第六部 憂目の夏に 12

 始業式が終わって、教室で担任教諭からの話などを聞いた後、本日は午前中にて解散となった。

生徒は、細やかと盛大の中間の興奮を持ち合わせて、どこそこに行こうかなど各々作戦を練っている。


 僕は軽い鞄を手に取ってから、予定を楽しく話す生徒を尻目に教室から出ていった。

心が沈んでいることで、何やら重たく冷たい壁に圧迫されるように歩いていると、背後から「風間君」と声をかけられた。

ゆっくりと振り返れば、萌音が小走りで近付いてきている。


「あの……顔の傷、大丈夫?」


「ああ……大丈夫。朝も言ったじゃん」


「そうだけど……元気がないように見えるから。

――何かあったの?」


 やはり心優しい萌音は、人の機微が何となく判断できてしまうのだろう。

「いや、特に……ないよ」と、強がって言ってしまった。

彼女に事情を話したからといって、状況が変わることも好転することもないだろう。

むしろ、奈々さんと親交を深めようとしていた彼女を悲しみに落とすことになってしまう。

僕は、小さく手を上げてを去っていくが、彼女は心配の眼差しを背中に向けているだろう。

しかし、奈々さんを守れていない僕は、心配されるに値しない人物であるから振り返るわけにはいかなった。


 別棟に足を向けていた。

別棟とはいっても、生徒が主に生活する教室と中央廊下で繋がる建物である。

一階から三階まで音楽室、美術室、技術室、家庭科室、特別室などの教室が名を連ねている。

なぜ歩みを進めているのかといえば、帰宅する前に屋上へ行って気を紛らわしたかったからだ。

不甲斐ない自身を笑うために。


 屋上に行くためには、別棟の三階にある階段を上るしか手段がない。

もっとも、階段を上りきったところで扉は常に施錠されているから、一般の生徒であれば屋上に侵入することなど到底できない。

しかし、僕は屋上への入口の鍵を持っている。

この鍵は、何代か前の卒業生が鍵の複製を作っていて、代々先輩から受け継がれている鍵である。

今年の卒業式の日。

僕は、とある先輩から鍵を継承した。

教職員に鍵の存在を知られないために、少しばかりの決め事があった。


『鍵の存在は、信用できる少数の生徒のみが知ること』


『屋上へ向かう際は、絶対に誰にも見つからないこと』


『屋上で大声を出さないこと』


『転落するような行為はしないこと』


『鍵は一本のみで、さらなる複製はしないこと』


『卒業時期になったら、後輩の一人に鍵を渡すこと』


『鍵を継承した者は、決め事を守らせること』


 このような緩い決め事があったが、それは鍵の複製を作成した先輩が、あとに続く後輩に屋上からの景色を見せたかったのだろう。

山の上に建てられた中学校の屋上からは、町を一望できる。

いまだに教職員に鍵の存在は知られていない。

仮に屋上に続く階段を上っているところを第三者に見つかったところで、扉の前でたむろしている形にすればよいのだ。

僕も湊と屋上に入ったことがあったが、先輩達からの決め事はしっかりと守っている。

それは、僕も眼前に広がる屋上からの景色を後輩に紡いでいきたいと思っているからだ。

侵入するなど悪いことではあるが、何者かが転落でもしない限り、屋上から景色を見渡すこと自体は悪いことではないと考える。

もちろん、転落等の危険があるから禁止とされていることも理解している。


 そのようなことを考えながら、屋上へと続く階段の手前まで来ると、下の階段から怒号と共に駆け上がってくる人物がいた。


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