第48話 梅と毒

 どこかの大統領が言った。

「この世には男と女しかいない」

 それは平和ジョーク。

 男と女なら、ラブ&ピースだ。ただし、そこに複数人がからんできたり親子同士だとかなりヤバい。

 そして、一方がおさなかったり老人であったりした場合、おぞましい想像がふくらむ。そして、男同士や女同士だったらNGの宗教は多い。


 さらには、一方が人以外の場合だ。

 これはもはや邪教じゃきょうたぐいか? 相手がサルや牛、ぶたやヤギなどの場合だ。この段階まで上がると、想像すらむずしい。宗教だけではなく、一般の感覚でもNGだ。


 獣姦じゅうかんセックス。

 これが性癖せいへきなら夢の中だけでヤッてくれ。とはいえ、戦時下になればあなたは強制的に体験させられるかもしれない。

 捕虜ほりょになったら最後。より強い兵士を作るため、クマやオットセイと強制交配もありえる。もちろん、そこに男女の別は関係ない。

 乱暴な手術で胎盤たいばんを取り出され、陰部いんぶごと他種族から移し変えられる。


 まさか、そんな非人道的な人体実験。まあ、作り話だ。

 だから、平和ジョーク。

 戦争はないに限る。ただ、逆のラブ&ピースにも落とし穴はあった。およそ400年前、日本では戦乱が終わり平和な時代が到来とうらいする。そこで、江戸のセックス天国にして大流行していたのが悪魔の性病、梅毒ばいどくだった。



 死のかおりただよう、梅の毒。

 体液による感染かんせん、もしくは母子ぼし感染がルートである。

 空気や飛まつと違い、かなり限られるがその当時は3人に1人がかかっていたと言われるほど一般的。 

 とてもパンデミックどころではない。これはサクラ毒でないことからわかる通り、大陸から渡ってきたという。宣教師せんきょうしが持ち込んだのではないかと言われている。


 感染すると、背中に梅の花のようなアザができるのだ。

 ただ、そんなわかりやすい症状しょうじょうになるのは死の一歩手前のころである。この感染症のやっかいなところは潜伏せんぷく期間の長さと自然になおる可能性もあったということだ。


 始めは陰部いんぶにしこりやき出物ができる。頭痛やき気、だるさにおそわれるが、単に体調が悪いとかん違い。その間にセックスをり返せば、ねずみ算のように広がっていく。

 ただ、寝たきりになるほど体力はけずられないので、本人には自覚のないまま売春を続ける。そして、半年ぐらいで体調を戻す。ここでラッキーだと、完治する。


 しかしだ。最長7~8年後、忘れたころにやってくる。

 よく代名詞。体をガリガリにけずられ、足腰は立たず、くさったはなが落ちる。皮膚ひふ壊死えし骸骨がいこつのようにやせ細り、命をらす。

 そんな恐ろしい病魔だが、対策に走ることはなかった。


 なぜなら、それが、その姿が、美しいからだ!


 美しいの語源はひつじ。羊のように大きくて、体がすべて使える食べられることが美しい。このニュアンス通り、かつて日本でもおしりが大きく、元気でふくよかな相手が美しいとされた。

 ああ、もともと理想が違うので仕方がない。よめは子を残し、夫は家を守ること。そして、嫁は家に主張しないこと。そう、目も口も鼻も小さくかれる美人絵そのものだった。

 逆に、大首絵おおくびえのように夫は手を出し、目も口も鼻も大きく主張する。男女格差かくさは天と地ほどだ。


 それでも夫が引き出しにかくしたエロ本(春画しゅんが)を見つけられると

「火事にわないための魔除まよけだ」

ぐらいには人間味のある夫婦関係でもあった。


 だからこそ、梅毒持ちには人気が出る。

 わかるだろう? いつの時代も風俗へはナイショで行くよ。そして、行くなら普段の相手とは正反対だ。

 病弱で、やせ細り、血色が悪い。例え病気だと知っていようが、今より人生は短いし。

 もちろん、銀行や病院に警察もないんだ。このまま生きながらえても確かな安全もない、その命に。その財産に。それなら今をたしたい。


 ふけば飛ぶような、その体をもてあそびたい欲望。

 さらには今より明かりが少ない時代だ。夜中になれば、ほぼ暗闇くらやみ。病魔で女体がブチブチ腐っているなんて、いてみないとわからない。

 

 それどころか売春街ばいしゅんがいではわざと梅毒になろうとする。だって、人気なんだからどうして対策を打つというのか?

 江戸っ子は元気なく青白い顔を「天女のようになった」とほめあげていた。「いき」だともちあげる。

 当たり前だよ。国が公認する生で会えるアイドルだ。

 そこは竜宮城そのものさ。お客の前では食べないし、トイレもしない。お酒をつぐだけで、客と一緒に食事なんてNGだ。帰った後の残り物で食をえる。


 多くが田舎いなかから売られてくるので方言禁止による、「ありんす」といった言葉使いへと強制。そういった目に見えない努力もあり、見事な天国や異世界を演出していた。


 そんなときもつかの間。

 春を売る側はどんどんどんどんやまいは進行し、歩けず言葉にすることもおっくうになってくる。しまいには起き上がれなくなってくる。

 そこまでいけば、『 鳥屋とや 』送りさ。

 そう、インコの次は鳥小屋だ。サルや牛、ぶたやヤギなどと同じように物置ものおき小屋へ。カギをかけられ放置される~~~からではない!

 

 鳥がタマゴを産むときの苦しむさま、それと同じ声がひびくからだという。唯一ゆいいつ、違うと言えば昼夜おかまいましぐらいか。

 

 死にきれないまま体が腐っていくだけの恐怖。そして、激痛。

 変わり果てる容姿ようし。汚物のような毎日変わりばえしない差し入れと、ツメから皮から髪から抜け落ちていく醜悪しゅうあくな体。さらには、生きていた記憶もだんだん抜け落ちていく孤独こどくだ。

 そしてくなってしまえば、投げ込み寺へ。あらかじめほられた穴へ同じ患者かんじゃと一緒に、次々と投げ込まれるだけの一生だった。


 それでも少しでも客を取れるなら道は選べない。

 病魔だろうが鳥小屋までは絶対に行きたくない。あの声が夢にも流れてくるんだよ。そこで脱走もこころみる。

 しかし、たいがいがつかまってしまう。すると両手両足を天井までつるし上げ、先のれた竹のぼう気絶きぜつするまでたたき続けれた。

 その残虐性ざんぎゃくせい。見ていた少女たちが自殺するほどであったとか。

 

 またはいたお客へ小指を送る。いわゆる「指切りげんまん」さ。それが梅毒で死んだ先輩売春婦のものだと知らずに、だ。

 じゃあ、再会したとき不思議に思う。そこでいいわけ。指は生えてくるってね。切ったことがないからバカ正直にそう思うだけ。


 まあまあ、リサイクル都市は死体ビジネスも当たり前。

 勘違いしたお客はそれを大事に離さず、そう何度も通えるわけないと、彼女を思いなめあげるのだ。これで感染とは大バカだ。

 

 性病にかかって一人前という世界観。これではもう、治しようもないというもの。死に際に、梅毒で落ちた指が鼻がまた、生えてくるんじゃないかと願ってしまう。あまりにも死が近かった。

 だが、そのセックス天国も終わりがくる。それは皮肉にも黒船ペリーであった。

 

 死と向き合うのは7~8年じゃない。次に運んできたのは3日で死ぬヤバいやつ。鳥小屋じゃなく、即墓穴そくぼけつだ。今度はしゃべっただけでも感染するコレラを運んできたのだ。

 江戸はほどなくして穴だらけ。死体が道ばたであふれたゾンビ天国。誰も外へ出歩かなくなってしまった。



 ところで鈴木教頭から連絡をうけたおでん。すぐに目を赤くし、涙を浮かべた。

「本当に私の夫が見つかったんですか!」

「ええ、何度も言っていますがあのダムの先ですよ。奥深い山へ逃げ込んでいたらしいのです」

 2人が校庭の池で出会った初対面から数ヶ月。興味を持った彼は彼女の身の上を徹底てってい的に調べ上げていた。

 なんでも夫がハンセン病にかかり、行方不明になっていること。そのためにジャーナリストという今の職業を選んでいること。


「でも、どうしてわかったんですか?」

「実はあの松倉先生ですが、彼には校長殺しの犯人さがしを依頼しておりました。その延長上で、見つかったのですよ。

 ただ、彼もそして彼の生徒たちもその山で音信不通になってしまい、ほとほと困っているところで」

 先日、校長が駅で刺された。

 未だその犯人は捕まっておらず、野心家だった教頭にとってまたとないチャンス、のはずだった。


 学校の使途しと不明金さえバレなければ、校長になれていたのに。おそらくは松倉! あいつのリークによるもの。

 松倉は埋蔵金を見つけたはず。だからこそ、こちらもあばいてやろう。白日はくじつにさらしてやる。


 おでんの神妙しんみょうな顔。 

「………はい、だいたいわかりました。では、私も、いえ私たちも、協力させてくれませんか?」

「それはとてもありがたいことです。

 ただ、無償というわけにはいきません。誰か当校へ向かわせてくれませんか? 

 正式な依頼でそれなりにお金もお支払いしますので、しっかりとした記録、取材もお願いしたいのです」

 個人で探されても困る。以前に探偵たんていもやとってみたが、戻らなかった。

 新聞社として、確実に仕事をしてもらおう。

 そう、一人前の仕事をしてもらおう。

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