【死】第17話 バンザイクリフ 歌が聞こえる

 秋の夕日が差し込む新聞社。ヘトヘトになった馬場が戻る。

「あ~~~、ただいまです」

「ヨッ、おつかれさん! それでスクープはどうだった?」

 ねぎらう宮武。彼はふかふかのイスに座り、丁寧ていねいにつめを切っていた。


 1944階の古びた事務所。


 エレベーターもなく、手すりもない狭い階段。階下には積み重なった人骨の山。いつも野良犬が群がっていた。

 馬場はネクタイを外す。同時に汗が流れ落ち、ボリボリと首筋をかいていた。

「どうもこうもないですよ。秋が深まると、やたら虫も多くて。俺、知らないうちにめちゃくちゃ刺されてました」

 宮武が顔を向けると、赤くふくらんだ馬場の顔。まるで風船のようだった。

「ププッ! 良い男になったじゃねぇか。それで、どこまで行ってきたんだ? 森か川か?」

「いいえ、南国のリゾート地サイパンです」 



 高い空。青い海。やっぱり片道キップだったか。

 日本の戦中。監視社会が当たり前になった日常。米帝との戦争が始まって3ヶ月足らずだった。日本の田舎いなかのラジオでは毎回、軍艦マーチが響き渡る。そこから始まるのはお決まりの海軍による戦勝報告だ。

『テッーテッーレ♪ テレッレテッテテテテレレー♪

 ○○おきにて、敵主力艦を撃破! 』

 そうだ、あのころは平和だった。平和が続くと信じていた。そこで集まった僕たちは華々しい戦果に笑顔し、バンザイまでしていた。

 だけど、なぜだろう? 暮らし向きは悪くなるばかり。野や山で食べ物を探しては食いつなぐ日々。『欲しがりません、勝つまでは』という張り紙だけが勇ましい。そして、僕も戦地へ動員されることになったんだ。


 上官は熱弁する。

「我々皇国(日本)は有史以来、外国から侵略されたことがなく、常に蹴散らし勝ち続けてきた。今回も我々が必ず勝つ!」

 本当に勇ましい口ぶり。だが、それだけだった。どのように、どうやって勝つのか説明すらない。そして、向かった先が太平洋上に浮かぶ、熱帯のサイパンだった。

 日本からとんでもなく離れたこの南の島。もちろん、季節も気候も全然違う。それなのに、ここが日本の最終防衛線だと言っていた。

 ところで防衛線って、いつから守る側になったのだろう? あのころのラジオではそんなこと、一言も言っていなかったのに……。

 勝ち続けていたんじゃないのか? 守るって、解放のために戦っていたんじゃないのか?


 ただ、そんな疑問すら誰も聞かない。聞ける状況でもない。そして、初めて告げられた作戦がコレだった。

「海岸線に無数の穴をほって、上陸する敵をむかえ撃て!」

 耳を疑ったよ。敵はこの空をビュンビュン飛び回る爆撃機。それに加えて、戦車や大砲を使って上陸してくるだろう。それをこんな2、3人ぐらいがやっと入るタコツボみたいな穴で身をかくし、むかえ撃てと言うのだから言葉も出ない。その上、こちらの武器は暴発しそうな小銃と手榴弾のみって不安しかない。

 また、武器も食料も調達はむずかしいという。手持ちか自作でがんばれと。そしてこれが最終防衛線とは………。

 しかし、誰も何も言えなかった。


 僕には結婚の約束をした許嫁いいなずけを田舎に残してきた。彼女は僕が出兵したとき、必勝を願って腹巻きを作ってくれた。雨の日も、風の日も、毎日、毎日、駅に立っては頭を下げて1人1針をお願いする。千人で千人針の腹巻きを作ってくれていた。

 そして今も支える僕の腹巻き。縁起だからと、5銭がい込んである。 それは死線(4銭)を越えて、帰ってきてとの切なる願いだった。

 しかし今、1つほどけて死線にある。


 アメリカ軍はまず情報は盗み、日本軍の動きを先読みした。それからは制空権を奪い、上から包囲。その上で南の島を1つ1つ孤立させ、連絡船・補給船を絶ってはひからびさせていったのだ。 

 当然、アメリカ軍側は兵力も時間もあったからね。弱ったところを順々にたたき、日本が作った仮設基地もどんどん奪っては強固な基地を築いていったんだよ。


 おかげで日本軍は逃げ場もない、退却もできない八方塞がりの状況。さらには天気も湿度も違うんだ。そんな島ではすべてが不足。特にクスリは深刻だった。

 見たことのない大きな虫の大群に襲われ、何度も高熱を出し、一気に体重は激減したよ。ただ、神経だけは異様にまされていく。


 1km先の物音。コウモリのような夜目。ちょっとした煙や獣の臭い。たぶん、鎮痛剤で多用したモルヒネのせいかもしれない。死ととなり合わせの日常が続くと、極限は人ならざる者へと変えていくのだろうね。

 何時間でも息を殺すことができた。昼間でも集中することで、星を見ることができた。たいがいの物は食べてもかなくなったかな。


 それでも浅い眠りの中、終わりが近い夢を見る。だからこそ、みんなで田舎のことをよく話したんだ。故郷の歌も歌ったよ。

 万一、誰かが戻れたときにはこのときの歌を思い出してくれと。それは一番、耳に残って脳を焼いた。

 しかし現実は絶海の牢獄ろうごくだ。傷を負っても、精神を病んでも出られない。いつしか、発狂して自殺する者も増えてきた。


 そして運命の7月7日。七夕だ。

 ついに、その日がやってきた。当たり前だが、すでにアメリカ軍は上陸。その勢いを止められるわけもなく、僕たちはサイパン島北部のマッピみさきまで追いめられていた。

 この亡者の群れは1万人近くにふくれ上がっていたと思う。絶望と不安に駆られた影の行列。悲痛な顔の指揮官だったよ。

 すでに手だてもない。そこで史上最低極まる行為を発することになる。

「天皇陛下バンザイ! 大日本帝国バンザイ!」

 ふと、天高く叫んだんだ。言い終わるやいなや、その場でピストル自殺したんだよ。


 あっけなく指揮官が死んだ。

 このあと、どうする? 集まったのは軍隊だけではない。島へ移り住んでいた日本人や朝鮮人など、民間人も数多くいた。

 そうそう、確かにみんなで白旗を上げる手もあった。でも、耳にタコができるほど聞いている。

 それはアメリカ軍に捕まったら最後。口をかれ、皮をはがされ、目玉をえぐられ、殺されると聞いている。

 じゃあ、突撃か? それも難しいだろう。そもそも、何を持ってどこへ突進するって話から始まる。


 しばらく指揮のないまま、不安は最高潮に達していた。そのおびえる目線は徐々に高い空と青い海、切り立った絶壁を見つめる。

 そのとき、いつも指揮官の側にいた兵士が同じく叫んだんだ。

「天皇陛下バンザイ!」

 崖をダイブ。体を無重力にまかせ、飛んでいった。次の瞬間、彼の姿はきれいに消えていた。


 それからはまるで押し出されるようだったよ。今までもこの先も見たこともない狂騒、地鳴りと共に巻き起こる。

 それは取りつかれたような無限の集団自殺だった。親子で手をつなく家族。駆けだしてストンと落ちた。

 また、引き返そうとする住民も突き落とす。執拗しつような道連れもあふれていた。

 その飛び降りた断末魔。風にのって岬へ戻る。すでに悲鳴ではない。

 ゴギ、ゴギュと飛び降りの途中でぶつかり合う音。

 下でつぶれるグチャッといった生音まで聞こえてくる。これが心臓の音と重なって、僕の体を支配した。

 もう、息ができない。生きていることへの罪悪感。逆に、これらの音が喜びの歌のように聞こえる。

 僕の一生は何だったのか。羽のように軽い命。だからこそ、飛べるかもしれない。

 だったら、鳥になりたい!


 僕は最後の一歩、狂信的な集団自殺の仲間入り。両手を広げて、バンザイだ。すでに腹巻きは崖下へ飛ばしていた。

 いつかまた、彼女の元へ戻ればいいと願いつつ……。

 風にのって、海をただよい、はるか故郷の地まで届いてくれればと………。


 そんな感じで酔っていた。いっそ、飛び出す。

 何だというんだ?

 このに及んで、からまる足。

 うるさい! うるさい! もう決めたんだ!

 僕は見た。

 逆転する高い空、青い海。まるできれいだった。

 でも、でも、違うんだ。

 僕が最後に見たかったのはこんな景色じゃない。

 ぐずぐずした灰色の空。しっとりとした雨が降り、きりのかかる山や川。あの日本の風景。今はもう、目に映らないのか?

 僕は鳥になれなかった。死体の上に重なった。



 馬場は宮武に領収書を渡す。

「え~と、出張費なんで。会社の経費で落としてください」

 もちろん、宮武は受けつけない。吹き飛ばして机の下へ。

「あのな~。サイパンかどこか知らんが、もともと出張費なんて出せるかよ。ただでさえ貧乏な新聞社なんだぜ」

 こちらもバンザイってか? 馬場はしかたなくゴミ箱へ捨てる。気を取り直して、話題も変えた。

「そうそう、秋といえばキノコ狩り。特集やるって言ってましたよね?」

 宮武は何事もなかったように食いついてくる。

「ああ。山の所有者に許可を取って、山菜とか山歩きとかの専門家とかを同行させてだな。本格的にやる予定だよ」

 ただ、二人きりの新聞社では限界がある。

「ちょっと、宮武さん。人手が足りないと、またうまくいかないんじゃありません?」

 しかし、満面の笑みの宮武だ。ちょうど、そのとき事務所のドアが開いた。

「失礼します。社員募集を見て来ました」

 それがあの高橋おでんであった。



    ・・・2005年 当時の天皇陛下 サイパンを訪問・・・


 その目的はこの集団投身をまねいたバンザイクリフである。戦争で散った軍人と他ならぬ巻き込まれた無実の無実の住民たち。数多の魂たちの悲劇の断崖だ。

 現地では地元民も近寄らない。昼間でも崖から手が伸びてくる。風も鳴り止まない。もちろん心霊スポットとはおこがましい。

 

 さまよう魂たちはうったえかけるのだった。

 誰がために死んだのか? 誰か救ってくれるのか? 死線は今も続いている。天皇皇后両陛下はそこでこの慰霊碑を前に、深々と頭を下げて命をじっといたまれた。


 死にたくなかった。そして、帰りたかった。

 名もなき風が突き抜ける。高い空と青い海で、60年かかった。やっと、あの下手な歌が田舎へと戻っていったのだろう。

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