第五部 慕情の夏に 10
「お父さん、家を開けることが多いんだけど、最近は一週間近く帰ってきていないの。
少し前に話し合って……借金を返すために、今は仕事も頑張ってくれて、お酒も辞めたのに。
だから、心配で……」
夏祭り前、迎えに行った際に現れた男の姿。
借金という単語から連想して、僕の脳裏にぼんやりと出現した。
今の話からすれば、帰ってきていない父親ではないようだ。
「そうなんですか……
えっと……今日いたヤクザみたいな人は、借金の……取り立ての人ですか?」
「――うん。こっちに来てから、お父さんが、お金を借りた堂島さん。
私、お昼と夜も働いているけど、別の借金の返済もしているから利息分が多くて、あまり借金が減らないから大変。
なかなか……厳しいね。世の中って」
奈々さんは、寂しげな笑顔を見せていた。
どうすることもできない。
僕は何と無力なのだろう。
彼女を支えたい、力になりたい気持ちがあるというのに、中学生という
大切な人から受けた恩に報いることができないというのは、何と残酷なことだ。
奈々さんは、夜も働いていると言ったから、もしかすると、今日の誘いも無理して来てくれたのではないだろうか。
以前、高校に行っていないと言っていたが、今話してくれた経済的な理由で、進学の道が閉ざされたのだろう。
「私ね、夢があるの……いつか、妹を迎えに行って、一緒に暮らしたい。
まだ、小さい小学生だから。
それと……私や妹みたいな思いをする子が、少しでも減らせる世の中にしたいと思うんだ。
――辛い思いをしている子供達を助けたいの」
『私や妹みたいな思い』
奈々さんは、すべてを語っているわけではないし、その身に降りかかる苦しみ、悲しみを僕が想像することは容易ではない。
僕には、将来の夢というのはなくて、漠然とした不安が身を包むだけであった。
夢はないけれど、たった一つの想いはある。
今の僕ができる約束を、彼女に告げた。
「俺は……頼りないかもしれないけど……まだガキで……
でも、奈々さんと一緒にいたいです」
「え……うん……私も一緒にいたい」
「奈々さんが泣かなくてもいいように、奈々さんが悲しむことのないように……
約束します。
俺が、奈々さんを……守ります」
奈々さんの目から、線香花火の散り菊のような涙が溢れている。
当然だ、彼女には今までの暮らしが非常に辛かったのだから。
僕は、この世界に小さな勇気をだして、奈々さんの肩を労るように抱き寄せた。
花火が鳴りを潜めたかと思えば、最後の灯火を見せつけるように夜空に打ち上がる。
僕には、花火の音と奈々さんの少しの震えが切なかった。
奈々さんと見つめ合う。
暗がりの中で、僕の目を捉えて離さなかった。
潤んだ瞳に僕は映っただろうか。
目を瞑る彼女に、お互いの口唇を優しく近付けた。
柔らかな口付けは、薄っすらと甘い味がした。
きっと、かき氷の味なのかもしれない。
奈々さんの顔、身体、声、鼓動、体温、感情。
すべての色彩が口唇を通して伝わってくるようだ。
僕は、初めて実感した。
『恋』から生まれた。
『愛』というものを。
「ありがとう、一弥君。
――私も大好きだよ」
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