呉牛喘月

三鹿ショート

呉牛喘月

 私は、他者を信頼することができなくなってしまった。

 それは、交際していた恋人が、私の友人と身体を重ねているということを知ったことが原因だった。

 当然ながら、私は恋人と友人を糾弾したのだが、二人は揃って、原因は私に存在しているという言葉を口にしたのである。

 私が恋人のことを深く愛することがなかったからなどと述べていたが、そのような言葉を発するとは想像もしていなかったために、驚きのあまり、反論することができなかった。

 その反応から、私が罪の意識を抱いているのだと勘違いしたのか、ここぞとばかりに、私の欠点を言い立てていった。

 そして、最後には私に対して別れを告げると、二人は手を繋ぎながらその場を後にしたのだった。

 残された私は、しばらくの間、動くことができなかった。

 やがて、涙を流しながら考えたことは、何者も信頼してはならないということである。

 私にも非が存在していたのかもしれないが、私を裏切っておきながら、悪人だと非難するのは、間違っている。

 このような仕打ちを受けるくらいならば、親しい人間など、必要ではない。

 他者というものは、自分が生きていく上で必要な道具のように認識するべきなのだ。

 そのように考えながらも、私は他者の笑顔を見る度に、恐れを抱くようになった。

 笑顔の裏で、私のことを馬鹿にしているのではないか、私の阿呆な言動を見て嘲笑しているのではないかと、考えてしまうようになったのである。

 そのためか、私は以前よりも明らかに他者とのやり取りが下手になってしまった。

 全ては、私を裏切った恋人と友人が原因だと怒りを抱きながらも、私は自分の感情を表に出すことができなくなっていた。

 このような事態に直面するくらいならば、最初から孤独に生きるべきだったと、何度も考えるようになった。


***


 自分というものを隠すことなく行動する彼女が、私には眩しかった。

 彼女は他者にどのような印象を与えようとも気にすることなく、思ったことを口にし、素直に感情を表現している。

 ゆえに、彼女を好む人間と嫌う人間は、明らかだった。

 私はといえば、前者である。

 他者からどのように思われたとしても、自分の生きたいように生きることができるその姿は、羨ましかったのだ。

 其処で、私はあることに気が付いた。

 裏表の無い彼女ならば、裏切られるような心配も無く、共に行動することができるのではないか。

 欲を言えば、彼女のような人間が恋人ならば嬉しいのだが、彼女にとって私が好みではないと告げられては、傷つくことは目に見えている。

 だからこそ、私は彼女を生涯の友人とするべく、声をかけようとした。

 だが、それよりも前に、彼女が接触してきた。

 そして、私に頭を下げながら、

「私と、交際してくれませんか」

 突然の言葉に、私が戸惑ってしまうのは、無理からぬ話である。


***


 いわく、彼女は私のことを初めて見たときから、その存在が気になっていたらしい。

 そして、しばらく私のことを観察し、私が悪人ではなく、同時に、恋人も存在していないということを知ったために、想いを伝えたということだった。

 しかし、私には彼女の言葉を理解することはできなかった。

 私は、他者が魅力を感ずるような人間ではないからである。

 そのことを伝えると、彼女は口元を緩めながら、首を横に振った。

「自分とは異なる人間だからこそ、見たことがない景色を見ることができると考えたのです。それゆえに、衝突することも多くなるでしょうが、それを乗り越えたときこそ、絆がさらに強まるものなのだと、私は考えています」

 つまり、彼女もまた、自分が持っていないものを相手が持っていると考えているということになる。

 其処が共通しているという点においては、我々は気が合うのかもしれない。

 ゆえに、私は彼女に対して、首肯を返した。

 心から嬉しそうな表情を見せる彼女を見て、私もまた、なんだか嬉しくなってしまった。


***


「彼と触れ合ってみて分かったことといえば、何故あなたが裏切ったのか分からないほどに、彼が良い人間だということです。私は告白して正解だと思いましたが、何故あなたは、彼を裏切ったのですか」

「彼一人の愛情だけでは、満足することができなかったからです」

「どういう意味でしょうか」

「彼に対して、不満はありませんでした。ですが、常に同じ人間から愛され続けるということは、同じ料理を食べ続けるようなものです。私は、色々な料理を食べて、他にも素晴らしい料理が存在するのかどうかを知りたかっただけなのです」

「それで、知ることができたのですか」

「色々な相手と関係を持ちましたが、私のことを尊重してくれていたのは、彼だけでした。私が老いれば、他の人間たちはおそらく私から離れていくでしょうが、彼は変わることなく愛し続けてくれたことでしょう。失って初めて、彼がどれほど貴重な存在だったのかということに、気が付いたのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呉牛喘月 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ