第30話 教科書疑獄事件…つまらんね。こっそり変えよう➡『1963年5月1日 女子高生強盗強姦殺人事件』

 これは身代みのしろ金目的の誘拐ゆうかい事件だという。

 題名通りやましいことまで想像するが、16歳だったんだよ彼女はね。それも当日、『誕生日だから早く帰る』と友達に言い残してる。そう、高校2年生の下校途中だったんだ。


 しだいに激しい雨。外はすっかり夜のとばりだ。

 右も左も真っ暗に。あかりという明かりは一切ない。地元でもあまりに暗くなると帰り道がわからなくなるほどだったんだ。

 ただ、今日は市議選なんで。それなりに人の出もあったはず。どしゃ降りでも誰か見つけてくれるだろうよと。(それがロリコン殺人鬼であったとは………。)

 

 まだなの?_いくら待てども、ただいまの声はひびかない。夕食がのどを通らない。もう、心配をはじめる家族たち。それでも、玄関のトビラがガタついた。

 雨で遅くなってゴメンね。少し安心して、むかえに出るが、いいや最後まで開かれることはなかった。


 どうもヒドく不吉な予感だ。代わりにそこには

『子どもの命がほしければ、女性1人で20万円を持って雑貨店の前に立て』

 そうだ、脅迫きょうはく状がはさまっていたんだ。

 もちろん警察に話したら、子どもの命の保障ほしょうはないともあった。


 それでも、家族は協力をあおぐ。

 そして深夜の零時れいじを回ったころ。その指定の場所だ。まわりでかくれていたのはなんと38人もの警官たちであった。他、PTA会長も担任も大集合。

 そんな有りえない数の草かげで待ち続ける。ついに犯人はお金をいた姉と接触せっしょくするタイミング。耳もとで

「約束をやぶっただろ!」であった。


 そして、あろうことか取り逃がしてしまう。信じられないが事実であった。

 次の日、村中が知っている有り様。誘拐ゆうかいの話をもらしたら命の保障はない、はずなのにである! 結果、4日後。強姦ごうかんされ、首をしめられた遺体が発見されてしまったのだ。

 家族の深い悲しみ、そんな安い言葉で表せるか。身代金を手にしていた、入籍にゅうせき直後のあね憔悴しょうすい。ノイローゼで自殺。同時に警察への不信感は社会全体へ広がった。


 世紀の大失態しったい。 せめて、警察の威信いしんをかけて1秒でも早く犯人をつかまえる! それがさらなる悲劇ひげきをよんだ。

 20万円だぞ? そんな安い要求は頭の悪いやつがやるに違いない。低脳なサルだろ。そういえば、近くにあの被差別部落があったよな。その中に犯人がいるに違いない!

 確か、学校から家までの帰り道。

 不良どものたまり場だった養豚場ようとんじょうがあったよな? あそこがクサい。絶対に臭い。まずはそいつらだな。特に犯罪歴のあるやつだ。

 そう、証拠しょうこ証言しょうげんの前に『だろう』捜査そうさが始まった。



 ああ、申しわけないね。

 あまりピンとこなかっただろう。被差別って何よ? 大丈夫、よくわかるように選手交代。この先、よくわかる坊主ぼうずにしゃべってもらおうか。

「突然の交代で悪いさね。

 戒名かいめいってな、出家して仏門ぶつもんに入った者に与えられる名前さね。現代では出家する人はほとんどいないんで、葬儀そうぎをおこなう俺たち坊主によって仏の弟子でしになったことにしての名前を与える。

 んで、あの世に旅立っていくものだった。ただし、その名前も担当するものによって変わるんだよ。要は金だな。つんだ金や貢献度こうけんどによって、良い名前がつけられるシステムさね。

 ああん、だまれって。そうじゃなきゃ、今どき仏教なんてかせぎ口がないんだよ。昔は死体に関わるなんて『けがれ』がうつるときらわれたんだ。それが進んで金をせびる。葬式仏教のなれのてってやつさね。

 それをふまえて、『差別戒名』ってのは知ってるかい? 血。肉。骨。皮をなめて、土にめる。あいつらはな、人や家畜かちくの死体の処理をしてた血筋さ。まるで人じゃねぇ。あいつらが自殺しようが、病死しようが、たいしたことないさね。だって、人じゃないんだから。いじめのルーツもここにある。汚れものには心もたましいも、いやしくって近づくなってさ。うつる。うつる。『けがれ』がうつる。

 だから、『蓄・革・屠』って名づけんだ。

 その意味は社会だけでなく俺たち坊主でさえもその職業を侮辱ぶじょくし、存在をおとしめるため、そんな文字を戒名へ入れ込んだ。墓にもきざむよ。だから、ちょっと確認すれば、ルーツがわかる。

 いいや、それすらまだマシさ。差別戒名すらおこがましい。あいつらはもともと不浄だ。一緒くたにゴミのように放棄ほうきされ、野ざらしになっていた場所、それを蓮台野って言うんだよ。地名ってのはホント、恐ろしいんもんさね」



 話は長くなってしまった。

 いいかげんな聞き込みの上、1人の青年をつかまえる。そして、罪をかぶせて死刑判決。やれやれ一件落着、とはいかなかった。この未解決事件は日本の古い悪習のすべてをつめこんだパンドラの箱。

 単に不当な逮捕たいほだったのか?

 まだまだ、死体は増えていく。家族の使用人も翌日結婚式をむかえるというのに自殺。あやしい人影を見たと証言していた村民までもが自殺。養豚場主の兄も心労で自殺。青年の兄弟も自ら命を絶っていた。

(一部、自殺かどうかも怪しいという。)

 そして、当日の市長選。女子校生の父親がその地区の有力者であったこと、村八分をしていた中心グループであったこと。前述ぜんじゅつのかくれていた担任が大変な暴力教師であったこと。ホラッ………。ほじれば、いくらでもウミは出てくる。

 


 けがれ、うらみ、つらみ、にくしみ。

 それどころか、さらに恐ろしいよ。差別された部落の中でも、さらに差別があるんだよ。流れ着いた者から取り仕切る者。これだけでも天と地の差だ。そうして弱い者がさらに弱い者をたたくものだから、誰も口を閉ざしていった。どうせわざわいしかないんだから。

 そのうちに、警察側の印象操作。地元の新聞では青年を「なまけ者でギャンブル狂い」など、おもしろおかしく書き立てる。

 さらには逮捕された弁護の側もヒドいこと。女子校生を「複数の男と肉体関係」があった遊び人とけなす者もあらわれる。あこがれた男子生徒を日記につづっていただけなのに。


 もう、さようならさね。

 あの草かげも、家も、建物も、全部消えた。地名もない。あのころから生きてる人も坊主も差別も警察もいない。誕生日も選挙も事件もなかった。裁判も犯人もなかった。

 この30話もない。検索けんさくしても出てこんよ。黒くつぶされた白紙だけさね。いいか、これ以上は関わらないことだ。

 よくおぼえておけ。


 (さて、本筋に戻るのでこれ以降は飛ばして大丈夫です。)


 3月をむかえ、高校では最期のクラス会が開かれた。

 担任たんにんの松倉は生徒の前に立っていた。

「それではみなさんにおたずねします。この国で、誰もが平等だった時代とはいつでしょう?」

 唐突とうとつな質問である。生徒の1人が手をげる。

「はい。今ですか?」

 ちん回答だ。クスクスとした笑いが起こった。


 首をふる松倉だ。

「残念ながら不正解です。答えは第2次世界大戦中です。

 それは極端きょくたんに物がなく、明日をも知れなかった時代。財産を丸ごと国へ取り上げられ、配給に並ぶこと毎日。だからこそ、誰もが顔見知り。

 そんな中、もしかくし持っていたら、ぜいたくでもしたら、密告されてブタ箱行きです。そのために、思いがけず出現したのは平等な社会でした。

 ですから、君たちも心にめておきなさい。貧しさこそが社会の平等」


 さらに続ける松倉だ。

「君たちはこれから社会で活躍するでしょう。

 そのときは、存分ぞんぶんに仲間の足を引っ張りなさい。先輩を蹴落けおとしなさい。後輩をはめなさい。

 そのように競争社会をこわすのです。そうすれば、横一線の平等な社会へ近づくでしょう」


 一瞬の静けさの後に、割れんばかりの拍手はくしゅが起こる。同時に、松倉へサプライズの花束はなたばが渡された。

「先生! 今まで貴重なご指導、ありがとうございました!」

 すすり泣くこと1人ずつ。生徒たちは彼と握手あくしゅわして退室していく。教室の外では春のあらしっていた。



 教室の後ろでは鈴木教頭の姿だ。今のセレモニーを終始しゅうしうたがいの目でながめていた。

「松倉君。なるほど、君は本当に生徒から人気があるようですね。しかし、最後まで君の言っていることはまったく意味不明でした。人々がその平等のため、どれだけ血を流してきたか知っているはずですが」

 ただ、意に返さない。松倉は平然と言い切る。

「そうですか? 平等とは悪魔も使う言葉ですよ」

 そう言いながら、松倉はゴミ箱に今まで使っていた教科書を捨てていた。


 突然の行為に、驚く鈴木教頭。

「君は何をやっているんだ! 生徒が見たら悲しむぞ!」

 つえをついて、かけよる。そして松倉もまた、歩を進めた。

「そうですか?

 今後、この本は生徒たちと再び交わることはないでしょう。いわゆるブタ箱行きです」

「くだらん! それを言ったら、教育者は終わりだ!」

 もう、松倉は理解を求める口ではなかった。

「使われなくなったら、ゴミでしょう。

 何千万もの紙幣しへいはどう処理されていると思っているのですか? 聖書ですら古くなったら、どうなるのでしょう?」

 

 その後も松倉は 1902冊 の教科書を淡々たんたんと燃やしていった。



 その、日本の教科書の歴史は意外と浅い。

 まずは戦前の教科書から見ていこう。そこにはきっちりとした神道系教育。さらには軍事色の強い、佐久間つとむ艦艇かんてい沈没ちんぼつ事故がのっていた。


 そう、確か軍事演習えんしゅう中。艦艇かんていの故障により、14人の船員を乗せたまま海の底へしずんだという。そのとき、艦長だった佐久間はサイレンがひびく中、その絶死の混乱をよくおさめたという。

 普通であれば殺し合い、暴動が必ず起きる。なぜなら、数時間後には確実死。ルールも命令も無価値だ。呼吸が苦しくなれば、酸素のうばい合い。つまり、他の呼吸を殺そうとする。


 しかし彼の遺書いしょには、そして部下とその家族へもわびたという手記だった。

 また今後の教訓として、故障の原因や艦内で缶詰かんづめになった後の状況も手記につづっている。

 最後。電灯も消え、酸素も激減。静けさが増していく中、動力も使えなくなっていく究極の恐怖。それでも船員たちは一同、のだと。


 お気づきだろうか。教科書が、この平等の死をたたえること。


 そして、戦後にものっていた上野動物園の『かわいそうな象』。

 話自体は戦時中。食料不足のため動物たちにエサをあげられず、飼育しいく員が弱っていく動物たちの姿を苦しみ、それでも見過ごすしかなかった。

 象は象で、エサがもらえるならと必死になって飼育員に芸を披露ひろうした。その切ない、命の消える物語。

 だが、もしそれが芸達者な犬であったら食料として食べられていたかもしれない。まったく平等な命だ。



 松倉は燃える教科書を見て、一笑する。

「フッ! 教科書の本当の価値は支配の一環いっかんですよ」

 教科書が始まった当初、その検定けんていは県や自治体レベルであった。

 要は勝手に作ってもOK。つまり何でもあり。資産家しさんかが自分史をのせることもOK。歴史に味付けすることもOK。

 だからこそ出版しゅっぱん社へワイロが横行おうこうする。むしろ、出版社側が持ちかけた。


「自分の教科書を使ってくださいよ~~~。

 ええ、あなたのことも書きますから~~~。

なんなら郷土ごうし英雄えいゆうとしてのせましょう! そうすれば、あなたは選挙で当選する。お互いに甘いしるを吸いましょうね♥」

 そこで、大金がうごめいた。ただ、国がその仕組みに気づいたときなぜだか

1902年、教科書疑獄ぎごく事件が起きたのだった。


『教科書をめぐるワイロ。そのメモの置き忘れ!』

 とある学校長が電車内で、教科書をつくる出版社とのワイロを書きめたメモを置き忘れるという大失態だいしったいおかしたのだった。このドラマのような大事件を世間がだまっていない。

 

 逮捕者も出る。金港堂、集英堂、文学社などへ一斉捜査そうさ

 以降、教科書は国の検定へと変わってしまった。今も教科書は4年に一度の改訂かいていが続いている。

 それは莫大ばくだいな金のる木だ。今でも個人個人に教科書を買わせ、後輩こうはいにゆずることもできないとする。

 やけに科目を細分化させ、多様性とうたった。


 そもそも本当に教科書だったのだろうか?

 あの一帯は近づかない方がいい。人食い人種がいる。人さらいがいる。教科書はきれいな紙になっていくのに、ずっと差別はやまなかった。今も迷信はそばにあった。

 1963年 被差別部落がらみの狭山さやま事件は今も未解決だ。



 鈴木教頭は危険視する。

「松倉君。君には4月からクラス持ちを外れてもらいます」

 松倉はじっと見つめていた後、気だるそうに切り出した。

「ええ、結構ですよ。私もいそがしいもので。

 そうおっしゃる教頭も、片手間でやっている鈴木銀行。いつか、お世話になる日が来るかもしれません」

 鈴木は不機嫌ふきげんそうに鼻を鳴らす。

「フンッ、いそがしいとな。ところで、君が買い付けたというあの山。何か見つけたのですか? 今のうちに、不法投棄場とうきじょうとしてカモフラージュするべきかもしれません。この耳にも怪しいウワサが届いてきてるほどに。

 事と次第によっては、協力をおしみませんよ」

 くえない教頭だ。一段とあれれる春のあらしである。

「ご助言、ありがとうございます。

 ついでにあまえてはなんですが、私を何かしらのサークルの顧問こもんにしてくださいませんか? 肩書かたがきだけは必要なもので」

「ええ、いいでしょう。ただ、もし何か見つかったときには至急しきゅう、教えてくださいね」

 

 桜舞う卒業式。教科書はただの灰になっていた。


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