エロ本が存在しない男子の部屋なんて

【起きましたか、朝日奈氏】


 俺を出迎える天蓋ベッドと磯貝の声。


 俺、レオと喋っていたはずなんだけど……。そうだ。レオと部屋の前で別れて、部屋に入ろうとした時にあの目眩と耳鳴りが俺を襲ったんだ。


 気絶するというのが正しい感覚だった。耳鳴りに意識を呑まれ、瞬きをしたその後にはもう、俺はベッドに寝かせられていた。


 レオが運んでくれたんだろうか。心配してないと良いけど。


【寝かせられたわけではないでござる、朝日奈氏】


 磯貝は俺の心を読んでいるみたいで、俺が思ったことに対して口を挟んでくる。声を出していないのに会話が成立するのは変な気分だ。


【イベントが終了したため、位置情報がリセットされ、朝日奈氏はベッドに戻ってきたんでござる】

「位置情報……?」


 磯貝によれば、このゲームは一日にできる行動の数がある程度決まっているのだという。イベントが終了した後は、主人公の位置情報が一旦自分の部屋に戻され、翌日のイベントの時にまた別の場所に飛ばされる仕組みのようだ。


【意識を失っている間の記憶はないんでござるか?】

「うん。本当に「空白」って感じだ。まるで麻酔を打たれたみたいな……それに夢を見た覚えもない」

【なるほど……これは拙者の推測が当たっているかもしれないでござるね】


 以前学校に行くために通信を切ると言った時、磯貝はある憶測を立てていた。


 このゲームの時間は現実世界と同じ速度で進んでいるのではないか、と。


 ゲームの中で主人公ジルベールが落馬して「俺」が意識を取り戻すまで、1週間が経っている。一方、現実世界でも同じだけの時間が流れていた。


【ゲームと現実の時間が同じ速度で進むとすれば、イベントが発生しない間はどうしても空白が生まれるので、次のイベントが発生する時間まで、朝日奈氏は無理矢理眠らされるのかもしれないでござるね】


 サラッと言われたけど、自分の意思に関係なく強制的に眠らされるなんて、結構怖いな。


【しかしどういう原理かは分かりませんが、拙者が通信機能を使ってゲームの世界に介入しているうちは、朝日奈氏も目を覚ましていられるようでござる】


 なるほど。俺が目を覚ましていられるのはゲームでイベントが発生する時、もしくは磯貝と喋っている時だけなのか。


……ん? でもその理屈だと、上手く説明できないことがあるんじゃないか?


 頭に浮かんだ疑問は漠然としていて、それが何であるか思い出せなかった。喉元まで言葉が出かかっているのに、もどかしい気分だ。


 *


 磯貝と喋っているうちに、俺はレオのことを思い出した。


「そうだ! レオの好感度と友情度は今どうなってるの?」


 あの選択肢がパラメーターにどういう結果をもたらしたのか聞いておきたい。


【了解でござる】


 磯貝はパチン、と耳鳴りをする。

 

【パラメーター報告ターイム! ついでにオベール殿のパラメーターも変化があるので報告するでござる。あ、そうだ。ちなみに知識や体力などのステータスはメニュー画面で見られると思うので、そちらで確認してくれでござる】


……なんか、楽しそうだなお前。ウキウキしてるのが声だけでも伝わってくる。


【まずはオベール殿。好感度が92、友情度が-9。レオ殿は好感度が91、友情度が-10でござる】

「好感度は……下がってるの、これ?」

【オベール殿は変化なしでござるが、レオ殿は1減っているでござる。それから、オベール殿の友情度も上がってるでござるね。初日にしてはかなりの健闘だったんじゃないんでござろうか。本当にお疲れ様でござる、朝日奈氏】


 磯貝は俺を褒めてくれたけれど、俺は少し不満だった。だって、たった1しか下がらなかったんだ。この調子で全キャラの好感度を下げるとなると、1年では全然足りないかもしれない。


 選択肢のあるなしは、パラメーターの変化にさほど影響しないみたいだな。結局のところ俺がどのように行動するかが重要ってことか。


「そういえば磯貝、キャラが出てる時は通信機能を使えないって言ってたけど、俺の行動をずっと観察してるの?」

【できるならそうしたいでござるけど、拙者にも生活があるのでそれは難しいでござる。代わりに、バックログを確認してるんでござる】


 じゃあ、俺がキャラクターとどんな会話をしたかも筒抜けってことか。何だかそれ、恥ずかしいな。


【もちろん会話もしっかり確認させてもらったでござる!朝日奈氏ったら、ジルベールたんを演じるのも案外サマになってるじゃないでござるか。顔を赤くさせて照れるところなんて、本当に可愛くて、拙者思わず本物のジルベールたんなんじゃないかって思ったでござるよ】


 可愛いって言うな。というか、ジルベール「たん」って……。


 磯貝は推しの名前を呼ぶ時、語尾に「たん」を付ける癖がある。別に主人公が推しであろうとそこは構わないんだけど……呼び方キモくない? 相手は男だぞ。


【ふふふ、協力者に向かって酷い言い草でござるね……朝日奈氏、拙者は別に、朝日奈氏を見捨てても良いんでござるよ】


 だから、心を読むなって。

 

「お前、そもそもの元凶のくせにそれはないだろ……」

【元凶とは失礼な。拙者だって巻き込まれた側なんでござるよ。せっかく睡眠を犠牲にして朝日奈氏を目覚めさせようと頑張ってるのに、当の朝日奈氏に「キモい」なんて言われちゃったらやる気も削がれちゃうでござるよ】


 磯貝はそう言うなり、大きなあくびをかました。見せつけるみたいに。


「そこは申し訳ないとは思ってるけどさ、お前、ちょっと楽しんでない?」


 俺だって真剣に「主人公」をやっているのに、茶化すような言い方をされるのは嫌だ。


【茶化してなんかないでござる。拙者は本気で可愛いと思ってるでござるよ】

「だとしたら尚更最悪だよ」

【褒めてるのに】

「男相手に可愛いが褒め言葉になるのはギリ中学生までだ」

【そう言って、朝日奈氏もバヤール殿のことを可愛いって思ってたじゃないでござるか】

「それは、その……あれはなんか、特別枠って感じじゃん。可愛いって言っても許される枠みたいな」

【何言ってるか分からないでござる】


 俺も何が言いたいのか自分でも良く分かんない。


【他人には言うのに自分が言われるのは許さないっていうのは、ちょっと道理が通らないんじゃないでござるか】


 磯貝のくせに正論っぽいこと言ってる。なんかやだ。

 

「じゃあ磯貝は、自分が可愛いって言われたら嬉しいの?」

【悪い気はしないでござる。悪意がないのは、言い方で大体分かるでござるよ】

「それはそうかもしれないけど……」


 話しているうちに「この会話不毛すぎるな」と思ったので話題を変えることにした。ここが学校の昼休みならもう少しの間「可愛い論争」をしていても良かったんだけど、生憎と今はそんなことをしている場合じゃない。せっかく磯貝に睡眠時間を割いてもらってるんだから、もっと有益な話をしないとな。


 俺は磯貝からゲームの情報をいくつか聞き出した。キャラクターの性格や舞台背景など、攻略に必要そうな情報を記憶しておく。いつどこでどのキャラに出会うか分からないから、こういうことは事前に知っておいたほうが良さそうだ。

 

 というようなことを話しているうちに時間は過ぎ、再び磯貝が大あくびをした。


【拙者、本格的に眠くなってきたのでそろそろ落ちさせてもらうでござる。通信機能はこのまま繋げた状態にしておくので、良かったら部屋の探索をしてみてくださいでござる。何か情報が得られるかもしれないでござるよ】

「色々とごめんな」

【良いんでござるよ。さっきはああ言ったでござるが、拙者も正直なところ罪悪感はあるんでござる。拙者にできることであれば、助太刀するでござるよ】

「助太刀って……もうオタク喋りとかじゃなくて本格的に武士みたいになってんじゃん」


 磯貝は良い奴だ。俺が寂しくならないように、極力俺のそばにいようとしてくれるし、変なことを言って笑わせてくれる。ゲームの世界に呑み込まれるなんて現象に巻き込まれても冷静でいられているのは磯貝のおかげだろう。


「ありがとう、磯貝。お前がいてくれて良かったよ」


 磯貝がしばらく黙り込んで、それから小さな声で言った。


【……急に素直になられると死亡フラグみたいで嫌なんでござるけど】

「うるさいな」


 顔は見えなかったけど、なんとなく磯貝が照れているような気がした。



 磯貝が通話から離れた後、俺は部屋の探索を始めた。攻略に役立ちそうなものが見つかるのが1番なんだけど、今欲しいのは紙とペンだ。磯貝が言っていることを記録できれば、何度も聞き返す必要がなくなって手間が省ける。


 改めて部屋を見回す。

 それにしてもこの部屋、すごく殺風景だな。主人公が長年暮らしていた部屋にしては物が異様に少ない。生活に必要なものだけが最低限用意されているみたいだ。


 天蓋付きのベッド、燭台と燭台を置くテーブル、引き出しのついた机と椅子、服を入れる棚、壁に掛けられた謎の絵画……これと言って使えそうなのはない。紙とペンも結局見つからず、俺は諦めてベッドに戻った。外に探索に出るのも考えたけど、誰かと遭遇しても面倒だ。ひとりでいられるうちは、極力ひとりでいたい。


 パネルを起動させ、キャラクターのステータスを確認する。

 どうやらこのゲームは育成ゲームとしての側面もあるらしく、主人公のパラメーターを上げることでどのルートに進むかが決まるらしい。

 俺が確認できるパラメーターは以下の8つだ。


・知能

・知識

・体力

・剣術

・礼儀

・料理

・芸術

・魅力


 上限は100。ちなみに俺のパラメーターはこんな感じだ。


・知能→100

・知識→2

・体力→100

・剣術→0

・礼儀→50

・料理→50

・芸術→0

・魅力→100


……魅力100については突っ込まないでおこう。


「何だこの数値は……体力100の剣術0って、体力だけ無駄にある馬鹿みたいじゃんか。いや、でも知能は無駄にあるから馬鹿ではないのか……?」


 全キャラ好感度90超えと言い、一体どんな不具合が起きたらこんなデタラメな数値になるんだろう。それともこの数値には何か意味があるんだろうか。


 暗号? モールス信号? この数値にメッセージが隠されてる?

 画面と睨めっこをするも、俺はどうしてもその数値に意味があるようには思えなかった。そもそもこれが何かの暗号だったとして、誰がそんな仕掛けを仕組んだのか分からない。

 作者が遊び心でゲーム内にメッセージを入れることはあるけど、それは大抵制作者の名前だったりくだらないメッセージだったりする。このゲームの世界から脱出する方法をわざわざ暗号で書くとは思えない……でも、もし作者が「この」世界のことを知っているとしたら? たとえば、VRみたいに元々ゲームの世界に入り込める前提で作られているとしたら? 全ての元凶はこのゲームを作った作者だとしたら?


「……とりあえず、その辺は磯貝に調べてもらうしかないよな」

 

 俺はメニュー画面を閉じ、頭の中を整理する。


 ひとまず俺は、ゲームをクリアするために動くしかない。でも、「ゲームをクリアしたら外に出られる」というのはあくまで磯貝の憶測でしかなく、俺は俺で別の方法を探してみる必要がある。


「『空白』の時間に目を覚ましていられるなら、磯貝に迷惑もかけずに探索に時間を当てられるんだけどな……」


 通信機能を使わず、自由に動き回れる方法をまずは考えなくちゃいけない。


 ベッドの上で寝転がって磯貝の寝息を聞いていると、だんだんと睡魔がやってくる。どんなに空白の時間があっても、眠った感覚がないと頭が休息を求めるみたいだ。急激に意識が落ち、視界が暗くなっていく_____。

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