第五部 慕情の夏に 8

 首にかけられた絞め技によって声が途切れながらも、自身の意見を伝えた。

川田には、やはり面白くないようで、首にかかる負荷は増していくばかりだった。


「勘違いすんなって! ガキがよ!

強いんだろ? ほら、外してみろよ! 絞め技外してみろよ!?」


 呼吸が浅くなってきた場面で、湊が列から飛び出して、僕から川田を引き剥がしてくれた。

それを皮切りに、幾人かの不良仲間も参加して、僕達と教職員で混戦となって体育館は騒然とした。

全校集会終了後に、さらに指導を受けたのは言うまでもない。


 後で一考するも、女子生徒に手を上げて恍惚と興奮を携えていた川田を許せなかったし、武道である柔道技を利用して、力のみで屈服させようとした彼という教職員を、僕はひどく軽蔑した。

抑え込まれたからという安直な理由ではない。

武道をに利用したからだ。

自身を守ること、他者を守ること、正当防衛などの類ではないし、双方が武力で争うことを認めた場面でもない。

僕も武道の一端に触れる者として、それらを容認することなどできなかった。


「あの時、風間君が助けてくれたことを、麻衣ちゃんは感謝しているんです。

でも、お礼を言いたいけど、風間君を前にすると、強がって本音とは別の言葉がでちゃうって……

それで、いつも喧嘩みたいになっちゃうって、後悔しているんだよ」


 最後の言葉は、僕を見ながら投げかけられた。

奈々さんは、口唇をしまいこんで、萌音の話を最後まで真剣に聞いていた。


「うん……変に強がってしまう時ってあるよね。

麻衣さんには、麻衣さんの……苦しみがあって。

もちろん、萌音さんには萌音さんの。

一弥君も、そこはわかってあげられるよね?」


 不意に質問を投げかけられたが、どうであろうか。

麻衣が葛藤していたことは、萌音の発言から理解したのであって、今までの麻衣の態度に不満を募らせていたことは事実である。

しかし、不思議だ。

『嫌な奴だ』と、思ってはいるが『嫌悪』という負の感情はない。


「まあ……人それぞれに苦しみがあるのは、わかっていますけど」


「そうだよね。今度から言い合いになっても、麻衣さんが辛くなる言葉は――あまりかけないであげてね」


 奈々さんは、先程の麻衣の態度などを一切なかったかのように、彼女の心を案じている。

それらを踏まえると、普段の自分の対応が、小さく感じないこともなかったから「はい」と、小さく返した。


 萌音は、目を幾らか潤ませていた。

どうやら、萌音は麻衣の本当の意味での友達らしい。

まるで、小動物のような目を向けてくるものだから、

「ああ、大丈夫だよ。

あいつが、自分の思いと裏腹なことを言っちゃうのはわかったから。

俺も……今度から変に喧嘩腰には言わないから」と、なるべく柔らかく伝えた。


 萌音は、眉毛を少しばかり落として、

「うん、ありがとう。風間君。

奈々さん、ありがとうございます。今度、ゆっくり話したいです。

それじゃあ……麻衣ちゃんのところに行きますね」と、深々と頭を下げて、麻衣を追うために、祭りの光と人が揺らめいている中に足早に消えていく。

奈々さんは、萌音の姿が見えなくなっても、胸あたりで小さく手を振っていた。


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