VJ 満州、樺太獣姦記

 静かなダムと密林のような深い山。この一帯は禁足地となったテンメイ地区だ。しかしながら将軍様の埋蔵金伝説も残るという。


 キーワードは、『黒い花咲く つつじの木の根もと』


 少し開けた中腹には電話ボックスが立っていた。

 辺りには枯れ葉のじゅうたんがヒソヒソ話。カラスが1羽、眠っている。黄ばんで汚れきったボックスには数十年も使っていない受話器が垂れ下がる。

 電話帳もしんみりと下に落ちたまま。その開かれていたページには、忘れ去られた記録があった。


 敗戦ノ日本  1945 8.15

 勝利ノ連合軍 1945 9.2


 その、およそ2週間。

 日本が定める終戦記念日と、各国が定めるVJ(日本に勝利した日)との日数差。

 しかし、それこそが絶叫的なタブーである。

 その間に起こったことは猛獣と化したソ連・モンゴル連合軍が極東アジアを蹂躙じゅうりんした期間でもあった。


 確か、それは第二次世界大戦も終盤か。アメリカ軍は沖縄攻防戦でのあまりの激しい抵抗と犠牲者の多さに青ざめる。

 もしこの先、進軍を続けたらけた違いの被害になるぞ。それは死傷者数だけではない。もとより太平洋上での戦い。燃料切れで静かに落ちていく戦闘機。骨と皮だけの特攻兵。手榴弾で自爆。そんな常軌を逸した戦場だ。涙も怒りも通り越し、薬なしでは動けない。


 米兵も精神の限界だった。ドイツ、イタリアとワケが違う。ここで、一気に決めるしかない!

 2度の原爆投下。ソ連へ軍事援助。準備はそろった。彼らには殲滅を目指してもらい、再起を許すな! それは必然的に実行された。


 まずは兵士たちを改造する。

 面倒をみていた捕虜を、脱走に失敗した同僚を、生けにえにしよう。

 ためらうな、順番に突き刺せ! 特に気が弱い兵士にはのど、心臓をねらわせた。

 そうして作り上げた殺戮さつりくマシーン。ついには満州(中国東北部)へなだれ込み、狂い遊ぶ。



 刻一刻。

 ソ連と国境接する最前線だ。火蓋ひぶたはある日、突然切って落とされる。

 日本とは違い、ブラックコーヒーに大量のパセリが生えたような山なみだ。青臭く、ごつごつと。その間を沿って今まさに悪魔の兵士たちが突入してきた。


 玉音放送など国際的に何の意味を持たない。もともと玉砕覚悟の国だろう?

 命乞い、同情、お金で解決なんて当の昔に過ぎている。頭上から轟音を響かせる爆撃機。絶望なんてそんな生やさしい言葉はない。見つかったら最期。皮をはがれて、肉までそがれる。目玉はくり抜かれ、カラスのエサだ。

 まるでシカ狩り、ウサギ狩りだった。人を刺し、人を焼き、ゲームのように人を撃つ。日本人はもとより、そこで逃げ惑う朝鮮人や中国人も構わずだ。

 火をつけあぶり出し、手を挙げてきたところを小銃でねらい撃ち。もしくは歩けなくなった住民を戦車のキャタピラーでひき殺した。


 彼らは笑みを浮かべて言ったよ。

「おまえらがシベリア出兵したときの虐殺のむくいだ!」

 ただ、住民たちには関係ない。目の前で起こる虐殺現場が津波のように襲ってくるだけ。

 どこへ逃げても銃声だらけだ。自殺が天国に見えてくる。

 ついには川へ投身自殺の山。家々をのぞいても父親が自分の家族を惨殺。その刀で自分の首もはねていた。

  破壊と血の池地獄。その流れた血がやけにおぞましい文字に化けていた。


 見殺し。補給路もない。退路もない。その上、内地からは終戦により『手を出すな』だと?

 国のために黙って死ね。しかし敗戦と知って尚、出撃していった零戦パイロットたちがいた。


 今田 岩佐 大倉 北島 谷藤 二ノ宮 日野 波多野 馬場 伴 宮川


 この、11人の怒れる若い教官たちである。彼らの最期の戦いが始まった。

「どういうことだ? 日本が負けたのは間違いないのか?」

「ああ、そのようだ。内地(日本)からは武装解除の命令もきている」

「そんなバカな! すぐそこまで露助(ソ連兵)たちがせまっているのだぞ! 現に北西部の葛根廟かっこんびょうでは1000人も虐殺されたという話だ!

 命からがら逃げてきた住民たちを、ここでもまた見殺しにしろとでも言うのか!!!」

「そうは言っていない!」

「オイッ、ふざけるなよ。同じじゃねぇか。抵抗するなという命令なら、誰が悪魔を足止めするんだよ。俺たちには指をくわえて、頭を撃たれるのを待つだけなんだ」

 皆、なまりのように重い頭をもたげていた。


「わかった。俺たちだけでも足止めしよう。例えそれが軍令違反だとしても、だ」

「フンッ、ろくにここには武器もないんだぞ。竹槍でも投げてみるか?」

「………俺は真面目だ。特攻だ。特攻しかない。投げるのは俺たち、命だ!」

「オイッ、正気で言っているのか?

 今、飛行場にあるのは赤トンボ(練習機)だけだぞ! 爆弾も積んでいない。ただの墜落だ!」


「まあ、待て。そうとは限らない。露助たちはまだ、俺たちの特攻を知らないんだ。物質的というよりは精神的なダメージを与える」

「フンッ、トンボが戦車を止められる? よく頭を冷やして考えてみろ!」

「だとしてもだ! 俺たちは散々、少年兵たちを特攻兵に育て、太平洋のもくずへと送り出してきた。出発のとき、彼らに送った言葉を覚えているか?


 『必ず俺たちも、あとから行く』、と。


 あの日からずっと、忘れることはなかった。このままで、どんな顔で彼らの魂に手を合わせたらいいんだよ!」

 今でも去りゆく小さな背中が忘れられない。

 毅然とした敬礼も。

 別れ際の精一杯の笑顔も。

 無理だ。俺たちは戦後を生きていく資格はない。

 

 異国の地で多くの日本人や仲間の血が流れた。悲鳴を聞いた。父親の涙と子どもの笑顔も消えていった。今さら助命も除名もあるか! 歴史に笑われ、靖国に捨てられたとしても、地獄で少年たちとまた会おう。

 今は、せまりくる進軍を1分1秒でも食い止めるためだけに!

 

 快晴の翌日。死出の片道キップであった。見送るのは旗をふる住民たちだ。あの悪魔たちを人に戻してと涙ぐむ。そして、最後の特攻だと願って雲へと消えていった。


 あまりに、静かな空だった。



 ソ連軍は間違いなく世界最高レベルの軍隊である。

 それは常に戦い続けた知識と経験。勝敗に限らず、攻守の緩急が憎らしほど秀逸している。今回は津波のような侵攻速度であった。

 それはあっという間に海を超え、間宮海峡をいたり樺太サハリン(北海道の沖、北西部の島)をのぞむ。


 内地からは非常ベル。ここは日本領、電話基地局。それは突然だった。

「どういうこと、日本が負けた? すでにソ連軍がぞくぞくと侵攻しているって!」

 ガタンッ! 受話器が自由落下する。

 当時、電話とは基地局にかけて、受け取った交換手が相手先の電話番号を探してつなぐシステムであった。また、この交換手こそ当時の女性のあこがれの職業でもあったのだ。

 さらには、もともとソ連とは中立関係であったため比較的安全な地区。たくさんの女性が働く、近代的な職場でもあった。

 それがまさかの一転! 皆、しばらく呼吸ができないほど、がく然としていた。


 過呼吸にあせる局長だ。それでも次の行動を呼びかける。

「早く脱出だ! 内地からは助けは来ないぞ! ともかく逃げろ!」

 いや、わかっているって。そこにいた誰もが想像できていた。

 ここは海に取り囲まれた、まさに鳥かご。この情報すら、かなり遅くに伝わっているだろう。

 ソ連軍の到達まであと数十時間、数時間?

 おぞましい寒気が走った。裸にむかれ、ひたすらに性処理の道具になることを。汚いツバを垂らした兵士たちのエサになることを。

 なぜなら、この樺太自体がソ連の流刑地。間近に暴力も見てきたからわかる。

 逃げても無駄だろう。民間船だ。軍艦に比べ、足は劣る。荒い海峡。どのみち、兵士か海のエサになるだけだ。


 時計の針はどんどんどんどん速くなる。

 しかし、だ。彼女たちは歯を食いしばり、顔を上げた。

「私たちは最後までこの仕事をまっとうします。今、できることはこの事実を地区内のすべての皆さんへ伝えることです! 日本が負けを認め、すぐそこまでソ連軍がせまっていることを!」

 天地のひっくり返ったとき、正確な情報ほど価値あるものは他にない。再び受話器を手に取る彼女たちだった。


 しかし、局長は震える手を見逃さない。それでも命がけの英断を無下むげにすることはできないから!

「……わかった。君たちには青酸カリを渡しておく。健闘を祈る!」

 しばらくしてソ連軍が押し寄せる。トビラを盾にして局長の死体だ。そこをどけると、アーモンド臭。口からアワを吐き、彼女たちの手には最後まで受話器がにぎられていた。

 ついつい十字をきっていた。こんな戦場、金輪際まっぴらだ! 兵士たちもまた、無言であった。



 それでも侵攻は容赦なく続く。海を超えて、あと一歩!

 圧倒的な戦力と物量の差。負けすら認められない完全敗国の先へ。ただし、ここ最北の防衛地点、千島列島の最先端、占守しゅむしゅ島。


 日本の命運は  ここで  決まった。


 とかく戦国の武士団、四十七士、新撰組etc………。

 最強を語るなら、そのすべては小物。自衛隊、自衛隊関係者なら口をそろえるさけぶだろう。

 日本最強はこの地で盛大に散った戦車11連隊の『士魂部隊』だ!!!


 ソ連兵は満州・南樺太をなんなく蹂躙。ただし、朝鮮半島ではアメリカとの38度線密約により足踏みするしかなかった。逆に海から南下。目的は北海道の半分までを占領することだ。

 もちろん、アメリカとも内諾ないだくをえている。しかし、欲をいえば津軽海峡を含む函館までの占領が目的だった。


 元をたどれば100年前からの大願。不凍港を獲得したい。ここでソ連は強襲部隊の精鋭を投入する。

 対する日本は敗戦を受け入れ、武装解除してもいいぞという気弱なものでもあった。

 ただし、戦車の神様こと池田はそんなソ連の野望を見透かしている。

 上陸の足音が聞こえる緊迫の中、部隊を一同に集めた。


「彼らの目的はこの最北防衛線、占守島の制圧ではなく無力化だ。つまりは内地の占領にある。

 だからこのまま俺たちは地面に突っ伏し、土をなめていれば彼らも素通りしてくれるだろう。

 そして、俺たちがそうすることによって他の島々も同じくする。結果として多くの命が救われるかもしれない。

 

 そうだ、戦いは終わった。日本は負けた。完敗だ。これは巻き返せないほどの事実である。

 だから、投降するもよし。ここには彼らに比べ旧式の武器。補給もない。もちろん、向こうの兵力もけた違いだ。


 武士道とは絶好の機会を待ってかたき討ち。腹にかかえて生きていく。

 苦々しいが、生きてこそ大願成就。そう思う君たちは一歩前に出てくれ。もちろん、とがめはしない。


 しかし、だ。

 この命が砂礫されきになろうと防波堤のちりに浮かぼうと、燃え逝く城を見ながら自刃した白虎隊のように、武器を手に取る者は手を挙げろ!


 くやし涙を見せないように、頭を下げて進むもよし。だが、その前に! 無念の前に! 生きるために顔を上げろ! 大願に明日はないのだ!!!

 ただし、何度も言うがこれは軍令ではない。むしろ軍令違反。靖国へ帰れないかもしれない。暴走と呼ばれるかもしれない。だから1人1人が考え、導き出した答えでいい」


 軍靴は動かない。ただ、その場で全員が手を挙げるのであった。


 生命線のない無数の手だろう。挙手の兵士たちは声をそろえる。

「何を言っているんですか! 残してきた家族のため、そしてまだ見ぬ日本の子どもため、ずっとずっと練兵してきました。

 それだけで充分であります!」

 ゆっくりとうなずく池田であった。

「それはソ連兵も同じだろう。いつか地獄で彼らとも酒を飲み、語り合おうか!」

 

 土煙が舞い上がる双方の大激戦。先頭をいく池田はこの戦いを真っ先に撃沈していった。

 


 静かで雄大な富士山。

 今では日本人ならびにアメリカ人やロシア人にも有名な観光スポットだ。ご来光に手をふる影に、飛行機雲か。まったく今日もきれいだと伝えるニュース。

 そうか、よかったわね。日本を守った血や骨は、日本を想った魂は、異国の地で風化した。

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