【死】第15話 鏖(ミナゴロシ)
中村がけもの道を分け入ること、30分。
目の前には大きな
そのガマ。大人3人が四つんばいでようやく入れるほどの横幅と高さであった。さらに
それにしても神秘的な入り口を通り越して、薄気味悪い。まるで時が止まっているかのよう。上の
足元には何層にもぬれた落ち葉。踏むたびに沈み込む。茶褐色のそれを裏返すと、赤い文字で書かれていた。
『 1945/5/20 1億総玉砕 』
落ち葉は人民を大砲につめる玉だと笑った。
背筋に悪寒を感じる中村だ。
時間の感覚もそうだが、季節の感覚もそう。何かがおかしい………。
特にこの開けた場所はおかしい。新芽に猛暑。冷たい落ち葉。ミンミンとトンボが鳴き、てんとう虫がカマキリを食べていた。見上げれば、灰色の空にどんよりとした雲。葉のざわめきが低い声で歌っていた。
そこへ突然の熱風。同時に、上空から轟音。
見上げる空。まさか! それは爆撃機による空襲だった。
いったい? しかし、驚いているヒマはない。次々と着弾し、地面が強震。瞬時に、土煙が舞い上がる。
頭に、肩に、落ち葉が刺さっていく。グフッ、息も吸えない。先も見えない。ひどい耳鳴りだ。ここは避難。思わず、ガマへ逃げ込んだ。
転がるように奥底へ。
内部は尿瓶のように袋状で広い空間にたどり着く。そこではすでに避難者たちが身を寄せ合い、ひしめき合っていたのだ。
なんというか血がまじった病魔の臭気。おまけに蒸し暑く、あごの下辺りにじんわりと汗がたまっていく。ただし、中村の存在を気にする者はいない。もしくは気にする余裕もないのか。
彼らの顔のすべては土色でやせ細り、衣類のすべては泥で汚れている。体はやせ細り、目だけが怪しく光っていた。
ひざをかかえてうずくまる男性。着弾するたびに、激しく動揺する女性。それでも口に手を当てて、悲鳴を出さないようにこらえている。
横になって動かない老人もいた。そして
その中で、派手な勲章をつけた軍人が声を張っていた。
「今、我々がここで踏ん張っている以上、必ず本土より救援がくる。それまでは最大の
ただ、救援のあたりだろう。そこで子供が泣き出したのだ。急いで母親があやすも、いっこうに泣き止まない。
すると、若い軍人だろうか。突進してきて、ためらいもなく彼女の頭を
「今すぐ、その声を止めさせろ!
米帝はな、特に子供へ気をさいているんだ。先日の作戦。夜中に子供を使って戦車の下へもぐりこませた。あの自爆が成功したばかりだろ。
やつらはもう、子供だろうが女性だろうが関係ない。見つかったら、最後。このガマにも手榴弾を投げ込まれ、爆破されるぞ!」
しかし、この怒声が逆効果。子供はさらに大声を上げる。
もう、母親はコメカミに銃口をねじ込まれた。必死に首をふる。その間も砲撃の雨は降りそそぐ。
若い軍人のいらだちは最高潮。
「おまえらは俺たちを殺す気か? この砲撃が止めば、子供の声が外へもれるだろう。その前に石を口につめろ! 早くだ、早く!」
母親ができないでいると、となりの男性が無理矢理、子供の口へ石をつめこんだ。
さすがの中村も止めに入る。
「あんたら、何やってんだよ!」
「なんだ、おまえは!」
若い軍人は中村をにらみつける。ただ、とっさの機転。
「オイッ、入り口に爆弾が投げ込まれたぞ!」
この中村のかけ声に反応。目が泳いだすきに、ぶん殴る中村。簡単に吹っ飛ばされる軍人だった。
しかし、なぜだろう? まるで手応えがない。触れた感覚すらなかった。
そして、足元には転がる拳銃。それは軍人が母親をおどしていたものであった。
中村はふと拾い上げる。今度は噴き出さずにはいられなかった。
「クハッ! 軽すぎておもちゃかと思ったぜ。それにこんな小指ぐらいの銃口でおどしてたのか? がたついて、ぜんぜん動かねぇじゃん」
起き上がってきた軍人は激怒。
「返すんだ、馬鹿者!」
「別にいらねぇよ。でも、欲しいんだったら
バズンッ! かまわず、中村は発砲。すると、
なるほど。そういうことか。
これが白昼夢ってやつだろう。変な夢でも見ているのさ。さっきの手応えもそうだった。だったら、威張りちらしている壁際の軍人たち、全員消しちゃえばいい。
それはまるでゲーム感覚だった。弾はうまく命中していく。あの、一番偉そうした勲章の軍人も消えていく。だが、最後に何かを言い残して。
「………なってくれ」
ふぅ~~と、銃口に息をふく。まるで、ガンマンだぜ。
その間にも、子供は石をつまらせ死んでいた。母親はそれに気づかず、あやしている。白目をむいて、うなだれている我が子を。
中村は気づく。
支配とは暴力じゃない。制服なんだ。
服が決めて、周囲がそれを認めれば出来上がり。そう言えば、楠本は生まれ変わったら『命を救う助産師になる』とか言っていたな。それなら俺はやりたい放題な殿様にでもなってやるか。
ただ、変だ。
それから続く、母親の言葉にギョッとする。
「助けていただき、ありがとうございました」
まず、我が子は助かっていない。棒読みで不安げ。それどころか、避難者全員からどろっとした目線を感じる。何か
その予感は当たる。
「これからどうずればいいのです?」
突然、母親が
「これからどうすればいい?」
他の避難者もももにしがみつく。
「これからどうすれば?」
うごめく骨と手が、すがる。求める。しがみつく。そして低く、か細い声の合唱。それは肉もそげ、すでにガイコツの群れであった。ただ、その力は強烈で憎々しい。
ヤバい、ヤバい、ヤバい!!!
この誰かに頼ろうとする必死の群れ。ある意味、もっとも危険。なぜなら、引きどころがないからだ。
愛する人に頼られる。愛する家族に頼られる。それがもし30人、いや町全体、一億人もあったらどうする?
死に物狂いの手が伸びたとき、
「今回の戦争は間違えました。許してね」
「全部つっこんで負けちゃいました」、なんて簡単に終われるか?
涙とともに死地へ送り出した軍人と、その制服たち。彼らの希望も悲しみも、その一つ一つの感情が階級が上がるたびに背負わされ、重荷となり、沖縄決戦を不可避にした。
人の心臓は何グラムだろう? それが1億の魂がしかかるプレッシャーを玉にして飛ばしたい。
人間魚雷、回天。人間ロケット、桜花。牛島満中将は沖縄で本土防衛線の死守を任される。挙げ句、決まってからもどんどん本土死守のため軍人が抜かれていき、沖縄県人の60歳以上の老人や15歳以下の子供でさえも戦わせる方針へと変更した。
1945年 3/26 米艦隊による一週間の一斉砲撃 『 鉄の暴風 』
18万人以上の米軍上陸の絶望の行方
懸命に抵抗したなんて思うなかれよ。牛島満中将ならびに指導者たちは自殺を選ぶ。
そうだ、解放だ。自殺より数千倍、恐ろしいこと。それは、無間地獄の中で無数の『助けて』にすがられることだ。まるで先も見えない蜘蛛の糸。
もう、中村は逃げていた。
それでも骨のような無数の手が伸びてくる。もう、服は千切れ、皮膚はえぐられ、切り傷だらけ。あてどない『助けて』に引きずり込まれる!
今、わかった。あいつら軍人たちは「身代わりになってくれ」、だったのか!
今度はもともと持っていた拳銃ですがりつく
なんとかガマから
フゥフゥフゥフゥフゥッ、あらい呼吸が止まらない。しかし足を引っ張られた感覚が残り、いきおい飛び上がってしまった。とにかく危険。ここは早く離れよう。
そして、中村がふらふらと歩き出したその先!
同じ顔をした自分が立っていた。
のどから心臓が出るかと思ったよ。ただ、あいつはただ立っているだけ? いや、片目だけがつぶれているぞ。
じゃあ、自分は………? さわるとやっぱり穴が開いていた。
どこだ? 目の穴を探ると、手に違和感だ。取り出してみると、それはフォークに刺さった金魚の死体!
クソクソクソ!!! 地面に投げつける。だがその瞬間、思わず穴の方へ向いてしまった。
なぜか片目でくっきり見える、またしても亡者の手。無数にうごめいていた。ところが今度はまともな手じゃない。炭のように黒い手だった。
後ずさりする。だが、いっせいに襲いかかられ、あっという間に
その無数の炭の手は中村のあばらを一本一本、むき出しにしていく。その激痛に意識を失ってはすぐに戻された。おかげで自分の肌黒い内臓がぶら下がるのを見えてしまう。
何もかも失った。皮や骨まで、良心さえも……。
そうか。俺はずっと正義のため、動いていた。そのはずだった。でも、違った。今、
命は尊い。
命とは羽のように軽い。それもウソだ。命とは悲しみと絶望を乗り越えて生きていくこと。それを一時の感情で奪ったり、欲望なり威厳や制服で支配するなんてゆがみそのものだった。だから、今の姿。そのツケというわけか。
どこで、どう間違えたのか。ゆっくりとガマへ引きずり込まれる。
いつも遅い。ああ、俺はようやく自殺を手に入れた。
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