【災】第37話 I LOVE 最強の天使 

 松倉は松本医師を禁足地へと招待する。

「人のままで歩ける道ではございません。足もとにお気をつけください」

 それはロープも階段もない、長く険しい山道だった。だが、新しく人の足跡で踏み固められていた。


 春を過ぎ、腕のように伸びたぜんまいが生いしげる。松本医師はそれを注意深くかき分け、やがて遠く高台に廃墟を確認する。

「ふぅ~~~、あそこでいいのかい? 居場所を追われた人たちのユートピアを、この山中につくりたいと。そのために私の力が必要だって?」


 汗一つ、垂らさない松倉だ。上下の白いスーツもなぜが汚れがうつらない。両手を広げて、うたった。

「はい。彼らはここで新しく生まれ変わるのです。そのためにも先生には引き連れた全員をに整形していただきたいのですよ。気持ちは外見からと言いますからね」

 松本医師は白ける。

「ハッ、本当にそんなことを考えているのかね? だったら、お面でも被ってもらえればいいことだろう? そもそも私に何のメリットはあるのかい?

 いいかね、私は気持ち良さが欲しいのではないのだよ。お金や権力に名誉などといった、ありふれた気持ち良さではない。

 私は気持ち悪いほどの正解が欲しいのだよ」


 ドリルのように伸びたふきのとう。2人は踏み潰して、登っていく。

「もちろんですよ。そのためにも、あの建物にはプレゼントもご用意致しました。

 また、集めた全員は世捨て人です。そして、あなたは最高の医師だ。それと同時に、医学者でもある。

 人体の謎をぞんぶんに探求してみたいと思いませんか?」

 先行する松倉は、笑みを浮かべる松本医師に手を差し伸べていた。 


 松本医師は得意な顔で天をあおぐ。

「くふぅ、実におもしろい!

 リミッターのない生体実験。それは天にツバする行為だ。

 想像したことはあるのかい? 一粒、一粒、無限につらなる人の細胞集合体。いったいそれらに意志決定する全知の細胞はどこに隠れているのかい?

 

 心臓部、脳、それとも波?

 以前は人中の虫だと考えられていた。腹の虫。虫のいどころ。虫酸が走る。いや、当時はそれが常識。

 つまりはこの時点でも未開であること。人体の不思議とはまるで素数の海をただようパンドラの箱さ」


 医学とは、薬学とは、多くの人を犠牲にしてきた。

 まるで悪魔の儀式だろう。生皮をはぎ、それこそ麻酔なしに肩甲骨を引きはがした。

 ぞうきんのように苦痛をゆがませようがお構いなし。悲鳴がうるさないなら、声帯を壊せばいい。抵抗するなら切り落とせばいい。まさに人外だ。

 何時間も冷水と熱湯を往復させ、その様子を観察するなどありとあらゆる非道な実験を繰り返してきた。

 または、くだいたミイラの骨を良薬として販売。猛毒の水銀を不老薬として販売。

 極上のワインにはコクが出て美味しいとなまりを入れて販売だ。それは決して人体から排出されない有毒物質。食べては吐き、飲んでは吐き、ぜいをつくした支配者階級には鉛だけが胃に残る。

 だから、やたらと奇形児や子どもの寿命が短い不思議。こういった、いかがわしい効能の数々。怪しい民間療法も含め、信じる者を中毒死させてきた。


 ああ、ああ

 確かに医道ではない。

 ただし、神の領域をのぞき見た瞬間、断罪は下されてきた。ツバした報いが何億倍となって戻ってくる。

 最強とは何か? 

 それはウイルスや毒素のある生物ではない。晴天の青空。遠くでラッパを吹き鳴らす。


 生温かい風だった。空気が低く不気味なぐらい振動している。大気が汚れ、息が吸いづらくなる。野鳥が一目散に飛び立った。

 笑顔が一転、固くなる松本医師であった。

「しまった! 禁断の声を聞かれてしまった!」


 人類にふりかかる敵。それは宇宙人でも地底人でもない。人の上位互換だ。それもいつもは踏み潰していた存在が上位に来る屈辱。すべてを食い尽くす、あがらえない天災。


 近づいてくる、ズザザズザザッ―――――――――――――と妙な音。

 巻き上がる土煙だ。

 すでにアリもネズミも逃げている。でも、でも、どこにも逃げ場はないんだぞ!


 ついにはサイレンより大音響。ノイズというか砂嵐。いや、あれはこすれ合う大量の羽音だ! 

 ああ、そうだよ。ヨハネの黙示録。7大天使様の登場である。

『 太陽も空も煙で一色。  が与えた苦痛はサソリの毒と似たりけり 』


 マズい!!! 1732億匹の怒れた大群!!! (享保の大飢饉)


 九州、四国、特に愛媛県を中心に大被害。もともと山を育てる計画もなく、昔の日本の風景ではハゲ山が目立っていた。

 そしてその年は雨が長期間も降らない気候不順。春からずっと作物や草花さえ育たない。くわえて6月ごろには、湿気も吹き飛ばす干ばつと、すべてを食らい尽くすイナゴが襲来したのだった。


 凄惨。

 気色悪い触手。不気味な目。鋭角な手足。見渡すすべてが虫ゴミでうごめくのだ。

 それは食料が奪われるどころか川や池は彼らの死骸で埋め尽くされる。家の中に避難しようともところ構わず突撃してくるので、羽音と衝突音が数日、十数日とも続くことがある。

 だから、不穏で眠れるわけがない。破壊に来る音ほど恐怖に感じることはないのだから。


 それなら、逃げ出せばいいか?

 あきらめた方がいい。黄砂の雲のように広範囲で飲み込んでくる。ジェット機でその飛翔が確認できたほどの高さもあるのだ。生身で外出は不可能になるだろう。夜になると、何かをかじっている気もするのだ。

 そうだ。1分、1秒、安らぎはない。正常では暮らせなくなる。いつ止むかわからない恐怖と、侵入を許してしまう恐怖と不安でしかない。その間も、床や天井がミシミシと悲鳴を上げる。

 もう、音に殺される。大量の虫に襲われたら? 体に侵入を許したら? 

 耳の奥でガサガサするだけでも発狂する。ましてやすぐに死にきれなかったら、どうなるんだよ!

 すでに砂煙は家中にも侵入している。目の前のかべを激しくたたいてる。その上でまったくの孤立無援だ。救援を呼ぼうともすべてふさがっているんだぞ!


 

 それでも、ようやく止んだイナゴの天災。ずっと、生きた心地がしなかった。心臓にかかっていた負担もだいぶやわらぐ。

 だが、今度は絶望を見るだろう。

 それは体当たりで壊されたかべや屋根。食い散らかされた家畜の残骸。育てた作物の影すらない。

 拾い上げると、無限に広がるねちねちと動くイナゴのじゅうたんだ。弱った、負傷した、置き去りにされた彼らだ。ただ飛翔に特化しているため、中身はスッカラカン。そのため食べ物や肥料にもなりはしない。それがねちねちと未だ、動いているのだから気持ち悪いを通り越して、悪夢でしかない。


 というか、これは予言であった。

 待ち受ける自分の姿を。

 残された食べ物はすべて消えた。ねちねちともがき苦しむ、死ぬに死にきれない飢餓地獄!


 ところで支援という言葉すらなかった時代。

 被害は自分たちで治すことが当たり前であった。その間も納税はせまられる。

 おかしいか? なぜなら、土地を貸しているんだよ。おまえたちが力で奪った土地でもないんだろ? そして、その土地を逃げたら犯罪者だからな。そんなことをしたら親族や周辺も含め連帯責任だ。 


 凄惨。

 悪夢はやはり予言であった。

 二者択一。食われて死ぬか? 食わずに死ぬかの? その違いであった。

 あのイナゴのじゅうたんから、見る間に死人の山へと変わる。骨と皮ばかりで、あるいは野犬に千切られ、ハエや虫がたかっている。半年後には弱り切った死屍累々の人骨じゅうたんへと切り替わっていたのだ。

 ようやくマズいと感じたのは年末ごろ。お救い米で対応するが、全国でも2万人の人口減。おそらく過小で数字を上げているので、その倍は骸になっているだろう。



 ああ、ああ

 遠く聞こえていただけの羽音の大群が、なにやら体の底から響いてくるぞ。もちろん細菌だけではない。虫だって立派にその体で飼っているのだ。

 お腹がねちねちと鳴り出した。鼻をかんだ瞬間に奇妙な虫が動いていた。便からは線虫が、嘔吐物にもミミズあり。

 さて、ダイエットに虫でも飼おうか。

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