【宗】第4話 ダニの入った缶詰

 真夏の夕日が差し込む新聞社。ヘトヘトになった馬場が事務所へ戻る。

「うぇ~~~、ただいまです」

「ヨッ、おつかれさん! それでスクープはどうだった?」

 ねぎらう宮武。彼は背もたれのあるイスに座り、伸びたつめを切っていた。


 1637階の古びた事務所。


 エレベーターもなく、手すりもない狭い階段。下には腐敗した人肉。いつも野良犬たちが物色しては逃げていた。

 馬場はネクタイを外す。すると、えり元で止まっていた汗が勢いよく流れ出す。

「スクープ? ぜんぜん、ダメですって!

 逆にうつされたのはこのダニだけ。何十匹と卵を産みつけられちゃって」

 そう言って、ボリボリと首すじをかく。その首には奇妙な赤いスジのあと。いくつものミミズのようにはれ上がり、ぶちぶちと出血していた。



 いつだったか。九州の島原でキリスト教徒を中心にした反乱があったという。

 信教の自由、あるいはたえきれない税負担や政府への不満など。一時は正規軍に勝つほどの勢いで原城に立てこもること、37,000人。

 この城では三方を絶壁の海に囲まれ、わずかに陸路を残すのみという難攻不落で有名だった。

 しかしながら、この人数は想定外。まるでカマキリの巣、ハチの巣状態。一畳に四人という生活スペースであった。

 これはとんでもなく狭い。

 寝ても覚めても他人の口や足が目の前だ。いつもいつも、ツバと汗が飛び交う。もちろん体臭やオナラは大敵だ。


 宮武は除菌スプレーを振りかざして言う。

「おいおい、やめてくれよな。おまえに寄生したのは皮癬ひぜんダニだろ。そのダニはな、密集生活で不衛生になるとウジウジわいてくるんだぞ」


 もちろん、ダニの食料は人である。皮膚じゃない人になるのだ。つまりは虫が人を食う。想像の二倍上をいく。

 数ヶ月間、体も頭も洗わないのは当たり前。鼻毛はのび、まつげはホコリをかぶったまま。耳あかはたまり、虫歯だらけの口臭。下痢げりはいせつ物もそのままだ。

 トイレットペーパーなんてあるはずもない。自然、かぶれる。ふやける。生活弱者も多い中、汚れた上に悪臭が加わるのだ。

 そんなひどい状態が続くと、そこはダニの楽園。複数のダニは皮膚をはいずり回り、一日に2~3個、卵を産みつける。


 しばらくすると、弱った皮膚ひふには無数のミミズばれができるだろう。

 それはダニが食い掘ったトンネル。産まれたダニもぞくぞくとそこに卵を産みつけ、皮と肉を食い破っては産卵を繰り返す。


 馬場はまだまだひっかいていた。

「人に対する拷問って絶対的なかゆみらしいですよね。かゆくて眠れず、自分の肉までそぎ落とすようになりますから」

 よく見ると、彼の首すじにはなにやら虫がうごめいていた。

「だったら、今すぐシャワーを浴びてこいよ!」

 思わず叫ぶ宮武だ。それでも馬場の動きはにぶい。

「いやいや、当時を思い起こすわけですよ。

 これは城全体におよぶ、拷問ですって。ゆっくりと時間をかけて汚し、戦意を削いで、中の反乱分子を壊していく。

 それでも元気なうちは海水で消毒もできたでしょう。しかし、季節は冬でした。老人だっておぼれるし、子どももおんなじです。どうすることもできない。

 そのうちに汚れた産着を糞尿ふんにょうまみれの手でなでる。洗い流すきれいな水もなく、クスリもない。ただれたツメに髪は抜け、しまいには顔にもダニがはいずり回る地獄。そのうめき声すら耳元で絶え間なかったでしょう」


 宮武はあきれる。

 さてはこいつ、俺にダニをくっつけようとしているな?

「どれだけ昔の話をしてんだよ。ちょんまげ時代か? 今はクスリもあるんだよ。これでもぬれって!」

 そう言って馬場にクスリ箱ごと、投げつける。しかし、馬場の顔にはすでも赤いブツブツが広がっていた。

 あ~、かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆい………。


 それにしても長期にわたる島原のろう城戦。

 幕府軍はあえて戦わない。補給を絶って取り囲んだまま。そして人数を減らさないように、上辺だけの話し合いでのらりくらり。城内では食糧も尽き、禁断のカニバリズム(死肉喰い)まで始まっていた。さらに、土かべをくずしては食べる人外の所業。

 そう、人が虫化するんだよ。賞味期限? 消費期限? 面白いことを言う。口の中には雑草だらけ。それすら食い尽くした。くちびるははげ、歯のすき間には小さな虫がせわしない。すでに、皮膚から内臓までいろんな虫に食われまくってんだ。

 十字をきっても、教徒は自殺を許されない教義。もはや究極をすぎた生き残りであった。



 そして、4ヶ月後がたったころ。

 総攻撃で、突入した兵士たちはこの世の真の地獄を見る。それは息もできないほどの悪臭に、赤黒くにごった糞尿、はがれ落ちた皮膚と頭髪、血だまりの城であった。

 その先にはおよそ人のカタチをしているが、ひ弱な虫の群れ。


 服はかきむしってすでになく、目は充血して鼻がもげている。ダニの巣窟そうくつと化したその体には、ボサボサの髪にシラミが徘徊はいかい。歯は抜け落ち、骨と皮だけ。

 やや、腹だけがふくれている。何か言葉を発しているようだが。


「ころ……して」


 この反乱には多くのキリスト教徒が参加していた。

 それは残酷を意味していた。

 なぜならキリスト教は自死を禁止。

 だから衛生面がよくならない限り、胃や内臓から寄生虫、外からダニやシラミなどと好き放題食べられるのだ。

 

 これを戦闘と呼ばない。兵士たちは嗚咽おえつをこらえながら女・子どもと一人残らず頭をくだき、虐殺していった。  


 消毒という名の皆殺し。

 夜通し、骨をくだく音。はたして、これが救済か? 殺して欲しい、殺してと願う人のカタチを何十匹、何百匹も殺していった。

 しかし、それすら序の口だった。自分の体にもダニがついたかもしれない。シラミが耳に入ったかもしれない。今、背中にはどんな虫の痕がついているのだろう? ちょっとのかゆみでも、痛みでも、パニックになる。

 手はずっと震えていた。


 反乱を2日間という短期間で制圧。その後、島原地方には人影は消え、風だけがいていた。

 

 馬場は自分の皮膚をベリベリとかきむしる。

「きれいな飯が食えるって、ホント良いですよね。

 手をつけずに弁当を丸ごと捨てたり、カタチが悪いだけで捨てたりと……。うっかりしていると、食べられる側になるかもしれないのに」

 

 残念ながら、飽食と飢餓きがは恐ろしいほど繰り返す。腹の虫。虫唾が走る。虫の息。体にまつわる慣用句。とってつけた比喩表現。しかし今、世界は加速度的な飢餓に襲われている。脱温暖化も戦争すらもこれが解決されれば問題ない。

 アルテミス計画? 缶詰のまま究極に、どこにも逃げ場はないのだ。


 ただ、そんなことはないと笑う宮武である。

「いきなり何を言うかと思えば、くだらないことを。

 いい、いい。今、楽に食えればいいんだって。そうそう、あおった言葉を並べても大量のシャワーを浴びれば一発で消えるんだ。

 そんなしけた話より社員旅行の話だ。うちのワゴン車は8人乗り。高校生は5人まで乗せられる。できれば男4、女4ぐらいがいいと思わないか?」

 不満そうな馬場である。

「何、考えているんですか? ラブワゴンですか?

 何かそれ、下心ありそうで社員旅行じゃないじゃないですか!」

「いいじゃん、いいじゃん。はながあってさ。それに部数も伸びるぞ」

「まあ、そうですけど。日程は宮武さんで調整をお願いしますね」

「またかよ。言い出したのはおまえなんだから、おまえでつめろよって!」

 耳をふさぐ馬場である。

「こちらは毎日、現場でいそがしいんですから。もう、シャワー浴びてきますよ」

「勝手にしろ!」


 事務所の電気が消えるころ。

 今では充分な食材が食卓に並ぶ。しかし、そのほとんどが輸入品だ。

 あわれ、国産なんて数えるしかない。

 ひとたびそれが止められたら、死海の国だ。飽食になれたこの島国は、簡単に干上がるだろう。

 ホラッ、頭がかゆくなってきた。

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