【欺】第18話 楽園の正体

 中秋の夕日が差し込む新聞社。ようやく馬場が事務所へ戻る。

「あ~~~、ただいまです」

「ヨッ、おつかれさん! それでスクープは?」

 ねぎらう宮武。彼は新聞記事を見ながら、ライスカレーを食べていた。


 1919階の古びた事務所。


 エレベーターもなく、今にも壊れそうな木製の階段。見渡せば、ネズミとゴキブリの運動会だ。そして、スパイスのきいた甘い香り。楽しげな音楽。左右のかべには

『 地上の楽園が待っている! 定員まで、あとわずか! 』と、落書きがされていた。


 馬場は頭を下げる。

「残念ながら収穫なしです。ところで今日はやけに早い食事ですね。どうしたんですか?」

 宮武はスプーンを止めて、頭をふる。

「逆だ逆! さっきまで人買いが事務所にいてな。晩飯じゃなく、これが昼飯なんだよ。ここら辺の住民台帳を見せて欲しいと、ずっとごねていたんだわ」

 馬場は一笑。

「ま~た~。少し前の村役場じゃないんですから。

 今、そんなことやったら個人情報をもらしたとかでうったえられますよ」

 ワンコイン(500円)。

 公共機関だろうが見て見ぬフリをして売っていた時代もあったものだよ。もちろん、アドレス入りだった卒業文書も裏で出回っていたのは有名だ。むしろ、個人情報なんてガラスのショーケースみたいなものである。カギだけ厳重にかけてはいるが、実際は丸見えなのだ。


 新聞社にも住民台帳はないが草の根の情報はいくらでもある。

 宮武もつられて笑っていた。

「まあ、そう心配するな。しつこいからちょっとだけ見せてやったよ。おかげで出前のカレーをおごるってな。それにしても安いカレーを頼まれたものだぜ。

 見ての通り。マズくて絶賛、食いあずってる」

 スプーンがすすんでいないのはそのせいか。それでもカレーといえば海軍、海軍といえば海。目の前には新聞記事の一面に海を渡った日本人の合計数と、広告が載っていた。


~1910年  171,543人 GO、朝鮮♪   

~1940年   291,217人 GOGO、朝鮮♪ 

~1919年  346,619人 GOGOGOO、朝鮮♪

 日本政府が全面支援 ♡ 海外移住は今が流行 ♡ 地上の楽園へご招待 ♡ 

 

 この数字は中核都市の住民がすべて移住するような、とんでもない人数だ。

 馬場ものぞき見る。

「へ~。みんなが行っているんなら俺たちも行きますか?」

「止めとけ、止めとけ。このカレーと同じ。片道キップの最悪な後悔になるだけさ」

 あやしく笑う宮武だ。それでも、これだけの人が朝鮮へ向かったのにも相当のワケがある。まずは移住を決意したいきさつをご覧いただこう。

 


 ときはゴールドラッシュが終わり、世界が密接に連動し始めたころ。お金はより魅力的に人々を魅了し、土地を捨ててまで求めるようになっていた。

【 ある日、人買いが農家を訪ねました 】

「よう、久しぶり。そろそろおまえさんのところのおじょうちゃん、大きくなったころだろ? 会わせてくれるか?」

 無言でうなずく両親です。

 すき間だらけのあばら小屋。冬場には家の天板をまきとして使ったため、余計にガランとしていました。

 両親は近所の目を気にしながら家を出ます。当然、娘と人買いの二人きり。そこで、なにやら弁当を取り出す人買いでした。


「ちゃんと食べているか? おじちゃんと一緒に来れば、こんなおいしい白米が食べられるぞ」

 そう言って人買いは大きなおむすびを2つ、取り出します。それは娘にとって、正月でさえ見たこともないごちそうでした。

 彼女の口の中につばがたまります。それでもじっとガマンしました。


 しばらくして、1つ取り上げる人買いです。娘にマジマジと見せつけた後、おいしそうにほおばりました。

「あ~、うまかった!

 なるほど、お嬢ちゃんはやさしいんだな。朝から晩まで、親の手伝いなんだろ? えらいな。でもな。だからこそお父ちゃんやお母ちゃんにうまい飯を食べさせたいと思わないか?」

 娘はうつむきながら、もう一つに手を出しました。


 両親が家に戻ると、人買いがニコニコと話し始めます。

「お嬢ちゃん、俺と一緒に行くってよ。これで今夜はおいしいご飯でも食わせてやんな」

 そこで見たこともない金額に、驚く両親です。

「私たちの娘をどこへ売り飛ばすんだ? まだ、客がとれる歳じゃないだろ!」

 軽く笑う人買いです。

「フフッ、女郎屋ねぇ。心配するな、ちゃんとした製糸場だよ。いっぱい同い歳のお嬢ちゃんも働いている。

 そんなことより、おいしい話があるんだよ。

 海の向こう、朝鮮半島に行かないかい? こんなやせた土地で何ができる? 今なら格安で豊かな土地が手に入るぞ」

 農夫の家は極貧でした。

 今もどうしようもない古い米を食べています。それはピンク色で、中身もスッカラカン。いてもかたちが残らないポンポチ米です。

 そう、マズすぎて吐き出しそうなゴミとカス。虫もよりつかず、おかゆにしても酸っぱくてドブ臭い汚水のようです。しかし、それすらも底がつきそうでした。


 明日をも知れない毎日です。両親は必死にたずねます。

「いったいどんなところか知らないが、あっちではまともな米が取れるのか?」

「ああ、知っているだろ。昨年の富山で起こった米騒動。冷夏と不作で、激しい暴動になったよなぁ。あのとき解決するため、半島から米をかき集めたんだよ」

 おかげで、朝鮮半島では飢餓きが地獄。

 死人の山を築いたが、かまわず日本へ届けられたという。


 だが、この国を出たことがない両親には不安しかありません。 

「本当に、向こうはまともな農地があるのか?」

「ああ、もちろんだ。

 土地も強制的に取り上げている。まあまあ、土地所有の証書があれば許したがな。ただ、持っていたとしても誰がそれを証明する? 

 だから農地もいっぱいで、しっかりしたものだよ。国有地と名前を変えて、今は安く販売している」

 売り物か………。そこに落ち込む両親でした。

「だったら、その土地を買うお金がない」

 ニヤリと笑う人買いです。

「何、言ってんだよ。あるだろ? その手の中にさ」

 なるほど、これを元手に海外でやり直せということか。

「ただ………、農具もない」

「心配するな。向こうの農夫を農具・・として使えばいい。つまり、農具つきだぞ。迷うことはない」

「それでも言葉がわからない」

「気にするな。しゃべれない者が農具ってことだよ。だって、そうだろ? 会話ができなければ、牛馬と一緒だ。こちらが遠慮することもない。

 ただし、時間がないぞ! すでに、大きな船であふれるくらいの人が急げ急げと向こうへ渡ってる。早くしないと乗り遅れるぞ!」

 はたして家族は夢と不安を抱えて、ちりぢりに飛んでいきました、とさ。



 宮武は結末を予想する。

「きっと両親は娘のために、そして娘も両親のために、だ。

 ところがよ、それぞれでかせいだお金は人買いのふところに入るってわけさ。そのうち両親は朝鮮半島で麻薬を覚えて、気持ちよくなる。

 娘もそのうち結核けっかくをわずらい、女郎屋で売り飛ばされて気持ちよくする。  

 いつの時代も奪われる者はとことんしぼり取られるだけなんだぜ」

 世界遺産だと? 製糸場さえこの世の地獄。

 大阪のそれでは列強国に追いつけと、24時間稼働を実現している。そこでは田舎から集められた子供たちは牛馬のように働かせ、多くが失明と病魔に犯され短い生涯を閉じていったのだ。


 馬場は思いめぐらす。

「やっぱり家族はだまされた口ですか?」

「そうだな。実は自分たちが農具だったと死んだときになってやっと気づくもんなんだぜ」

 


【 一仕事終わった人買いの前に、高級車が止まります 】

「先生、時間が押しています! この後、県知事との夕食会まで間に合いません!」

 人買いは無愛想な表情です。

「いい。待たせておけ」

 それにしてもいそがしい。

 中国やロシアとも戦争が一段落(日清、日露戦争)。

 流行した感染症もワクチンができたおかげで(製糸場でも猛威をふるった結核)、この国の人口は急増した。

 しかし、戦費と軍事費で借金だらけ。増えた国民を養う体力もない。


 さて、どうする? 食糧不足で米騒動も起きたばかりだ。不満も最高潮だしな。

そろそろ人減らしを真剣に考えなければな。

 そうそう昔は山に捨てたが、これからは海の向こうだろう。つまりは戦争に行かないまでも、キャッチーで甘い香りが必要だ。


 さあ、外国語を学ぼう! 異文化を知り、海外を知ろう! いまこそ世界へ飛び出せ! 君らこそ国際人だ。さあ、飛んでいけ!

 アレッ? これこそ、はたしていつの時代の話だよ? 



 馬場は目の前のデスクがきれいになっていることに気がついた。

「もしかして先日の彼女、正式にやとうんですか?」

「ああ。この事務所も男2人じゃ、むさいだろ。安心しろ、彼女は未亡人だ」

 何が安心だ! ひねた顔の馬場だった。

「いや、俺が激務だって知っているじゃないですか! 色恋してるヒマもないほどに」

 宮武は素っ気なくカレーを片付ける。

「ああ、そう願いたいよ。それより人買いからもらった情報だ。この近くで高校の教師をしている松倉勝家って先生がいる。そいつは大地主で土地勘もあるという。なんでも山歩きにもくわしいというから、次の特集にもってこいだぜ」

 馬場もその高校に覚えがあった。

「ええ、公立のでっかい高校ですよね?」

「そうそう。ちょうど、おでんのデビュー戦ってところかな」

「ふ~~~ん。彼女、おでんさんっていうんですか。どこかで聞いた名前かも」


 事務所の電気が消える。事務所を下る階段には地上の楽園へ2次募集が開始されていた。それはとってもスパイスのきいた甘い香りが脳を焼いた。


【 少年よ、大志を抱け! 】

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