【災】第26話 指斬村

 真冬の寒気が窓を震わせる新聞社。雪まみれになった馬場が戻る。

「あ~~~、ただいまです」

 まつ毛は凍る。あごの震えが止まらない。そんな馬場にはこの温かい天国のような事務所にがく然とした。

「ヨッ、おつかれさん! それでスクープはどうだった?」

 ねぎらう宮武。

 彼は1970年代もののふかふかのイスに座り、丁寧ていねいにつめを切っていた。

 もちろん、馬場はこのぞんざいな対応に、黒いかたまりが胃にたまる。

「無理ですよ。こう寒くては、口も開けませんから」

 ひねた回答。それなのに、宮武はまず、雪を事務所に持ち込むなと怒り。そこから、注意が続いた。

「俺たちの仕事は口じゃなく、手だろ手。って、イテッEEEEEEE!」

 そらみたことか。宮武が言ってるそばから自分で間違えて、深切り。

 あふれんばかりの出血だ。親指の肉の部分が縦にスッパリと切れ、びろんと皮一枚でぶら下がる。

「ふざけんなよ! マジ、イテッEEEEEEE!!!」

 激痛と共に、飛び上がる宮武であった。

 

 少しあぜんとする馬場。

 宮武から異常な冷や汗が噴き出し方。指を押さえて、狂ったようにさわぎまくる。

 これは救急車だろうか? ただ、馬場も初めはあわててものの、あることにひらめいた。

 青い顔で薄笑い。

「そうだ、宮武さん! そのケガならきっと保険が下りますよ。

 むしろ全部切り落としてしまえば、まとまったお金が入りますから」

 ハサミを持ち出す馬場である。

 でも、骨はなかなか切り落とせない。いっそカミソリでゴリッといってしまおうか? カバンからゆらりと取り出した。

「宮武さん、じっとしてください!

 痛みなんて、欲望のためならガマンできるでしょ。それに利き手じゃなければ、仕事もできるでしょうから」


 カガミのように鋭いカミソリ。それを手にする馬場の凍傷ぎみだった指先が、一気に血流の循環をみる。

 ああ、この外とは段違いの温かい場でスクープを作ってやるよ。そういえば、この前に他人の指を切り落としたばかりだし。1つも2つも変わらないだろ。

「宮武さん、覚悟してください」

 逃げ惑う宮武。

「いいかげん、ふざけるなよ!

 この指で、学生と約束したんだ! これじゃあ、そいつに報酬も渡せねぇ」  

 何のことやら。2人に憎しみが芽生えた瞬間だった。

 


 頂きに雪山。日曜のよく晴れた日。

 馬場は初めて地元の冬囲いに参加した。戦没者記念公園での冬の準備のためである。集まったのは70歳以上の高齢者ばかり。すでに全員が集合していた。

 まずはハンパな枝木を切り落とし、樹木のかたちを整える。石碑も半年は掃除しないからとタワシでこすり、厳しい冬に備えた。


 労働は冷たい空気も心地いい汗へと変えてくれる。それは思ったより、心が洗われるものだった。自然と口も軽るくなる。

「意外といいもんだな~」

 タオルを手に、馬場の晴れ晴れとした一言。

 しかし、老人は言った。

「しかしのぉ、毎年はしんどいんよ。あんただって、新聞記者の地域交流のためじゃ。違うかい?」

 お見通しってやつか。馬場も半笑いだが、言葉を探した。

「まあまあ。来年も空いていたら、参加するんで」

「ええって、そんな空約束。

 それより、馬場さんよぉ。あんた、おしりでわしの背中を押してくれんかね?」

 そう言って、老人はかまを持ったまましゃがみ込む。軍手も外した。


 なんか妙な空気だ。他の6人の老人、老女もじっとこちらを見つめている。

 どことなく危険信号を察した。

「何? でも鎌、持ったままだと危ないだろうが」

「そうじゃ。危ないじゃろうな。

 これから竹を組んで、縄でしめる。素手の方が力が入るで。

 そこで、鎌を持ったままで作業に不自然な点はなかろうよ」

「なかろう?」

 老人のしわだらけの指先。すべてが汚い皮でやせ細り、土色をしている。どれが生命線かもわからなくなっていた。


 よく研がれた刃。あまりの馬場の勘の悪さに、老女がつめよる。

「じゃから、清掃で夢中になりうっかり押してしまったと。当然、手もとが狂う算段じゃ。


 不慮の事故  指を落とせ

 

 保険とは財産をかけたギャンブルである。

 天秤にのせるのは車、貴重品、そして身体、寿命だ。必要以上にもらうためにはイカサマが必要になる。

 動揺する馬場に、老女は諭した。

「あんた、後ろ向いているんじゃ。悪いことしたとはぜんぜんないよ」

「オイオイッ、それって詐欺の片棒じゃないか! 冗談もきついぞ!」

 馬場は声をあらげる。

 だが、お願いする老人のその背中はくの字にまがり、紫のあざだらけ。はげた頭頂部にも傷跡が見えた。

「………ええんじゃ。うちの若夫婦に子どもができた。そのお祝いをせにゃならん。わしには貯金もない。あるのは保険だけじゃから」

 馬場は震撼する。あたりの老人たちもほとんどの者の手の指が欠損しているではないか! そして、にわかに出入り口をふさいでいる。

 

 老人は涙目ですがった。

「馬場さん、ボランティアじゃ。

 この公園ではうっかり事故が増えすぎた。おかげで保険屋の目も厳しくなった。  

 だから、後生じゃ。記者のあんたなら、疑われない。思いっきり、押してくれ!」

「馬鹿言うな!

 これだけ目撃者がいたら、ボロが出るって!」

 欠けた歯。もう、2本しかない口が手よりもしゃべる。

「不慮の事故はの。多くの目が合ってこそ、真実になるんじゃ。

 その目が全員、仲間だから心配ないのぉ」

 

 日中の悲鳴。この村で、不注意による事故はいったい何度目か? それでも若夫婦は駆けつけない。今日も石碑だけが詐欺を見守る。


 ただし、そこで馬場を後押しすること。

 ありがたい! 彼らが死んだら、この記事をネタにしていいという。犯罪は寝かせて、最良のタイミングで出せばいいと。

 そのとき、馬場は前向きで老人を押していた。



 老人のひどく低いうめき声。もちろん、若夫婦はやってこない。

 背中越しに伝わる痛みの温度。馬場の心臓が生まれて、一番に冷えていた。

 そんなとき、老女が同情なのか。

 なにやら横で馬場のすそを引っ張っているぞ。

「あたしも頼むわ」

 振り向いたときにはすでに5本の指の第2関節まで消えていたのだ。それなのに、しゃっくりのように笑っている。

「これで3年は遊んで暮らせるわ!

 もう、あんたが押したってことになってるから」


 どうした! 今度は首に鎌をかけている。

「さあ、押してくだせぇ! これで10年は遊んで暮らせる!」

 い、命をすりなげてきたのだ。

 犯罪の入り口は善意と同情。そして、少しの打算である。馬場は保険の本当の使い方をその手で知った。


 これがお金のなる木。きっと来春にはつくしと一緒に、多くの人の皮が転がっているだろう。

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