【災】第37話 I LOVE 最強の天使 

 松倉は松本医師を禁足地へと招待する。

「人のままで歩ける道ではございません。足もとにお気をつけください」

 それはロープも階段もない、長く険しい山道だった。それでも、新しく人の足跡で踏み固められてもいた。


 春を過ぎ、腕のように伸びたぜんまい。松本医師はそれを注意深くかき分け、やがて遠く高台に廃墟を確認する。

「ふぅ~~~、あそこでいいのかい? 居場所を追われた人たちのユートピアを、この山中につくりたいと。そのために私の力が必要だと?」


 満足な笑みを浮かべる松倉だ。両手を広げて、うたっていた。

「はい。彼らはここで新しく生まれ変わるのです。そのためにも先生には全員をに整形していただきたいのですよ。気持ちは外見からと言いますからね」

 松本医師は白ける。

「ハッ、くだらないね。それだったら、お面でも被ってもらえればいいことだろう? だいいち、私に何のメリットはあるのかい?

 いいかね、私はお金や権力といった、ありふれた私欲に興味はなのだよ。私は真理が欲しいのだ」


 ドリルのように伸びたふきのとう。2人は踏み潰して、登っていく。

「もちろんですよ。集めた全員は世捨て人です。そして、あなたは最高の医師だ。それと同時に、医学者でもある。

 人体の真理をぞんぶんに探求してみたいと思いませんか?」

 先行する松倉は、満足な笑みを浮かべる松本医師に手を差し伸べていた。 


 もう、戻れないかもな。松本医師は彼の手を握り返す。

「いいでしょう! むしろ、こちらからお願いしたい!

 生体実験。それは天にツバする行為だ。

 想像したことはあるかい? 一粒、一粒、無限につらなる人の細胞集合体。いったいそれらに意志決定する全知の細胞はどこに隠れているのかと?

 心臓部、脳、それとも脊髄? 生きたままバラしてみたい!」

 化け物のように大きいシダが2人を見下ろしていた。



 日本では欧米とは違い、天災を神の裁きとみなさないフシがある。むしろ怨霊であったり、祟りとして、神仏に加護を求めることはあるが、天災をどう復興するかに前向きである。

 おそらく地震や洪水、寒波や日照りの多い国。だから、外国から支配をあきらめられたのだが・・・。


 それでも過去に1度だけ。怒りがあった。

 神は裁く。虫ケラ以下だと思い知るがいい! 晴天の青空。遠くでラッパを吹き鳴らす。

 生温かい風だった。空気が低く不気味なぐらい振動している。野鳥が一目散に飛び立った。


 ああ、ああ

 圧倒的な脅威。それは同じ人でも宇宙人でも地底人でもない。人の上位互換だ。それも、いつもは踏み潰していた存在なのに。すべてを食い尽くす、あがらえない天災へと変化する。

 巻き上がる土煙。

 近づいてくる、ズザザズザザッ―――――――――――――と妙な音。

 すでにアリもネズミも逃げている。でも、でも、どこにも逃げ場はないんだぞ!


 ついにはサイレンより大音響。ノイズというか砂嵐。いや、あれはこすれ合う大量の羽音だ! 

 ああ、そうだよ。ヨハネの黙示録。7大天使様の登場である。

『太陽も空も煙で一色。  が与えた苦痛はサソリの毒と似たりけり』


 マズい! 1732億匹の怒れた大群 (江戸の三大飢饉ききんが1つ、享保きょうほうの大飢饉)


 九州、四国、特に愛媛県を中心に大被害。もともと山を育てる計画もなく、昔の日本の風景ではハゲ山が目立っていた。

 そしてその年は雨が長期間も降らない気候不順におそわれた。春からずっと作物や草花さえ育たない。くわえて6月ごろには湿気も吹き飛ばす干ばつと、すべてを食らい尽くすイナゴが襲来したのだった。


 凄惨。

 どこを見てもイナゴ・イナゴ・イナゴ。気色悪い触手。不気味な目。鋭角な手足。見渡すすべてが虫ゴミで埋め尽くされる。

 それは食料が奪われるどころか、川や池など彼らの死骸で浮いていた。さながら、グロすぎるイナゴのジュースだろう。

 また、家の中に避難しようともところ構わず突撃してくるので、羽音と衝突音が数日、十数日とも続くことがある。

 だから、不穏で眠れない。破壊に来る音ほど恐怖に感じることはないのだから。


 それなら、逃げ出せばいいか?

 あきらめた方がいい。黄砂の雲のように広範囲で飲み込んでくる。ジェット機でその飛翔が確認できたほどの高さもあるのだ。生身で外出は不可能だろう。夜になると、何かをかじっている気もするのだ。

 そうだ。1分、1秒、安らぎはない。正常では暮らせなくなる。いつ止むかわからない恐怖と、侵入を許してしまう恐怖と不安でしかない。その間も、床や天井がミシミシと悲鳴を上げる。


 もう、音に殺される。大量の虫に襲われたら? 体に侵入を許したら? 

 耳の奥でガサガサするだけでも発狂する。ましてやすぐに死にきれなかったら、どうなるのか!

 すでに家中にも侵入している。2匹、3匹と気づいたらいるのだ。そして、目の前のかべを激しくたたく音。その上でまったくの孤立無援だ。救援を呼ぼうともすべてふさがっているのだぞ!


 

 それでも、ようやく止んだイナゴの天災。ずっと、生きた心地がしなかった。心臓にかかっていた負担もやわらぐ。

 だが、今度は絶望を見るだろう。

 それは体当たりで壊されたかべや屋根。食い散らかされた家畜の残骸。育てた作物の影すらない。

 拾い上げると、無限に広がるねちねちと動くイナゴのじゅうたんだ。弱った、負傷した、置き去りにされた彼らだ。ただ飛翔に特化しているため、中身はスッカラカン。そのため食べ物や肥料にもなりはしない。それがねちねちと未だ、動いているのだから気持ち悪いを通り越して、悪夢でしかない。


 というか、これは予言であった。

 待ち受ける自分の姿を。

 残された食べ物はすべて消えた。ねちねちともがき苦しむ、死ぬに死にきれない飢餓地獄の到来を告げる!


 ところで支援という言葉すらなかった時代。

 被害は自分たちで治すことが当たり前であった。その間も納税はせまられる。

 おかしいか? なぜなら、土地を貸しているんだよ。おまえたちが力で奪った土地でもないんだろ? そして、その土地を逃げたら犯罪者だからな。そんなことをしたら親族や周辺も含め連帯責任だ。 


 凄惨。

 悪夢はやはり予言であった。

 二者択一。食われて死ぬか? 食わずに死ぬか? その違いであった。

 あのイナゴのじゅうたんから、見る間に死人の山へと変わる。骨と皮ばかりで、あるいは野犬に千切られ、ハエや虫がたかっている。半年後には弱り切った死屍累々の人骨じゅうたんへと切り替わっていたのだ。

 ようやくマズいと感じたのは年末ごろ。お救い米で対応するが、全国でも2万人の人口減。おそらく過小で数字を報告しているので、その倍は骸になっているだろう。



 ああ、ああ

 遠く聞こえていただけの羽音の大群が、なにやら体の底から響いてくるぞ。もちろん細菌だけではない。虫だって立派にその体で飼っているのだ。

 お腹がねちねちと鳴り出した。鼻をかんだ瞬間に奇妙な虫が動いていた。便からは線虫が、嘔吐物にもミミズあり。

 さて、ダイエットに虫でも飼おうかい。

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