【災】第36話 忠犬ハチ公の憂鬱
終電も走り去ったS駅。
駅の子たちは散々に追い散らされ、居酒屋の明かりも消えるころ。
どんよりとした黒雲。お酒とタバコの吸い殻が水たまりにプカプカと浮かぶ。月はランランと輝き、百鬼夜行が出そうな夜だ。その雑踏の中、みすぼらしい秋田犬がうろついていた。
鼻はクンクン、目はキョロキョロ。まるで何かを探しているのか?
ウワサによると亡くなった主人の帰りを待っているという。それにしてもこんな時間まで忠義なことだ。どぉれ、食いかけの焼き鳥でもあげてやろうか。
面白がって放り投げる。ところが一芸。なんとこの犬は前足を器用に使って、串から焼き鳥を外していたのだ。
口を上げてクチャクチャと。そのほおばる顔はやけに自慢げ。そして味わったかと思えば、おかわりをねだってくるではないか!
周りを見渡せば、驚くばかり。ハチ公せんべい、ハチ公まんじゅうが並んでいる。商魂たくましくセール中だとうたっていた。
だから、このおねだりも腹立たしい。こちらはアルコールも入っているのだ。蹴飛ばしたり、耳を千切ったりして遊んでやった。
だが、忠犬ハチ公と名が広がる。時代は第2次世界大戦前夜といい、忠義・忠節の押し売りセールが加速していた。
仕方なしに追加で焼き鳥だ。おかげで今日もごちそうさまと尻尾をふる。腹を満たした、その秋田犬は振り返りもせず帰っていった。
しかしまぁ、そのうちに東京大空襲で自分たちが焼き鳥になる側だとはつゆ知らず。日曜だし、早く帰るとしよう。
思えば、俺も78歳になっていた。
首相官邸までやたら遠く感じるようになったものだ。おそらく次の選挙は無理だろう。
それでもどうせ手を挙げるんだよ。今のこの日本はドブ臭い獣気であふれ返っている。俺が平和の防波堤にならなくては誰がなるというのだ!
………いや、どの口だろう。そもそも俺がまいたタネではあった。
そうそう、当選なんてチョロいと聞こえた? 無理もない、俺は18回連続当選してる。
おっとジャンケンじゃないぜ。それでも絶大な人気だとわかってくれるな。今ではドブ臭い議員どもの頂点だ。それでも、道のりはひどいものだった。
長い長いはぐれ野良だったよ。。。
記者から始まり、政治家の犬となって走り回ること青年時代。小政党を渡り歩きながら、それでも2大グループの一つ、立犬政友会のボスにはなれた。
とはいっても、相変わらず悪口を言ったり、足を引っ張ったりと醜い争いでのし上がったきたわけだ。俺が大好きな言葉、その通りにね。
『和を以て貴しとなす』
漢詩にはちょうどいいんだよ。
1人より2人。3人より4人で輪を作ろう。手を取り合い、和を作ろう。これがこの国でずっと続くならわしだ、良くも悪くもね。
そこから輪になって、閉じこもる。外部を極端に嫌い、背を向ける。そのくせ、和の中でもののしり合うんだ、手は握っているくせしてね。
そうそう、もう一つは立犬民政党。
こいつらがなかなか言うことを効かなかったんだ。業を煮やした俺は、ついに過激派(軍部)と手を組むことになるのだが、それが最悪手となってしまった。
しかしまぁ、その暴力をバックに俺はさけぶよ。
「おまえらは軍の予算を減らして縮小しろというが、そもそも天皇に指揮・指令権があるんだ! 議員ごときがワンワン言うな!」
天皇ってのは本当に『 神 』だった。同じく豊臣秀吉も現人神だよ。ああ、実に不穏に感じるじゃないか
でも、そんなにおかしくないことさ。国会はまさに犬小屋状態。入れ墨の入った土建屋に、ヤクザの親分、鼻をたらしの地主なんて議員もザラだった。なぜならお金と暴力でいくらでも票をかき集めることができたからな。
立候補資格だって納税の多さにある。そんなドブ犬どもの上に、高貴な『 神 』をすえ置く必要があったのさ。
で、過激派(軍部)ってのは戦争屋だ。一度、噛み殺すとその肉が忘れられないという。
仏の耳に銃口。まさに怖い物知らずになっていく。
この過激派(軍部)どもは『 神 』名の下に、大いにドブ犬どもを恐喝した。おかげで俺は首相にまでなれたんだが、過激派(軍部)は次の戦争を欲しがっていく。俺の真後ろでは、常に得体の知れない狂気がうろついていた。
1932秒 5糞 15時間
ついにそのときが現実になる。
ふと、逆立ち鳥肌。公邸に戻った俺は冷たい銃で背中を突きつけられていた。
ゴクリッ、固まったツバを飲み込む。
俺は手を挙げて言ったよ。
「……話せばわかる」
どうだ、余裕だろ? タバコもすすめてみたんだぜ。
そもそも命がねらわれていることも知っていた。ただ、同じ耳を持っているんだ。同じ言葉も使っているんだ。
同じ人なら、例え殺意があってももてなそう。話も聞こう。襲撃者たちを応接間へ通したよ。
だが、どうしても許せないことが目についてしまう。
それはこともあろうか土足であった。
「………おまえら、靴を脱げ!」
俺は確かに国会を犬小屋と下げずみ、議員どもをドブ犬と差別した。
ただ、俺の住みかだけは別だぞ。なにより神聖だと思っている。俺は曲がりなりにも国を動かしてきた『 神 』につぐ『 天使様 』だぞ!!!!!
しかし、彼らは靴を脱がなかった。気配すらなかった。
そうか。
いや、そうなんだ。
俺は一生懸命、つくした最高の国士。または天使様。そしてこの国を動かしてきたと、思っていただけ?
実はこの狂気に動かされてきただけ?
すべてはこの食い違いだったのだよ。尻尾をふる過激派(軍部)は、実は俺がふっていたことを実感する。だが、何もかもが遅かった。
「問答無用、撃て!」
どうした? 俺の片耳だけが銃声をひろう。同時に顔面が火が出るほど熱くなった。視界が上下左右と反転し、心音が口からはみ出ている。どうやら、顔の半分が崩壊していた。
そでで鼻からは黒く焦げた脳髄。逃げていく彼らの足音。遠ざかっていくはずなのに、やけに大きく響いてやがる。
ただ悔やまれることは誘えなかったことだろう。
犬同士じゃあるまいし、肩を並べて焼き鳥でも食いにいこうじゃないかと。しっかりと話せばわかり合えるはずだと、はずだった。
見上げると、朝日のように燃える日の丸。
まるで鮮烈。和になって見えたんだ。もしくは、ただのゾロ目だろうか? こんなにも美しく残酷で、せつなくも悪魔的に非の打ちどころのない国旗に、ドブ犬同士が命を張っている。
美しい、ゲフッ……。
ただな、思い出すハチ公の除幕式は楽しかったよ。
なぜなら、本人を目の前に盛大なセレモニーだ。秋田犬には紅白の垂れ幕も着せてやったよ。おそらく、この国で初めて上着をきたドブ犬じゃないか? 日の丸にピカピカと光っていた。
だがよ、その銅像も太平洋戦争で溶かされた。
忠義もペットもないぜ。始まってしまえばすべてが溶かされるんだ。
財産もこころも、犬も人も、命も一緒だ。
溶かせ! 溶かせ! 火の丸の中、一切合切、溶かすんだ!
まるで前菜。俺の、しがない老人の、犬養毅の命も溶けた。
一面、真っ黒に燃え切った閉幕式。忠義とは、忠節とは、あの美しい日の丸に良く映える。それがあの戦争だった。
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