第六部 憂目の夏に 10

 瞬時に姿勢を低くして突進した。

幾らかの打撃に身体を打ち抜かれるが、止まるわけにはいかない。

堂島さんの懐に入ると、首に腕を回してから、体ごと引っ張ってボクシングの姿勢を崩す。

ボクシングはクリンチがあるから、至近距離から放たれる技は無いと思われる。

首相撲の形をとった後で、腹部に膝蹴りを三発入れてから、こうべを垂れるかのような彼の顔面に膝蹴りを二発入れた。

うめき声が耳に届いた。


「て、てめえ……」


 倒れかけたと思った矢先、堂島さんは首相撲を振りほどくように、高速の三連撃を僕の顔にいれた。

意識が遠退きそうになって、顔の熱が一気に増していく。

彼は拳ではなく、肘を使って至近距離という短所を壊したのだ。

気力を振り絞って右ストレートを打つも、スウェーで避けられてしまったが、彼の鼻からは多量の出血があって呼吸するにも苦しそうだ。

僕も肘の攻撃を受けた影響で瞼が腫れ上がり、視界は狭まっていた。


 やはり、彼の得意距離である打撃では勝ち目が無い。

再び突進、彼を掴んで地面に倒してからマウントポジションを取ろうとしたが、バックステップされて左右の攻撃をもらった後で、一気に間合いを詰められた。

右足を踏まれて、動きに制限を課せられた隙に、顔面への頭突きをもらってしまい拳による連打を浴びた。

半分の意識が別の世界へと旅立ち、口内に広がる鉄の味は深みを増していって、力無く膝から崩れ落ちた。


「ちっ……こ、こまで……やられたのは……久しぶりだ。

肘打ちも……頭突きも、足踏みもボクシングじゃ……反則技だけどな。

これで……わかっただろ……?

お、前には……無理なんだよ」


 残り半分の意識で僕は顔を伏せて、堂島さんの腰を少しばかりの握力で掴んでいた。


「ぜ……絶対にひ、引けねえ。

や……約束……したん……ですよ」


「……約束?」


「ま、守るって……俺が……

奈々さんを……守るって……約束したんですよ」


「――あいつは……望んでねえんだ……ろ」


「そ、れでも……俺は」


 奈々さんの本心はどうなのだろうか。

親族や僕を巻き込みたくないから、一人で悪意の渦に飛び込んでいっただけで、本当は助けてほしかったのではないか。

わからなかった……彼女の本心を聞いたわけではないのだから。

堂島さんが言うように、独りよがりなのだろうか。


「お前……わかるか?

あいつは、これから……今のお前のような……身も心もボロボロになるところに飛び込んだんだ」


「わかっ……ていますよ。

――だから、守らないと……」


「……無理だ。相手は組だぞ。

お前の力じゃ無理なんだ。

――お前の心意気は認めている、大したもんだよ。

惚れた女のために、ここまでできる奴なんて、そうはいねえ。

いや……俺は……お前以外に知らねえ。

ほとんどの奴らは、口だけで愛だとか何だとか言っているだけだ。

どんな綺麗な言葉で飾っても、中身は薄っぺらくて、自分の利や快楽にならない限りは何もありはしねえ」


 他人の愛がどのような形をなしているかなど知らないが、男女間が持つ愛、愛に付随する感情というものは表裏一体なのかもしれない。

求愛から憎悪。

誠実から背信。

献身から打算。

思慮から軽薄。

美麗から醜悪。

快楽から苦痛。

時が過ぎていく、紆余曲折の中にあって変遷してしまうのだろうか。

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