ダブルブッキング
俺は客間に向かった。1人になったタイミングを見計らい、磯貝が話しかけてくる。
【マズいことになったでござるよ、朝日奈氏……どうやらダブルブッキングが発生したようなのでござる】
「ダブルブッキング、だって……?」
【大量のキャラを一度に攻略しているせいで、本来なら交わらないはずのふたつのルートがガッチンコして、恋愛イベントが同時に発生する事態になっているんでござる】
何だか良く分からないが面倒臭そうだ。
【以前言ったように本来なら1日に行動できる回数はある程度決まっているんでござるが、それはルートをひとつに絞った状態の時の話でござる。ブッキングが可能となると、1日にいくつのイベントが発生するか拙者にはもう分からないでござる】
早足で廊下を歩く俺の横で、磯貝が騒ぐ。
【マズいでござるよ。24時間以内に、今日終わらせるべき全てのイベントをこなさなければ、ゲームと現実の間に時間の歪みが生まれ、恐ろしいことが起きるかもしれないでござる……!】
俺の歩調は更に早くなった。
【しかもでござる】
もうこれ以上付け加えないでくれ……!
【先程のネル殿とジェイド殿のイベント、「知識」のパラメーターが高いほど手当てに成功する確率が高くなるのでござるが、朝日奈氏の場合はこっちに来て日がまだ浅いので知識の数値がすっからかんになってしまっているでござる】
俺も見たよ。知識ゼロって値を見た瞬間目が飛び出るかと思ったよ。日常生活送れないレベルだろそれ!
【手当てに失敗すると別のイベントが発生し、時間を更に食われるでござる。だから何としてでも成功して、時間を短縮しなければならないのでござる!】
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
俺は最終的には走り出していた。そして走りながらふと気がついた。
「客間ってどこ!?」
*
パネルの助けを借りながら何とか客間にたどり着いた俺は、礼儀などガン無視して扉を開けた。
「助けて、アレクサンドルさん……!」
客間で優雅に紅茶を飲んでいたアレクサンドルが驚いたようにカップから口を離す。
「想来。そんなに焦って、一体どうしたんだ」
「庭でジェイドさんとネルが喧嘩してるんです。2人とも怪我してるのに、いつまで経っても喧嘩をやめなくて、僕、もうどうしたら良いか分からなくて……っ」
「分かった。すぐに行こう。手当ての準備はできているのか?」
「今から持っていきます。アレクサンドルさんは先に庭に向かっててくれますか?」
「おお、任しとけ」
流石は医者の見習いだ。行動が早くて助かる。
俺は清潔な布などを取りに行き、急いで庭に向かった。するとそこには、アレクサンドルに怒られているネルとジェイドの姿があった。
「お前ら人ん家の庭で何やってるんだ。決闘をするなら別のところでやれ」
全くだよ。せっかくの庭が害獣に踏み荒らされたみたいになっちゃってる。
ジェイドは顔を青くさせてぷるぷると体を震わせ、ネルは仏頂面で外方を向いている。これにはアレクサンドルもカチンと来たようで、ネルの胸ぐらを掴んで、威圧する。
「おい、聞いてんのか小僧」
強面なだけあってかなり迫力がある。俺がもしネルだったら全力で土下座していただろう。だけどネルはネルだった。ネルは馬鹿にしたように笑い、言った。
「何だよ、俺様に文句あんのか、チビ助」
言っておくと、アレクサンドルは決して身長は低くない。ネルの身長が馬鹿でかいだけだ。
アレクサンドルは生まれて初めて「チビ」と言われたんだろう。一瞬拍子抜けをして、だけどすぐに意味を理解したのか、顔に青筋を立てた。
「もういっぺん言ってみろよ、お前……」
「ああ? なんだって、聞こえねぇなぁ? 小さい犬が良く吠えてやがる」
何でお前ら、揃いも揃ってすぐに喧嘩したがるんだよ。もっとカルシウム摂れ。
このままだと再び戦闘が始まってもおかしくないと思ったので、俺は慌てて3人に駆け寄った。足音で気がついたのか、ネルが顔を上げ、表情を明るくさせた。
「想来!」
ネルは立ち上がると、俺に向かって突進してくる。俺は咄嗟に水の入った桶をそばに置き、治療道具をアレクサンドルに投げる。アレクサンドルがキャッチした時、俺はバカでかい人間を受け止め尻餅を……いや、ネルに押し倒された。
「無礼者! 想来様になんて態度を取るんだ!」
遠くでジェイドの焦った声が聞こえるも、ネルは一才耳を貸さなかった。俺の乱れた前髪を掻き分け、にっこりと微笑む。先程までジェイドとアレクサンドルに悪態をついていた奴とは思えないくらい、屈託のない笑顔だ。
「想来、俺様の勝負どうだった?」
「え……?」
「さっき、そこで見てただろ。俺とジェイドが勝負するところ」
あそこまで白熱した戦いを見せていたのに、バルコニーの方に目を向ける余裕があったのには驚いた。
ネルを引き剥がそうと躍起になっていたジェイドが顔を真っ赤にさせる。
「想来様、もしかしてずっと私達を見ていたのですか」
「……ごめんね。もしかして見ないほうが良かった?」
「そんな、想来様が謝る必要はありませんよ!……こちらこそ、お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
耳まで顔が赤くなっている。小柄な身長と言い、純朴そうな性格と言い、年上のお姉様方に好かれそうな人柄だな。
「なあなあ想来、俺、カッコよかったろ? そうだよな、な?」
一方のネルは悪びれた様子もなく俺に抱きついたままだ。
ネルの笑顔に毒気を抜かれて、つい素直に頷いてしまう。ネルはくしゃりと顔をしわくちゃにして笑った。
「へへ、そうだろ~! あれ、俺の新技なんだ。空中でくるんってなるやつ!」
まるで人懐っこい大型犬みたいだ。褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、ぶんぶんと見えない尻尾を激しく振っている。髪の毛が顔に当たり、くすぐったい。
実家で飼っていた犬を思い出し懐かしくなった。まだこっちの世界に来て数日しか経っていないのに、もう長らく会っていないような気分にさせられる。
「なぁ、想来。俺と結婚したらもっと面白い技たくさん見せてやるよ。くるんってなるやつだけじゃないぞ。どんってなって、ぱかってなって、どっかーんってなるやつも見せてやる」
擬音からは全然想像つかないけど、ちょっと気になる。こいつを攻略しようかな……って、そんな軽い気持ちで決めるなよ、俺。もっと慎重になれ。
俺は笑って誤魔化すことにした。
「あはは、それは楽しみだね……それより、怪我は大丈夫なの?」
「怪我? こんなの何ともねぇよ。つばでも付けときゃいつか治る」
ばっちい奴だな。
「アレクサンドルさん、お願いします」
近くで事を静観していたアレクサンドルは、「おお」と軽く頷くと、俺にミノムシみたいにくっついてるネルの尻を爪先でつつく。
「さっさと起きろ、小僧。治療してやる」
俺にニコニコと笑いかけていたネルは突然猛獣のような顔になってアレクサンドルに振り返る。
「俺様に触んじゃねぇ! 俺様に触って良いのは、俺様が強いと認めた奴だけだ!」
俺様俺様ってうるさいなこいつ。バイ◯ンマンかよ。
と突っ込みたくなったけど、突っ込みが通じる奴はこの世界にはいないのでやめておいた。
「どんな教育を受けたらこんな性格になるのかね。全く、親の顔を見てみたいぜ……想来」
「はい」
「お前、ネルの治療はできるか?」
「……やってみます」
水で濡らした布を良く絞る。布をネルの赤くなった頬に押し当てると、ネルが顔を歪めた。
「いたたた、痛ぇよ想来~! もっと優しくしろよー!」
「もう、大人しくして。暴れたらもっと痛くなるよ」
「……はーい」
生意気なのはムカつくけど、俺の言うことだけを素直に聞くのはちょっと嬉しい。気難しい動物を懐かせたような気分だ。
ネルの手当てをしながら、そういえば、と俺はあることを思い出した。
「アレクサンドルさんは、何の御用でいらっしゃったんですか?」
「決まってる。お前をデートの誘いに来たんだ」
あまりにサラッと言われ、理解が追いつかなかった。
「……え、デート?」
「そう。デートだ。家に篭ってばかりでは気も滅入るだろう。どうだ、ちょっと外を散歩でもしないか」
アレクサンドルはニヤリと楽しそうに笑う。
「デートだと!」
ネルが憤慨した。
「お前、俺を前にして良くも想来をデートに誘えるな! 想来は既に俺とデートする約束をしてるんだよ」
してないよ。
「そうなんですか、想来様」
だからしてないって。何で門番のお前が信じるんだよ。
「そうか、既に先約があるのか」
「そうだ。俺が先に想来と約束してたんだ!」
「ああそうかい。だったら……無理矢理奪うまでだな」
その瞬間、大人しくしていたジェイドが木の剣を握りしめ、アレクサンドルを睨みつけた。ネルも同様に、今にも飛び掛かりそうな体勢になる。俺はネルの傷口に布を強く押し当てることでネルを抑えた。
「いっ……」
「ごめん、ネル。力加減を間違えちゃった」
大丈夫? とネルの頭を撫でると、ネルはコロっと表情を変えて大人しくなる。一方、アレクサンドルとジェイドの方は穏やかではない雰囲気が続いている。
「フォーレ様、その発言は聞き逃せません。想来様を誘拐なさるおつもりですか」
「誘拐だなんて大袈裟だな。俺はこの息も詰まるような場所から想来を連れ出してやりたいだけだ」
「想来様は侯爵家の次期当主で、そのうえΩなんですよ。もしも外で何かあった時、あなたにその責任が取れるんですか」
「ああ、取ってやるさ。責任を取って結婚してやる」
「……そういう冗談はおやめください」
「冗談じゃない。俺は本気だ。俺は想来を愛している」
やっぱりサラッと言われ、理解が追いつかない。この人が……俺を好き? じわじわと頭がその言葉を理解して、顔が熱くなってくる。
ずるいだろ。こんな低い声で愛の言葉を囁かれたら、男とは言えときめいてしまっても仕方ないじゃん。
「この家からお前を連れ出してやりたいんだ」
それまでジェイドに向けられていた言葉が、急に俺へと向けられた。強面の男が浮かべる優しい笑顔は結構な破壊力がある。つまり俺は、またもやときめいてしまった。
落ち着け俺。こいつらはゲームのキャラだ。実体はない、実体はない、実体はない……。
俺は自分のほっぺたを強く叩いた。冷たい水に浸されていた手は冷たく、少し頭が冷静になった。
俺はアレクサンドルに向き直る。
「アレクサンドルさん、冗談はやめてください」
「なんだ、想来まで俺の言葉を信じてくれないのか。俺は本気でお前を愛しているのに」
「そういうわけではありません。ですが、アレクサンドルさんは本来は別の目的でここにやってきたはずでしょ」
アレクサンドルは「僕」をデートに連れ出すためにセリーヌ家にやってきたと言っていたけど、多分それは嘘だ。ジェイドが言うように、俺は侯爵家の跡取りという身分に加えてΩなのだから、無闇に外出させるのはリスクが高い。医者の息子で親交の深いアレクサンドルでも、デートなどという理由で俺を外に連れ出すのは難しいはずだ。
「門番の記録にあなたの本来の目的が書かれているはずです。もし虚偽の申告をして入ったというなら、アレクサンドルさんと言えども、今後立ち入りを禁じさせていただきますよ」
「はは、手厳しいな。流石は次期当主。警戒心が強い」
アレクサンドルは肩をすくめ、楽しげに笑った。
「その通りだ想来。俺が今日ここに来たのはデートじゃない。お前に渡すものがあるんだ」
「お前、プレゼントか! 物で想来を釣ろうって言うのか!」
「まあプレゼントと言ったら間違いではないが……想来。お前さん、その様子だと、まだ記憶は戻っていないみたいだな」
俺は頷いた。そもそもジルベールだった頃の記憶なんてあるはずがない。このまま記憶喪失設定を貫いていたほうが都合は良い。
「だったら改めて説明もしよう。あまり部外者に聞かれるとまずいから、お前の部屋で話がしたい。案内をしてくれるか」
「あ、お前! そうやって今度は想来の部屋で2人きりになろうとするつもりだな! ずるいぞ!」
「そこまで言うならお前も来るか、ネル。それからジェイドも」
「我々がですか」
ジェイドは警戒を崩さずにアレクサンドルを見据えた。その手には木剣が握られている。本物の剣ではないとは言え、ジェイドの攻撃を受けたらひとたまりもないだろう。
「ジェイドさん。お客様に失礼だよ。剣を下ろして」
俺の言葉に、ジェイドは大人しく警戒の体勢を解く。
「でも、良いんですか? 他の人には知られたくないことなんでしょ?」
「この中で誰が想来の婿になるとも限らないんだ。少しでも情報を知っていたほうが良いだろう。お前等は部外者には値しない。特別に話をしてやるよ……先に、手当てを終わらせてからな」
アレクサンドルはジェイドの手当てを手早く済ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます