第34話 食人植物

 早朝、宮武は事務所で目を覚ます。

 デスクがヨダレの池。ぐったりとすわったままの姿勢しせいであった。    

 気づくと、頭が焼けるように熱くて痛い。首から上があまりに重く、しばらくほおづえをついたまま動けずにいた。


 それにしても記憶がない。目の前には空の缶チューハイの山。そうか、確か昨晩は事務所でプチ祝勝会だったはず。その後も飲み続けていたと思うんだが………。


 サッパリしようと事務所の洗面へ歩き出す。そんなとき見上げると、天井には血のあとを発見した。

「そうだっ! 思い出した!!!」 

 思わず絶叫ぜっきょう。彼以外、誰もいない事務所だった。その声は返す言葉もなく霧散むさんする。だが、そんなことはどうでもいい。すぐさま自分の股間こかんをまさぐった。

 ギザギザの刃で切られたんだ。あのとき、えがたい地獄じごくの苦しみがよみがえる。


 1人になった深夜でのこと。なにやら天井から血。怪しんで上の階へ向かうと、わけもわからず大広間に案内された。そこで服毒ふくどくの酒をすすめられる。拘束こうそくもされ、大事な部分を切り取られてしまったのだ。

 だが今、自分の睾丸こうがんは定位置にある。それも朝、起きたばかりで元気なものだ。

 

 ふ~~~……。なんだ、夢だったか。ホッとするのもつかの間。よくさわった先だがないぞ、ないない! 真っさらだ!

 陰毛いんもうがキレイにそられていた。

「そんなバカな!」 

 あわてて上の階を確認する。しかし、なぜか空室。大奥おおおく表札ひょうさつさえないなんて! そして、うっすらと耳の奥に残る言葉が頭の中をかけめぐる。

 思わず復唱ふくしょうしていた。

 「おまえの身代わりを用意しろ」

 冷や汗が滝。あのときのトビラは異世界との境界だった。決して立ち入ってはいけない。これは助かったんじゃない。脅迫きょうはく、おどしだ。条件を理由に救われたんだ。

 二日酔ふつかよいより、たちが悪い。朝日が差し込む中、宮武は無言でデスクをふいていた。



 おどし。それは戦わないために必要なのか?

 おそらくそれは始まりの合図あいずだったかもしれない。あのときだって、結局は一発で何百万人もはいにした。

 爆風で死ぬならまだマシ。死にそびれて全身から血が沸騰ふっとう。人々でぎゅうぎゅうのドブ川へ飛び込む。川はすぐに黒焦くろこげの死体であふれかえり、絶望の山。クスリも救急車も来なければ、人のかたちだったものが川中でかさなり「あつい。あつい」とうめきながら死に絶える。

 そんな地獄絵図も数十年たってしまえば、二日酔いの夢だった。正義だったと花を手向たむける。

 

 もしくはもののけのたぐいからのおどしもある。しめなわ鳥居とりい慰霊碑いれいひを壊してたたられる。面白半分、遊んだ帰りに「あつい。あつい」と背中に違和感。確認するときずだらけになっていた。その傷の中から、あの縄の一片だ。

 ちなみに神社が存在する前から、鳥居は存在する。誰がいつ、どこから始めたのか? 神よりも昔、神代の時代よりさかのぼる。

 そんな怪しげな動画は数多く。

 

 やられたら、やりかえせ!

 入ってくるなら、覚悟しろ!

 

 現実と夢の間。どうも信じがたいな。それが、150年前のことだったらどうだろう? ヤナギはなぜ幽霊を見やすいのか、その答えは鳥居よりも恐ろしい。

 サクラと同じく、川の土手を強くするため中国から輸入されたよ。そして川は境界線であり、生死のさかい。そこで下へれ、その雰囲気ふんいききらわれたから? つまりは近づくなの警告の意味?


 1849秒 11分 21時間 


 いいえ、これは絶対に教科書にのることのない。場面は大陸の清(現:中国)。そこへ勢力を伸ばす明治政府(日本)との日清戦争の時間であった。


 あのこの世で一番、いびつなヤナギは何だ? 

 つい、先日まで談笑だんしょうしていた仲間の兵士の大腸だいちょうがぶら下がる。それはしみったれたほど細長く、わずかに風でゆれていた。

 羽虫がたかるその死体。どれくらい憎しみがこもっていたのだろう。頭部の裂傷れっしょうもひどい。耳は切られ、鼻はそがれ、目がえぐり出されている。


 生きていたころは後輩には厳しいが家族思いでたくましい笑顔が印象的だった。それが今はどうだ? ところどころ、骨がむき出しで前歯がくだかれている顔面だ。

 残っている顔面の皮膚ひふ強烈きょうれつな引きつり。そこからさっするに、息をしている時点でバラされたのか? 

 一部の兵士はあまりのむごたらしさに嗚咽おえつしたまま突っ伏つっぷした。また、絶句ぜっくしたままくずれていた。

 

 侵略者にはばつを!

 正義の常套文句じょうとうもんく。それでもまだ、理解できていない兵士が大半をめる。

 確か彼は相手国の捕虜ほりょになったというが、国際法の微塵みじんもない変わりてた姿だ。いや、肉塊にくかい姿すがたすらたもっておらず、やぶれた洗濯物せんたくもののようだった。


 むき出しの内臓ないぞうには大きなえださる。手や指はかろうじてつながっているだけ。それというのも野犬が飛び上がり食いちぎっていたからだろう。


 それでも指揮官はむせぶ兵士たちの前で号令だ。

「下を向くことは許さん! この光景を直視ちょくししろ! これは間違いなくけだもの所業しょぎょうだ。ならば害獣がいじゅう根絶ねだやしにしなければならん。虫ケラ一匹も残しておくな!」

 のどをふるわせ、こぶしを突き上げた。すると、兵士たちのするどい銃剣じゅうけん威勢いせいよく天を突く。

「あのヤナギを旅順りょじゅんかせる!」

 そこからだ。眼下に広がる一万人の大都市、清の旅順。撤兵し、残すはほとんどが無関係な一般市民であった。ここにおいて日本人だけかくされた虐殺ぎゃくさつ事件が発生。

 人の数え方も変わったよ。1人、2人じゃない。1匹、2匹の数え方だ!

  

 指揮官は無慈悲むじひ惨殺ざんさつしていく日本軍を見て、ほくそ笑む。

「バラバラ死体をヤナギにつるすという猟奇的りょうきてきなおどしなぁ~~~。

 確かに個人には恐怖だよ。ただし、軍隊には別。通用しない。

 むしろ兵士教育になりえる。捕虜となったら、こうなると。

 俺たちはこうなるくらいなら、徹底的に抵抗ていこうし、徹底的に壊滅かいめつしろと」

 そして出来上がった殺人マシーンの最凶日本軍。片手には銃剣、ふところにはモルヒネだ。


 ええ、彼らの銃剣はよくれたよ。人を斬ることから解体まで殺傷さっしょうに特化した日本刀。その銃剣は恐ろしいほどよく斬れた。

 ヤナギの葉、一枚一枚にべっとりと血が流れた。神風と書かれたそのハチマキがそんなにカッコいいか? 神との対話か? 獣のよだれかけか?

 ヤナギは「もう、いいかげんにしろよ」と自ら嫌われるために言ったのだ。


 ちなみにこのキッカケとなったヤナギの死体は懸賞けんしょう首だったという。戦場では首を持ち帰ることは難しい。だから、分解して一部を持っていく。その中でも鼻は切り取りやすく持ち運びやすい。

 そして死んだ情報が流れれば、合格点である。

 オイオイッ、本当なのか? まず、ここまで憎しみ合っていないだろ。ただ、あのときはそんな感情が支配していた。何も感じないようになっていた。戦争に人などいない。結局、おどしは境界をみ越えるための材料だった。

 

 世界の知らないウィンドウズ。鳥居を超えたあの日から、恐怖にあやつられていたと思う。

 




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