第六部 憂目の夏に
第六部 憂目の夏に 1
夏祭りの日から、二週間が過ぎた。
先週も五十嵐弁当に向かって、奈々さんの試作コロッケを食した。
鮭とマヨネーズなどを合わせた鮭マヨコロッケは、鮭の風味とマヨネーズのまろやかな旨味が効いていて美味しかった。
その時に『今度のコロッケは、日本の家庭的な料理をコロッケと合わせてみようと思うから、楽しみにしていてね』と、彼女は微笑んでいた。
七月に、僕の所属していた部活の中学校最後の大会は終わっていたから、今は怠惰な夏休みを過ごしている。
中学三年生の夏休みは、高校入試のために勉学に励むことが通例とされているだろう。
しかし、僕の視線は勉学に向いていない。
奈々さんと共に過ごせる日を一考するのみで、約束している毎週の金曜日以外にも会いたいが、生活費に加えて借金返済もあるのだから、仕事の多忙な彼女に無理強いすることはできない。
休日があるならば、映画や食事などに誘ってみようか。
もっとも、約束の金曜日に会える、帰り道を送ることができる、それだけで幸せだ。
それらの思考を巡らせながら、五十嵐弁当へと向かった。
いつものように定刻の五分ほど前に、五十嵐弁当に到着したが、何やら違和感がある。
そこには、店の光は存在せずに、寂しく照らす近くの街路灯に無数の虫が身を寄せ合っているだけだ。
僕は、店の前に立ってみたけれど、店前のシャッターが閉まっていて人の気配はない。
何かあったのだろうか。
奈々さんに連絡しようにも、彼女は金銭面の節約で携帯電話を持っていなかったし、固定電話も無いから、僕に電話をくれる時は公衆電話を利用していた。
しばらくの間、店先のベンチに座っていたが、目の前を自動車が通り過ぎるばかりで、進展もしない状況と隣り合わせの時だけが経過していく。
僕は、ゆっくりと立ち上がると、寂しさと不安が入り混じった感情を手にしたままで、五十嵐弁当を後にした。
あの日から一週間が経過した。
この一週間、幾度となく店に出向こうと考えたけれど、一回居なかっただけで、確認に行くことが小心のような気がして避けていた。
何か理由があったのだろう。
しかし、僕から奈々さんに対しての連絡先は知らないけれど、彼女は僕に連絡することができる。
彼女は、決め事などの不義理をする人では決してないから心配である。
湿った風を振り切りながら、自転車を走らせていると、五十嵐弁当の灯りが見えた。
よかった。今日は、いるようだ。
自転車を脇に停めて、意気揚々と勘定台から店内にいるであろう奈々さんの姿を探した。
「あ、すみませんね、お客さん。
今日は……もう閉店でね。そこに……並べてある物なら選べるけど、どうします?」
ガラスケースに少し並んだ惣菜を指差しながら、調理帽から覗く白髪頭の男性が僕に告げた。
風貌からして、五十嵐弁当の店主のようだ。
「買い物というか……あの、奈々さんっていますか?」
「――ん? 奈々ちゃん?」
低音で聞き返した男性の声色から察して、唐突にアルバイトの女性の名前を出して、不審に思われたかなと考えた瞬間、男性の肩越しに新たな声が発せられた。
「あれ? あんた、奈々ちゃんと夏祭りに来ていた子じゃないかい?」
夏祭りの時に会った、五十嵐弁当の女将さんだ。
「なんだ、奈々ちゃんが……コロッケを作ってあげてた子か」と、店主は女将さんに確認していた。
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