【死】第34話 首切り桓騎の木
早朝、宮武は事務所で目を覚ます。ぐったりと座ったままの姿勢であった。腰が痛い。ほほが臭い。悪酔いのせいかデスクの上はヨダレの池だ。
その上、記憶がやたらと飛んでいる。目の前には空の缶チューハイがたくさん並んでいる。そうか、確か昨晩は事務所のみんなとプチ祝勝会したはずだ。その後も一人で飲み続けていたと思うんだが………。
途中、サッパリしようと事務所の洗面でハミガキをする。そのとき、こ~う頭の上に生温かい液体がかかったんだよな。見上げると、換気口の角から血が
俺はドッキリかと思ってすぐさま見渡す。同時に大声も出したが、返事もなく静まりかえったままだった。
それは気色悪いあずき色。静脈を深く切ったと思われる。まだまだ、血が垂れていた。その致死量に、ただ事ではないと身震いしたよ。いやいやそこはジャーナリスト魂だ。不安と不倫はネタだと信じ、上の階へ行くのだが………。
「そうだっ! 思い出した!!!」
思わず絶叫。その声は誰にも届かず霧散した。だが、それならそれでかまわない。すぐさま自分の
あのときの耐えがたい地獄の苦しみがよみがえる。上の階ではわけもわからず大広間に案内された。そこで服毒の酒をすすめられる。拘束もされ、大事な部分をジャリジャリと切り取られたんだよ。
それでも元気な朝立ちにぶつかる。玉も定位置だ。なんだ、夢だったかとホッとするのもつかの間。ないぞ、ないない! 真っ青だ! 局部の毛がそられていた。
そして、耳の奥に残る
『 おまえの身代わりを用意しろ 』
これは助かったんじゃない。条件を理由に救われたんだ。それも時限がついている。
誰かを殺れ。二日酔いより、たちが悪い。朝日が差し込む中、宮武は無言でデスクをふいていた。
春はあけぼの。富士に映える芽吹きと、川面に浮かぶ花びらの舟。
やんわりとした春の日差しが森を抜け、まだ冷たい土壌をゆっくりと温める。二人の足もとはしっとりとぬかるみ、新芽を踏み潰していた。
「日本のサクラはすばらしい。それに引き換え、ヤナギは人気がないものですね」
自らの作った禁足地で感嘆する松倉だ。この先、入村を禁ず。境界線として何人も勝手に侵入できないようにしよう。彼らの目の前にはまがまがしい大木がそびえていた。
「フンッ、何を血迷ったか。これはサクラでもヤナギでもない。ゴツゴツとした樹皮に、あずき色の樹脂。せり出した人面のこぶの数々だ。この大木は人喰いだろうよ」
鼻をならす牟田口だ。しめ縄を取り出していた。
松倉も手袋をはめて準備にかかる。
「フフフッ、どのような見方や名前も植物にとっては関心ないことでしょう。むしろ彼らにとっては人の存在など、虫けらと同じ。利用価値があるかないかだけです。このように木飾るのも彼らにとっては意味不明だと思いますよ」
左右でぐるっと一周する。 松倉と牟田口は人面こぶに気を配りながら、しめ縄をしめていた。
「それでは今、この行為はなんだろうな?」
大木の背面はびっしりとした青ゴケ。足もとはヘビのようにうねる木の根が邪魔で歩きづらい。
「ただ、私たちは神との対話ですよ」
牟田口の肩に黒い葉がとまる。
「実際は縄でしめているんだけなんだがな。その神ってのは死体が転がる戦争時によく顔を出すらしい。御神木も、もううんざりだってよ。人の異常さに巻き込むなってな。
彼らは何も観賞される側じゃないだろう。見てきたのは蜘蛛がエサを捕食する姿。鳥がエサを食い殺す姿。まさに生と死の瞬間だ。ただし、残忍という言葉を知りながら惨殺できるのは人しかいないと語ったよ。特にヤナギは言っていた。彼に吊されたのは見るも無惨なバラバラ死体だった」
1984秒11分21時間。
つい、先日まで談笑していた仲間の大腸がぶら下がる。それはしみったれたほど細長く、わずかに風でゆれていた。
羽虫がたかるその死体。どれくらい憎しみがこもっていたのだろう。頭部の裂傷もひどい。耳は切られ、鼻はそがれ、目がえぐり出されている。ところどころ、骨がむき出る顔面だ。皮膚の強烈な引きつり。そこから察するに、息をしている時点でバラされたのか? 一部の兵士は嗚咽したまま突っ伏した。また、絶句したまま足から崩れていた。
それでもまだ、理解できていない兵士が大半を占める。確か相手国の捕虜になったというが国際法の微塵もない変わり果てた姿だ。いや、肉塊。姿すらたもっておらず、やぶれた洗濯物のようだった。
むき出しの内臓には大きな枝が突き刺さる。手や指はかろうじてつながっているだけで地面につきそうでもあった。それというのも野犬が飛び上がり食いちぎっていたからだ。
軍服姿の牟田口は目を閉じる。
「そんなヤナギを見て、すべての臓物が吐き出るかと思ったよ。それほどまでの鬼畜の光景。地獄とはあの世じゃない。この世にあるものだと理解したね」
ヤナギの原産は中国だという。戦争の勝敗はすでに決していた。ただ、やられたままでは終われない。それはどちらも同じことだった。
指揮官はむせぶ兵士たちの前で号令する。
「下を向くことは許さん! この光景を直視しろ! これは間違いなく獣の所業だ。ならば害獣を根絶やしにしなければならん。虫ケラ一匹も残しておくな!」
のどを震わせ、拳を突き上げる。すると、するどい無数の銃剣が威勢よく天を突いたのだった。
その先はまず、野犬があっという間に銃殺される。そこからだ。人の数え方も変わったよ。一人、二人じゃない。一匹、二匹だ。
眼下に広がる一万人都市。抵抗勢力は撤兵し、残すはほとんどが無関係な一般市民であった。
ここにおいて日本人だけが知らない虐殺現場。指揮官の大山が進軍の号令を出す。
「残らず消毒だ‼」
手袋に大きなアリ。松倉は大木にクギと一緒に打ち込んだ。
「猟奇的な殺害方法。確かに個人や集団には恐怖しかありません。ただし、軍隊には別なのです。通用しない。
むしろ兵士教育になりえます。捕虜となったら、こうなると。君たちはすでに銃剣をにぎっているから逃れられないと。捕囚になるなら自殺がマシと。こうならないためにも、徹底的に壊滅しろと」
片手には銃剣、片手には青酸カリ。兵士になるとはそういうことだ。戦場に
牟田口はため息をついた。
「この一連の事件のおかげで欧米からの東アジアへの信用度は0になった。やはり野蛮で粗悪で裏切りしかないとよ。
おかげで盧溝橋のときも俺たちじゃないと言ったが聞き耳もたずだ。散々だったぜ」
兵士たちには故郷から絵はがきが届くという。なぜなら絵には家族やその土地でしかわからない暗号をひそませることができるからだ。ほんのつかの間。涙を流し、人に戻ることができる。しかし、号令は待たない。それは獣へ変えるとき。
「虫ケラどもの脳髄を生きたまま引っこ抜け! 女、子どもにいたるまで駆逐しろ!」
ええ、でまかせだ。そんなことは一言も言わない。ただ、指揮官は冷静に伝える。手や足をもいだほうが処分しやすいと。証拠を残さないためにも丸ごと焼いてしまえば良いと。ただ、それだけだ。
サーベルの変わりになった日本刀の銃剣は恐ろしいほどよく斬れた。
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