【姦】第23話 スラム街 セックス 

 転がる二人の射殺体。楠本と石井のまぶたはもう、動かない。

 血なまぐさい部屋。馬場は何を訴えているのか?

 命を奪った宮武の脳裏には愛と夢のメロディーが鳴っていた。

 ああ、聞き覚えがあるぞ。そうだ、あれは昨年の冬。

 はりつけの歌。クスクスと笑いながら、思い出していた。



 大阪の通天閣からながめる景色。

 あまりの寒さに夜空が落ちてきそうだ。その下ではクリスマスの飾りにと、大阪の街はど派手なネオン。大混雑の大通り。クラクションすら楽しそうだ。それを見下ろしながら、ソワソワしている宮武だった。

「いつもいつもすいません! お金ばかり借りていて。不死新聞の部数が伸びたら返しますんで」

 へつらう宮武。下げた頭を戻さない。相手はスポンサーの小林だ。その彼はガツガツとライスカレーを食べていた。

「あん? かまわん、かまわん。そんな人の顔色をばかり眺めて書いたもんは所詮しょせん、カリメロや。部数が伸びなくとも君は今まで通り、好きに書けばいい」

 カリメロ……。いや、少し考える。

「それを言うなら、かりそめでは?」

「オウッ! 間違えたわ。懐メロやった!

 やはり、この季節に聞きとうなるんはジングルベルやなぁ~。終わりも近いって、気分になるわ」

 ゴクリッ、メチャメチャおどしてるぜ。なんとも言えない宮武であった。


 小林は立ち上がり、通天閣より下界を眺めた。

「今日は聖なる夜だとさわいどる。でもな、あのスラム街には関係なしや」

 地上ではちょうど、一カ所だけ暗くなっている部分がある。

 森や公園ではない。よく見ると、何かうごめいている。時折、マッチのようにぼうっとともっては消えていた。

 あのスラム、光を喰うんだ。

 徐々にその範囲を広げているのだよ。

 それは超格差社会だった戦前。本当の天国と地獄が共存していた。



 小バエがたかり、悪臭ただようスラム街。

 住民はアリと一緒。誰もがゴワゴワした髪。黒い顔と黒い服。時間があれば、わきの下や股間こかんをかいている。整備されていない穴だらけの道。そこへ毎日、悪質な残飯屋が売りが来るのだ。

 約5銭の買い取り。

 飲食店から出た、生ぐさったゴミ。それを開くと、強烈な腐敗臭。そこから1つずつ、取り出すんだよ。

 鼻水とタンでかわいた包装紙ほうそうし。折れ曲がった焼き鳥のくし。糸くずのからまるにんじんのしっぽ。スリッパの裏のような焼きいもの皮。青カビのついた食パン。

 普通なら、き出すシロモノだ。それがここでは大事な食料。まんべんなくなめ回す。洗うわけもない。


 あらあら、発見。だ液の混ざった白飯だ。これが世に言う、ライスカレー? 思わぬご馳走ちそうにツバが垂れる。腹をこわすヒマもない。

 この買い物とは別に、遠足にも出かけた。

 目的地は陸軍士官学校の調理場の裏である。どんなに食べ物がなくなっても、ここだけはあるらしい。それも給食費とかなく、無料で食べられるという夢の学校。だけど、その代償に何を差し出しているんだろうね。うらやましいな。


 ねらうは昼食後の排水溝。

 調理でいらなくなったもの。もしくは腐ったもの、食べ残したもの。それをザルでかまえる。今日は親指ほどの鳥の骨、青虫入りの野菜のかたまり、どろッとした茶色の固形物。カラスも順番を待っていた。

 あわよくば、つかまえたいな。雑食の肉はマズいというが、どうなんだろう? しかし、残念。距離をつめてこなかった。

 帰りは楽しい虫取りだ。

 イナゴはカサカサしていて、生ではマズい。羽と頭は粉っぽくて飲み込めないし、腹の部分を千切ちぎるしかない。

 よしよし。セミも鳴いてる。その下をねらって掘り出し、うごめく幼虫をほおばった。

 むぎゅ~~~と口の中で甘苦さが広がる。もちろん、通りがけの草も食べたよ。苦ければ、毒。ただ、それだけ。カタツムリがいたら、家へ持って帰ろう。

 ちゅーちゅー吸って、カラはコレクション。最近はお腹もこわさなくなってきた。


 うちは自分と弟とお母ちゃんの3人家族。

 ただ今回、公園へ連れて行かれたのは弟の方だった。

 その弟は今朝からとなりのおじさんに半殺しにされちゃって。歯が欠け、顔が倍ほどふくれていたんだ。

 でも、お母ちゃんはそれを待っていたみたい。仕上がるのを待っていた。

 弟はぐったりとしたまま背負われる。その間、ずっと泣いてたものだから怒られた。

「今は泣くんじゃない! 公園に着くまでだまってな!」

 しばらくすると、お寺の前にある公園に到着。すでに物ごいであふれてたって。

 お寺に来る人は縁起えんぎをかつぐみたい。いつもは見向きもしない人たちも、よくめぐんでくれる。特に子連れはいい。その上、今日の仕込みは上々。

 お母ちゃんはかれた声で

「この子に医者を……、」

 これでたくさんの投げ銭だ。それにしても物ごいにはそれぞれ時間帯と場所、場代もある。

 そこで、時間との勝負だ。弟は何度もつねられて、また泣いていた。


 そして、自分が公園へ連れて行ってもらったときの話だよ。そのときは犬を食べているおじちゃんから、おすそ分けをもらった。

『犬も歩けば、ぼうにあたる』

 この、ことわざ。変だよね。

 ことわざじゃないって、知ってた?

 犬も立派な食材だった。どこかでっている犬をたたき殺して、毛をむしった。笑いながら、そのごちそうをみんなでほうばったのを覚えてる。

 手足がもがれ、腹を裂かれた犬の残骸ざんがい。その後、お母ちゃんとおじちゃんはしげみにかくれて姿を消した。

 ズボンを下げたおじちゃんは言うよ。次つかまえたら、今度は自分。その分、いっぱい肉を分けてやるからって、頭をなでた。

 どうやら無料なのかな? 優しいんだ、ありがとう。


 家の前には何もなかった。

 とはいっても、ひろってきたトタン屋根とぼろ切れの布で組んだテント小屋。地面にはすき間だらけのゴザを引き、3人でひしめき合うの。

 両どなりも布一枚。家具にはツボや皿もあって、そこに雨水をためては飲んだり、傷をあらったりする。

 夜中は冷えるの。木をまくらにしてるんだけど、寒いときにはそれを使って火を起こす。空腹のときなら一晩中、かじりながらアゴのガクガクをおさえてた。


 さらには、家の裏が共同便所。弟が半殺しにされた理由も用足しのルールだったみたいね。

 だけど、弟はもう起きてこない。目にハエがたかっている。体をさわったら、ひどく冷たくなっていた。



 宮武は高い窓から指を差す。

「あのスラム街は、あれ自体が生きているんです」

 うなずく小林だ。

「そうやな。天気が悪いと、ネオンも消える。だから雨の日なんか、スラムが浸食しんしょくしてきたと勘違いすんよ。

 いつ、その身に伸びてくるかと、心底怖い」

 そして、宮武は首をふった。

「となりの会場では女子大生がクリスマス会だって騒いでましたね。

 山のようなアルコールの空瓶からびんと、豚の頭もそのまま残ってる。野菜しか食べれないと、ほとんどの皿には高級な肉や魚も残ってた。


 時代ってのは正直なもので飽食が来ると、必ず飢餓きがおそわれるんですよ。

 楽しくて歌いたくなる夜。空腹でどうしようもない夜。きっとあの子たちも十数年後、残飯欲しさにセックスするようになるかもしれない」

 季節は同じ。

 キリギリスたちには食欲も性欲もいつの間にか下げられて、飽きと飢えがやってくる。そんな下品はこの日に考えるのがちょうどいい。


 最後、小林は言う。

「いいね。やはり君はすべて書くんや。いずれ真実が生き残るよ」


 1886年の聖なる鐘。

 

 ユラユラと雪が降り出して。

 弟を公園に埋めてきた。自分のお尻からヒドい出血に驚いた。お母ちゃん髪の毛が全部、抜けていた。

 ここは大都市、大阪に存在した希望であふれるスラム街。

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