第六部 憂目の夏に 13
川田だ。
手には生徒名簿、もしくは教材などを持っているようで、眉間の強く深い皺と無精髭を微動させて、大きな口からは黄ばんだ歯がのぞいていた。
「おらあ! 風間! こんなとこで何やっているんだ!?
部活もないなら、さっさと帰宅しろ!
この……! カスが……!」
「別に……ただ、歩いているだけじゃないですか」
僕が呆れたように言うと、川田は睨みつけながら接近してきた。
首を揺らして睨みつけてくる表情は、とても壮年男性の風格があるようにはみえない。
彼にとっては、素行不良の生徒に対して、このような行動が抑止力であると錯覚しているのだろう。
生徒を抑えつける権力と腕力があるのだという自惚れが、彼の全体から見受けられる。
「あっ……」と、背後から細く高い声がして、僕と川田が同時に声の方向を見ると、廊下の角に戸惑いの顔をした麻衣が立っていた。
川田は、僕と麻衣を交互に見てから、
「なんだ……? お前ら、密会か?
不純異性交遊は禁止だろうが!」
僕が否定する前に、川田は麻衣に近付いた。
どのような理由であるか知らないが、彼は今日の全校集会に来ておらず指導には不参加であったから、僕達と夏休み前以来の対面であった。
彼が彼女の前に立つと、夏休み中に溜めていたといわんばかりに、いつかの全校集会にも似た罵倒を彼女に浴びせた。
「お前……化粧も髪を染めるのも禁止だろうが!
どうせ夏休みに色んな男に股を開いていたんだろう!
この娼婦が……! お前みたいに、やりまくっている女のせいで風紀が乱れるんだ!
生中でやりやがって! このクズが!
ん……?」
川田は麻衣のスカートが短いことを校則違反として注意する名目で、骨太の指で裾部分を持ち上げると、彼女の白い太腿がさらに露わになった。
片方の手に携えている教材で、麻衣の胸に押し当てているようにも見える。
彼は、舌を出したり引っ込めたりして、恍惚と気味の悪い笑顔を見せつけていた。
「ちょっと……! やめ……やめて!
離してよ……!」
「ああ……!?
お前が校則違反しているんだろ!?
直すために指導してやっているんだ!
まあ、どうせ色んな男とやりまくっているんだから、このくらいなんでもねえだろ!」
僕は、川田の毛に覆われた太い腕を掴んで麻衣から引き剥がした。
この男は、教育者としてあるべきではないし、僕が貫いている長幼の序は、彼には適応する必要がない。
立場を利用した、この男の傍若無人な振る舞いを許すわけにはいかなかった。
「何だ……!? お前! 教師に暴力をふるったな……前みたいにボコボコにしてやるよ!
――お前、その顔の傷、どうせ負けたんだろうよ。 弱っちいからな……お前!」
川田は左右の手を上げて、柔道の間合いにしようと飛び込んできたが、僕は彼のでっぷりとした腹にカウンターの前蹴りを決めた。
柔らかい感触と反動が足から流れてくる。
鈍い音の後で苦悶の表情を浮かべた彼は、大口から涎を垂らして、再び柔道の間合いにしようと突っ込んできた。
身体を掴まれて彼の柔道技をもらってしまえば、勝ち目はない。
ここは廊下であって、畳の上ではないのだから、硬い床に叩きつけられたら、その時点で終わりだろう。
運良く耐えたところで、すぐに寝技に持ち込まれてしまう。
しかし、堂島さんと戦った時の恐怖感を大火として評するのであれば、川田は蝋燭の儚い灯火ほどしかない。
堂島さんは、現役ではないにも関わらず打撃は矢のように鋭く重い、フットワークも俊敏で華麗であった。
僕は、彼が突っ込んでくるタイミングを堂島さんのようにバックステップで外してから、ボディブローの連撃を浴びせた。
崩れかけた彼の肩を掴んで、廊下の壁へと蹴り飛ばしてから、さらに右側頭部に膝蹴りを入れると、壁と膝の間に短く太い音が流れた。
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