そうだね。

1103教室最後尾左端

そうだね

 随分久しぶりに死にたくなった。

 特に理由はない。毎度のことだった。


 あまりに唐突で、あまりに久しぶりの「死にたさ」だったので、街でばったり旧友に会うような懐かしさを覚える。


 「街でばったり旧友に会うような懐かしさ」という比喩には「上手く言ってやろう」というあざとい手垢がべっとりついていて、なんだか情けなくなる。むしろ旧友に向かって「お前の顔を見たら死にたくなったよ」と言ってやるほうが僕に合っているのかもしれない。


 実際、僕に懐かしむような旧友はほとんどいないし、仮にかつての同級生にばったり出会ったら気まずいだけで、「ご無沙汰しております」なんてあえて固い言葉でごまかしてとっととその場を去りたくなるだけで、懐かしさなんて感じる暇はない。言葉遊びに引っ張られてるだけだ。


 それにしても、30歳を目前にしてまだ死にたくなるだなんて。十代の自分が知ったらどう思うだろうか。情けなく思うだろうか。なんでまだ死んでいないのか意外に思うだろうか。


 しかし、もう長い付き合いだ。「死にたさ」を感じた日に何をすればいいか、僕は山ほど知っている。


 帰りにできるだけ味の濃い飯をできるだけ沢山食べる。帰りの電車で既に後悔し始めるくらいに。悪い方に引っ張られるから、酒は飲まない。


 人とできるだけ話さない。目を見ないように、下を向いて歩く。特に美人はみないように心がける。


 できるだけゆっくりで、何を言っているか分からない音楽を聴く。ただし、洋楽とかインストとかほんとに何も分からない曲は寂しくなるので聞かない。


 眠れなくなるから動画は見ない。わからなくて落ち込むから本も読まない。短歌集に目を通す程度にしておく。


 スマホの通知は全部無視する。明日返事をすればいいし、自分の返事を待っている人間なんて一人もいない。と、死にたいときは割とすんなり信じられる。


 原因分析はしない。どうせ自分が悪い結論にたどり着くのだから時間の無駄だ。むしろありったけ不条理な理由で誰かのせいにする。


 嫌いなヤツの葬式を思い浮かべ、亡骸の前で神妙な顔をして焼香する自分の顔を想像する。


 夜道を散歩する。わざとジグザグに歩く。眼鏡をはずし、光の塊になってしまった信号の中の人の冥福を祈る。


 本屋に入って無意味に歩く。ビジネス書を鼻で笑い、自己啓発本では救われない自分を逆説的に肯定する。かっきーの写真集があれば手を合わせる。財布に余裕があれば買う。何冊あっても困らない。


 余裕があれば運動する。もっと余裕があれば文字を書く。できるだけ沢山書く。思いついた言葉を思いついた順番で書く。こういうときのためだけに買ってある高級シャーペンで、汚い言葉を沢山紙に塗り付ける。


 課題も勉強も無視する。どうせできやしない。


 熱い風呂に入る。寝る前に身体を伸ばす。伸ばす気になれなかったら、伸ばした気になる。


 そしてなにより、とっとと寝る。


 僕の「死にたさ」への対策は完璧で、あまりにも完璧すぎるせいか、「死にたさ」はめったに顔を出さなくなった。


 テーブルのホコリを払うように「死にたさ」を処理できるようになった自分からすれば、10代の右往左往っぷりは滑稽にみえる。そんなこと言ったら当時の僕はムッとするだろうけれど。


 ただ、あのときの僕は確かにこの「死にたさ」を本気で怖がっていたし、そのくせ拠り所にしていたし、「死にたさ」のない自分なんて自分じゃないような気がしていた。それも割と最近まで。


 今の自分がそうじゃないのは、徹底した自己分析とか、たゆまぬ努力の結果とか、運命の人との出会いとか、そういうことじゃなくて、もう本当にひたすら「慣れた」だけだ。正直、机のホコリを払うように処理できるようになっている。そうやって雑に処理し続けたからか、いつの間にか「死にたさ」は僕の前に姿を現さなくなっていた。


 だからだろうか。今日の、久しぶりの、昔みたいに鋭くて重たい「死にたさ」が、何故か妙に嬉しかった。ゴミを捨てるみたいに処理してしまうのが、少しだけもったいないなかった。


 だから、本当はいけないんだけれど、少しだけ夜更かしをしようと思った。

 この「死にたさ」にもう少しだけ、付き合ってみようと思った。

 

 僕は布団にもぐり、問いかけるように、言い聞かせるように、つぶやいた。

 なんだか本当に昔の友達の名前を呼ぶみたいなこそばゆさがあった。


 「死にたい」


 うん。そうだね。


 

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