござる】

「それ、ここじゃなかったら殺し合いしてるってことじゃん……止めないで良いの?」

【男の勝負を止めるのは無粋でござるよ】


 そうかもしれないけどさ……。


「というか磯貝、何で俺と喋れてるの?」

【拙者も先程知ったんでござるが、どうやらこのくらいの距離ならキャラが画面に映っていても問題ないようでござるね……あ、何か喋ってるでござるよ! 朝日奈氏、パネルを飛ばしてマイクで2人の会話を拾ってください】


 このパネル、そんな機能あんのか。便利だな。


 俺はパネルを飛ばす(飛べ、って念じたら飛んでくれた)。パネルは蝶のようにふわふわと宙を浮き、ジェイドとネルのそばに飛んでいった。


「良いか、ネル。勝負はいつも通り、先に相手の体に攻撃を当てたほうが勝ちだ」

「オーケー。言っとくけど負けても文句はなしだからな? 1回きりだからな! 勝ったほうが想来を自分のものにできるんだからな、良いな!」

「ああ、それで良い」

「負けたら想来のこと、諦めるんだぞ!」

「分かった」


 俺のいないところで勝手に決めないでくれるかな。


【朝日奈氏ったら本当に人気者でござるね~……総受けは滅びろ】

「呪詛が口から出てるよ磯貝」

【おっと失礼】


 だから、総受けって何なんだよ。


【登場キャラクター全員から好かれる受けのことでござる】


……また余計な知識を学んでしまった。腐男子でもないのに、磯貝のせいでどんどん自分が汚れていってしまっているような気がする。

 

「というかさ……審判もいないのにどうやって相手の体に当たったかなんて判断するの? できなくない?」

【……実はあの2人、勉強もせずに体を鍛えてばかりだったから、脳筋馬鹿なんでござるよ】

「なんかそんな気はしてた」


 ゲームのファンであるはずの磯貝にすら馬鹿と言われるとは、きっとシナリオでかなりの馬鹿を晒してきたんだろうな。間違いなく馬鹿なんだろう、うん。


「仕方ないから、俺らが審判やってやるか」

【そうでござるね】


 ジェイドとネルは互いに距離を取った。剣を模した細い木の棒を片手で握り、剣の先が顔の前で交差するように構えた。

 無言の時が流れる。2人は一言も喋らず、相手が動き出すのを待つ。緊張感が離れた俺のところまで伝わってくるようだった。思わず、唾を飲み込む。


 ジェイドが眉をひそめた。それまで微動だにしなかったネルが八重歯を見せニヤリと笑った瞬間。


 先制攻撃を仕掛けたのはネルだった。


 ネルは一歩足を踏み出し、剣の先をジェイドの喉元に叩き込もうとした。だけどジェイドは素早く攻撃をかわし、横に逃れる。


 速い! ネルの方が動きは素早いけど、ジェイドも判断力がある。ネルの動きの癖を既に理解しているのか、次にどんな攻撃が来るか分かっているみたいだ。


【2人とも、騎士学校の出なだけあって、やはり見事な剣術でござるね】

「うん……」


 先制攻撃の分、ネルの方が圧倒的に有利に見える。でもジェイドだって負けていない。ネルの攻撃を避けた回数だけ、ネルに攻撃を仕掛けている。

 ネルが攻撃をして、ジェイドがそれを避ける。ジェイドが反撃をして、ネルが避け、また攻撃をする。その繰り返しだ。


 2人の辺りには砂煙が立ち込めていた。俺は手に汗を握り2人の勝負を見守る。


「_____ハアッ!」


 ジェイドは避ける動作を利用して横からネルの首に剣を当てようとした。だけどその攻撃をネルは腰を低く屈ませることで避け、その場にしゃがみ込んだ。


「……え?」


 しゃがんだ体勢から勢い良く飛び上がり、ジェイドの懐に飛び込もうとするネル。しかしジェイドはそれを見越していたのか、すぐにまた横に逃げ、剣を胸元の前に構え防御の姿勢を取る。剣と剣がぶつかり合い、鈍い音を立てる。これが本物の剣だったなら、もっと良い音がしたのかもしれない。


「ちょ、ちょっと。今のって剣術なの? 剣術ってもっと剣道みたいにちゃんとした型があるというか、あんなしゃがむような動作はなかったと思うんだけど」

【ジェイド殿とネル殿はいつもああでござる。ジェイド殿は一応剣術に倣った動きをしようとするんでござるが、ネル殿がああだからねえ……】


 ネルの動きは素早かった。紐で括られた赤髪は鞭のように柔らかくしなり、木枯らしのようにネルの顔の周りを舞う。持ち前の身体能力を活かして大きな体をサッと動かす様は、戦っているというよりは舞い踊っているみたいに優雅だ。


【ああやって相手を翻弄するのが、ネル殿の戦闘スタイルなんでござる。でも、ジェイド殿も負けてないでござるよ】


 ネルはジェイドの周りをひらひらと動き回った。対するジェイドはどこから来るか分からない攻撃を剣で全て受け止める。しかも、剣術らしき綺麗な体勢を崩さずにだ。


 まるで、後ろにも目が付いているみたいだ……。


「っはは、どうしたジェイド! 防御に必死で、碌に攻撃もできないかぁ? 相変わらず弱っちいなあ!」

「……お前は相変わらず卑怯だな。無駄にちょこまかと動き回っているが、真面目に戦えば勝てないと分かっているから、そんな卑怯な手に出るんだろう」

「卑怯? っは、その言葉、パトリック先輩が聞いたら鼻で笑うぜ。勝負なんて勝てば良いんだよ。勝った奴が偉い。それだけだ。あの人もそう言ってたぜ」

「どうやらあの男から悪影響ばかり受けているようだな。真面目に人付き合いを考えたほうが良いぞ。でないと想来様が悲しむことになる」

「……ふん。想来の名前を出せば、俺が狼狽うろたえるとでも思ったか?」


 ネルは不敵に笑うと、剣を放り投げた。


「ええ!?」


 それはもう剣術じゃないじゃん!?


 その隙を狙って、ジェイドがネルの鳩尾に剣を打ち込もうとする。だけどネルのほうが一足早かったみたいだ。ネルは軽く地面を踏むと、背中に羽が付いているかのような身軽さで飛び上がった。ネルの体はジェイドの身長をゆうに超えたところまで浮かび上がる。その瞬間、ネルは体を捻らせながら背面跳びのように背中を丸く逸らし、ジェイドの頭上を飛び越えた。


 俺の目には、ネルの姿がスローモーションに映った。しなやかに逸らされた背中、赤い髪、白い八重歯と釣り上がる口角。


……なんて楽しそうに笑うんだろう。この人は。


 すと、と軽やかな音を立ててネルはジェイドの背後に着地すると、くるりと体の向きを変え、背後からジェイドの体を拘束した。ジェイドは視線だけを背後に向け、悔しそうに吠える。


「卑怯だぞ、貴様……っ」

「言ってんだろ。勝てば良いんだよ。勝てば。戦場で、剣が使えなくなったからと言って戦いを放棄するか? 情けなく命乞いをするか? しねぇだろ?」


 いや、お前が剣を捨てたんだろ。


「俺が先にお前の体に触れた。っはは、俺の勝ちだな、ジェイド」

「っ、くそ、貴様_____!」


 ジェイドは上体を前に屈めると、勢い良く頭を振り上げた。頭突きだ。ジェイドの後頭部がネルの顎にクリーンヒットする。


「ぐっ、い、いてぇ……っ」


 その場にうずくまったネルを見下ろし、ジェイドは鼻を鳴らした。


「無様だな、ネル」

「こ、この野郎! 頭突きは卑怯じゃねーかよ!」

「お前が先に卑怯な真似をしたから、反撃したまでだ」

「何だと!?」


 ネルは立ち上がるとジェイドの頬を殴り飛ばした。ネルは体勢を崩しふらついたと見せかけ、ネルのすねを蹴り飛ばす。


 もうこれ剣術じゃないよね。ただの喧嘩だよね。


「この、ふざけんな、お前! 絶対にぶっ潰してやる!」


 肩を怒らせて拳を振り回すネルと、無言でネルの足を狙って蹴るジェイド。せめて拳と拳か、もしくは蹴り合いをしろよお前ら。


「……これ、シナリオ通りなの?」

【左様でござる】


 そうでござるか。


 まさかこのシナリオを見た腐女子達も、2人の争いがまさかここまで泥臭いとは思わないだろうな。俺だってさっきまではちょっと、ジェイドの剣術に則った動きやネルの人並み外れた身体能力にときめきかけてたよ。こいつらカッケーなって思ったよ。でもそれが台無しだ。


【この後にジルベールたんが仲裁し、喧嘩両成敗ということで引き分けになるんでござる。ジルベールたんは呆れつつも2人の手当てをして、二度と喧嘩はしないように2人を叱りつけるんでござるよ】

「パラメーターの変化は?」

【手当てに成功すると、好感度と友情度の両方が上がるでござる】

「両方? どっちかじゃなくて?」

【好きな子に手当てされることにより「喧嘩をするのも悪くないな」とお互いの間に友情が芽生えるんでござる】


 殴り合って友情が芽生えるとか、青春みたいなことしてるなぁ。


 それはともかく、好感度が上昇するのは痛いけど、2人の友情度を同時に上げられるのは結構良い。


「失敗するとどうなるの?」

【そのことなんでござるが_____】


 突然、通信が途切れた。


「磯貝?」


 何があったのかと不思議に思っていると_____


「義兄さん」


 突然背後から声が聞こえた。


「ひぇっ!」


 振り返ると、驚いた顔をしたレオが立っていた。レオは俺に一礼する。


「すみません義兄さん。何度呼びかけても反応がなかったので、どうしたものかと思ってお声をかけたのですが、お取り込み中でしたか?」


 俺は視線を背後にやり、再びレオへと戻す。昨日のことがあったからちょっと気まずい。というか怖い。


「いや、大丈夫。それより何かあった?」

「義兄さんにお客様がいらっしゃっています」

「お客様?」

「アレクサンドル様です」


 アレクサンドルが?


 でも今はジェイドとネルの恋愛イベント中なんじゃないの? 

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