【欺】第30話 かわいそうな教科書

 3月をむかえ、高校では最期のクラス会が開かれた。

 担任の松倉は生徒の前に立っていた。

「それではみなさんにおたずねします。この国で、誰もが平等だった時代とはいつでしょう?」

 唐突とうとつな質問である。生徒の1人が手を挙げる。

「はい。今ですか?」

 珍回答だ。クスクスとした笑いが起こる。松倉も首をふった。

「残念ながら不正解です。答えは第二次世界大戦中です。

 それは極端に物がなく、貧しかった時代。財産を丸ごと国へ取り上げられ、配給に並ぶこと毎日。だからこそ顔見知りの絆が生まれます。

 そんな中、もしぜいたくでもしたら、密告されてブタ箱行きです。そのために、思いがけず出現したのは平等な社会でした。

 ですから、君たちも心にめておきなさい。貧しさこそが社会の平等。

 君たちは社会に挑戦します。存分に仲間の足を引っ張りなさい。先輩を蹴落としなさい。後輩を下げずみなさい。そうすれば、横一線。

 心配はありません。私が許しましょう」

 一瞬の静けさの後に、割れんばかりの拍手が起こる。同時に、松倉へサプライズの花束はなたばが渡された。

「先生! 今まで貴重なご指導、ありがとうございました!」

 すすり泣くこと一人ずつ。生徒は彼と握手を交わして退室していく。教室の外では春の嵐が舞っていた。



 教室の後ろでは教頭の鈴木の姿があった。今のセレモニーを終始、疑いの目でながめていた。

「松倉君。なるほど、君は本当に生徒から人気があるようだ。しかし、最後まで君の言っていることはまったく意味不明だな。平等と平和は天と地ほど違う」

 ただ、意に返さない。松倉は平然と言い切る。

「そうですか? どちらも悪魔が使う言葉ですよ」

 そう言いながら、松倉はゴミ箱に花束を捨てていた。


 驚く鈴木。

「君は何をやっているんだ! 生徒が見たら悲しむぞ!」

 つえをついて、かけよる。そして松倉もまた、歩を進めた。

「そうですか? 花でも心でも受け取った瞬間、すべては受け取った側の自由ではありませんか?」

 思わずツバを飛ばす鈴木である。

「くだらん言い訳だ!」

 もう、松倉は理解を求める口ではなかった。

「あさましい。それならば私の目の前にあるこの教科書ほど一方的。疑問の余地もはさませない。聖書か何かだと思っている。

 さながら、教職者にとってもバイブルですか? 私にしてみれば惑う書(魔導書)。はたして教頭にこれを捨てる勇気はありますか?」

 

 松倉は 1902冊 の教科書を燃やす。



 教科書の歴史は意外と浅い。

 まずは戦前の教科書から見ていこう。そこには佐久間勉の艦艇かんてい沈没ちんぼつ事故がのっていた。そう、それはまるでタイタニック号のごとく突発的で悲劇的でもあった。


 確か軍事演習中。艦艇かんていの故障により、14人の船員を乗せたまま海の底へ沈んだ。そのとき、艦長だった佐久間はサイレンが響く中、その絶死の混乱をよく治めたという。

 普通であれば殺し合い、暴動が起きるもの。なぜなら、数時間後には確実死。ルールも命令も無意味に無価値だ。呼吸が苦しくなれば、他の呼吸を殺そうとするもの。

 しかし彼の遺書にはまず、、そして部下とその家族へもわびたという手記。

 また今後の教訓として、故障の原因や艦内で缶詰かんづめになった後の状況もつづっている。

 最後。電灯も消え、酸素も減少。静けさが増していく中、動力も使えなくなっていく究極の恐怖。それでも船員たちは一同、のだと。

 お気づきだろう。教科書がたたえること。これが真のホラーだ。


 

 そして、戦後にものっていた上野動物園のかわいそうな象である。

 話自体は戦時中。食料不足のため動物たちにエサをあげられず、飼育員が弱っていく姿を苦しみながら見るしかない。

 象は象で、エサがもらえるならと必死になって飼育員に芸を披露ひろうした。その切ない、命の消える物語。


 なぜ、それが今は載らなくなったのか? 理由は『かわいそうな象』の先に『かわいそうな国民』。

 戦争は軍部が主導し、マスコミがあおった。そこに国民が後押しした。それに目をそむけて、日本はこの戦争の被害者として演出。象という普段の強さもいい。

 平等に貧しいだよ。涙にぬれる。だが、それを選んだのは実は私たち飼育員であったのだ。



 松倉は燃える教科書を見て、一笑する。

「フッ、そもそも教科書は神ではありません。その歴史さえ薄汚れています」

 教科書が始まった当初、検定けんていは県や自治体レベルであった。

 要は勝手に作ってもOKであった。

 つまり、何でもあり。資産家が自分史を載せることも可能。県の真逆のうるわしい歴史へ改ざんすることも可能。

 だからこそ出版社へワイロが横行する。むしろ、積極的に働きかける。

「自分のところを使ってくださいよ。ええ、地元のことも書きますから。なんならあなたの名前も郷土の英雄として載せましょう!

 見返りも用意しますから、お互い甘いしるを吸いましょうね♥」


 そこで、大金がうごめく。ただ、国がその仕組みに気づいたとき、なぜだか教科書疑獄ぎごく事件が起こるのであった。


『速報!! 教科書をめぐるワイロの裏メモが見つかる! 』


 とある学校長が電車内でワイロを書き留めたメモを置き忘れるという大失態! このドラマのような大事件が世間をザワつかせた。


 おかげで逮捕者が出る。金港堂、集英堂、文学社などへ一斉捜査そうさ

 以降、教科書は国の検定へと変わってしまった。今も教科書は4年に一度の改訂かいていが続いている。

 それは莫大な金の成る木だ。今でも個人個人に教科書を買わせ、後輩にゆずることもできないとする。

 だが、今は新時代。松倉は次々に山をくずしていった。

「現在の教科書は『皇国』から『We can!』へ、『かわいそう』から『I can!』へ。

 しかし、これらの悪魔から小悪魔の言葉に変わっただけでしょう。なぜならそれは日本語ではないのですから」

 松倉がそれをパラパラとめくると、やたら横文字が目立っていた。次の世代が教科書で初めて目にする言語は、はたして英語か? 中国語か? ロシア語か? それともまったく違う異星人の言語であるか?

 ただ、確かに言えることは日本語はどんどん削除されていることだった。



 鈴木は見渡す。

「松倉君。君は4月からクラス持ちを外れてもらう」

 鈴木の裏腹。この松倉という男。

 やはりきな臭い。有能ではあるが、外しておくべき危険人物だろう。

 松倉はじっと見つめていた後、気だるそうに切り出した。

「ええ、結構ですよ。私もいそがしいもので。

 そうおっしゃる教頭も、片手間でやっている鈴木銀行。いつか、お世話になる日が来るかもしれません」

 鈴木は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「フンッ、いそがしいとな。ところで、君が買い付けたというあの山。何か見つけたのか? 今のうちに、不法投棄場としてカモフラージュするべきかもな。この耳にも怪しいウワサが届いてきてるぞ。事と次第によっては、協力をおしまないがな」

 くえない教頭だ。一段と荒れる春の嵐である。

「ご助言、ありがとうございます。

 ついでに甘えてはなんですが、私を何かしらのサークルの顧問こもんにしてくださいませんか? 肩書きだけは必要なもので」


 しばらくして鈴木は低い声で笑った。

「クククッ、わかった。ただ、もし何か見つかったときには至急、教えなさい。私も名前を連ねるとしようか」

 

 卒業式。教科書はただの灰になっていた。


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