第25話 赤富士と 15日間と 灰の蛾と

 松倉の高校では最近、恐ろしいウワサが流れていた。


 それは人気もあり、信頼を集める教師の松倉のことだ。なんと、夜な夜な人外レベルの拷問ごうもんを楽しんでいるという。加えて、彼の私有地でも多数の行方不明者が出ているということだ。

 このウワサの元は宮武という地元のジャーナリストがもち込んだ。さらには、クラスの生徒だった平賀に探ってみてくれとバイト代まで渡していたのだ。


 その平賀だが発明品やら、博覧はくらん会を開くやら、とにかく派手好きな生徒である。しかし、その裏ではスパイとして全国を飛び回っていた。

 今回も転校して1カ月近く。宮武の依頼を受けて、こっそりと松倉のあとをつけることにした。

 どうにか証拠しょうこを押さえたい。だが、平賀は思わぬ誤算ごさんに舌打ちする。


 まずは彼の私有地だ。

 ダムを越えたさびしい山中だった。松倉は薄着のままで入山したので、平賀も軽装けいそう。それがあだとなる。

 突然の天気の急変。激しい突風の後、降り出した雪。止む気配もなく、いつしか銀幕の世界へと変わっていた。

 

 さらにはもった雪は足あとを消し、とけることなく増え続ける。そして、むせかえる呼吸。のども痛い。小鳥もドサドサと落ちていた。

 なぜだ?

 寒くもないのに小鳥が死んでいく不思議。平賀はスマートフォンで気温を確認。やはり、それほどまで低くなかったのだ。むしろ、冷蔵庫より温かい。


 もしかして有毒ガス? 

 それなら、こんな立っていられない。 そして、とけない雪…。

 そうか、これは雪ではない! 火山灰だ!

 そのとき、激しくふるえるスマートフォン。アラーム音も鳴りひびく。

 ぶぅううう、ぶぅううう、ぶぅううう!!

 やけにかん高く、それ自体が耳障みみざわりな音階だった。大音量の緊急速報。最大級の天変地異だと、避難する場所も時間もないとまくし立てていた。



 1707km 宝永ほうえい富士山大噴火 ▲▲▲▲


 地中をひっくり返す振動に共鳴している。正確には山鳴りだった。

 これは自然災害時に、地表と地中でズレが生じ、または木々や大気のざわめきでまれに山が鳴くことがある。

 ただし、聞いたら最後。それは最悪を告げる。空一面には巨大な黒い雲が見る間に広がり、天と地から雷鳴だ。何度も何度も耳をいた。

 

 この大災害により、松倉の姿を見失う。

 しかし、それどころではない。どんどんと、かすむ視界。その上、砂礫されきや細かい飛石があたり、顔や首回りが痛い。目を開いているのも苦しくなる。

 そして、積もり方も異常なほどの無限降灰。あっという間に灰の山だ。急いで、口と鼻をおさえたがもう遅い。まばたきもクシャミも増えていた。


 マズい、マズいぞ。このまま下山できるのか?  

 すでに1メートル先も、まったく見えない。だが、その先で何かうごめいているのか?

 まれに人がけものになるときがある。相手のことを考えよう、思いやりなどまったくなし。本能のまま歩く行列。あの大震災ときでもそう。真夜中、うごめいていたって。

 何者かがじっと見つめている。言葉にならないうめきをずっとつぶやいている。それでいて後ろからおそいかかってきそうな気配。激しい物音。耳が、皮膚ひふが、恐怖心でやぶけそうだ。方向、方角すら見失う。さらに地面がななめにゆれが続く。

 平常心、安全の反対側はこうも無秩序なのか。心臓が鳴り止まない。すると、電話ボックスのシルエットを見た。すがる思いでありがたい。平賀はとりあえず避難を決めた。


 

 急いでトビラをこじ開ける。中は密閉感みっぺいかんがあり、ひとまず落ち着けるだろうか?

 それにしても面倒なことになったな。平賀は気分一新、胸元からタバコを取り出す。すると頭上から、なにやらり飛ばす音が聞こえた。


「高校生がタバコですか。それも私の生徒とはなげかわしいですよ」

 にわかに聞き覚えのある声だった。見上げれば、ガラス越しに2本の足がれ下がっている。白いスラックスに、白いくつ。

 ああ、なるほど。これは絶対、松倉だ!

 緊張をかくすように、平賀はゆっくりとタバコをしまった。


「アレッ、先生じゃないですか? こんなところでどうしたんです?」

 極力、平静をよそおった。今はたくさんの疑問については不問にしよう。とにかくこの山を降りること。その一点だ。


 外れたままの受話器。そこから彼の声が流れていた。

「平賀君、この山はね。超常現象が起きるのですよ。おそらくそれは東照宮とうしょうぐうをまつった村をダムにしずめた、その呪いからかもしれません」

 平賀は半信半疑だ。

「へぇ~~~。でも、東照宮なんて全国に数多くあるじゃないですか。先生は意外とたたりや呪いといったことに信心深いんですね」

「フフフッ 信じる者は救われる、ですよ。呪いや祟りのあるところに、金脈きんみゃくあり。どうやら、ここが本命だったようです」

 仰天ぎょうてんする平賀だ。

「本命って、まさか徳川の埋蔵金のことですか?」

「ええ」

「まさか! どこにあるんですか?」

 急に、松倉は単調な声に戻る。

「平賀君。君は人の私有地へ忍び込んでおいて、お願いばかりしていますね」

 確かに調子に乗りすぎた。平賀もいったん、下手に出る。

「ああ、すいませんでした!

 担任の生徒だから、多めに見てもらえませんかね?」

 どんな顔をしているのだろう?

 松倉はなぜか、電話ボックスの上で鼻歌を歌っていた。

「実は埋蔵金をり出すための人手が必要なんです。それも口がかたく、信用のおける人を多くね」

 なんだ、ホッとする平賀だ。

「それなら俺が集めますよ。これでも人脈広いんですから!」

「そうですか、しかし、大丈夫です。なぜなら、私は言いましたよ。信用のおける人が必要だ、と」


 しばらく無言の受話器である。電話ボックスの上からなめらかな液体が流れていた。

 アレッ? この異臭! ……ガ、ガソリンだぞ!!!

「私はね、こうも考えたのですよ。掘り当てるに当たって、人柱が必要であると」

 喜々として語る松倉だ。

 平賀は直感する。こいつは、もともと殺人鬼。話の通じる相手じゃなかった!

 

 平賀は四面のガラスへ体当たり。が、びくともしない! 思わずさけぶ。

「オイッ、タバコを注意したよな! 生徒を更生こうせいさせるのも担任の役目だろ! 早く出せって!」

 ゆれる受話器。まるで、終わりを告げるり子のようだ。

 そして、松倉のお別れの言葉。

「誰しも明日、明後日、生きている保障はどこにもありません。

 しかし、漫然まんぜんと生活を送っています。つまらないとほうけています。不満をもらし、社会のせいにし、悪態をついて日々を忘れていきます。

 ですが、喜びなさい! 今、君の人生は真の燃焼を知る!」

 ドサッ! 足から飛び降りる音。わずかに振り向く松倉の顔が見えた。

「ま、待て!!!」

 平賀の咆哮ほうこう。しかし、遅かった。同時にまぶしい。一瞬で燃え広がる。そう、一秒もかからなかった。


 灼熱しゃくねつ炎熱えんねつ、なんて言葉がぬるいくらいの熱さとととと、息が! 息が! 酸素が!


 もだえる平賀。

 四つんばいのまま、頭をガラスへぶつけるがびくともしない。松倉の高笑いも聞こえる。

 だが、そんな声も今では遠い。熱い、苦しい、くるぃうしい! まるで焼却場での生焼きだ。平賀は足や手、頭を使い何度も何度もたたきつける。まさに七転八倒。

「……出せ!」

 しぼり出す声。ガラスに手の皮がへばりついた。

 ふと、松倉の悲しそうな声。

「残念ですねぇぇぇ。

 もっと十字を切るやら、神に感謝するやら見られると思ったのですが……。平賀君、君には残念です」

 平賀は自分のどろどろととけていく血と肉の中で、悲鳴が焼けただれていくさまを、その残像だけが脳裏に焼きつき、やがて灰と化していった。



《 1707年 日本終話 》

 これは日本史上、もっとも天が激怒した年である。それは阪神淡路大震災や東日本大震災をはるかに上回る大災害の厄年やくどしだった。

 

 その年は日本史上最強クラスの大激震に加え、富士山の大噴火が起こった。

 天が落ち、地面が無数に割れ、100キロ先まで灰の雨。水たまりから河川にいたるまで、灰は降りまくり、水を飲むこと、体を洗い流すこともできなくなった。


 また、周辺では火砕流や土石流。一瞬で超高温、焼けただれた空気がはいに侵入。吸い込むたびに、げつくことになる。

 一回ごと呼吸するたび、引火したガソリンをくらうようだ。それでも体が不自由だぞ。頭のはるか上まで土じゃないか! 生きめだ。


 ただ、その死は最低ではない。死ねている。

 かろうじて生き残ってみても食べ物はいたみ、いつ晴れるかわからない暗闇と灰雲の中、15日間。今度は精神的な恐怖と絶食だ。

 灰が浮遊しているので、動くだけでも呼吸が苦しくなる。それでも激しい余震と、本物の赤富士。昼も夜も怒号を鳴らし、けものたちも限りない悲痛をさけんでいる。月も消え、太陽も消え、生温なまあたたかい風だけがふく永遠。


 目の前にはこわれた家屋。壊れた人々の山。

 政治の機能は停止。

 理性も秩序もない。底なしの闇。まさに世紀末、そのものだった。

 

 特に富士山のおひざもと、関東は壊滅的であったという。落ち着く間もなく、略奪りゃくだつ強姦ごうかん、暴行の限りがり広げられた。

 ああ、そこは終末心理だよ。どうせ死ぬんだ。はだかにむかれ、手足もバラバラ。そんな光景すら、別にこころが動かなくなっていく。

 それどころか殺意は一度、当てられると感染かんせんするのだ。あらぬ妄想もうそう。水、水、水。

 あいつの体には新鮮な血が流れているぞ! はぎとれ、すいとれ、どうせ明日はみんな死ぬんだ。まさに無法地帯。誰もらえれない。

 言葉は数日で消えてしまった。



 ただし、晴れ間が出れば自然とおさまるもの。

 このとき、日本で初めて義援ぎえん金をつのったという。ようやくこころが復活したのだろうか? いや、いや、いいや。


 富士山付近の酒匂川では、実に80年近く復興に時間がかかってしまった。

 地中深く掘って、さらに積もり積もった灰をその穴に入れ、掘った土を懸命にかぶせる重労働の土木作業。

 トイレスペースぐらいの土地でも1日がかりだ。それをあの山からあちらの山まで、見渡す限り、永遠の作業。無給でがんばりなさいだ。

 なぜなら、政府ががめていた。そのほとんどを自分たちのふところへ入れていた。


 避難してください。災害級の……。

 恐ろしいことにこのだだっ広い世界で、日本は陸地の活火山1割強をしめている。その中で富士山噴火は約300年周期と言われている。ペラペラな年数じゃない。今か明日でもおかしくないんだよ。

 生き埋めか、生き地獄か?

 肺を焼ききる。頭の中まで灰が積もる。地震に余震に、火事に火災。絶食による行き倒れ。親子3代で先の見えない復興。どれでも選べない。自然の気分次第だ。


 安全な国、日本で生きることは勇気がいる。

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