第五部 慕情の夏に 7

 穏やかな笑顔を、そっと渡すように、奈々さんは萌音の言葉に返した。


「うん、大丈夫だよ。

優しい子なんだろうなっていうのは、伝わっているから気にしないで。

彼女にも、きっと色々なことがあるんだよね」


「ありがとうございます……

――あの……麻衣ちゃんは、風間君のことを普段から気にしていて、

それで……奈々さんといたから……不機嫌というか」


「うん」と、奈々さんは一言返して頷いた。

麻衣と僕ははたから見れば、二人の仲、関係は良くないだろう。

僕自身が薄っすらと、そう感じているのだから、言い逃れようのない事実でもある。

それでも、やたらと接してくる理由を、萌音が以前に教えてくれたけれど、今回は別の話を僕達に向けて語った。


「あの……風間君、覚えているかな?

春の全校集会の時に、麻衣ちゃんが先生達に怒られていたこと……」


 春の全校集会。

四月の入学式が終わって、桜も散り始めた頃の数日後に行われたものだ。

学年集会や全校集会というのは、主に体育館で催される。

その会の中に、服装やら頭髪の検査があって、校則に違反している者は、生徒の列から弾かれて、体育館の壁に沿って並ばされるのだ。

あの日も、全学年の男女合わせて十数人の生徒が、校則違反の名の下に見せしめとなっていた。

例に漏れず僕と麻衣は、体育館の壁に沿う一団にいたわけだが、その時の彼女は、何を思ったのか金髪にしていたのだ。


「ああ、覚えているよ」

と、萌音に伝えると、彼女は全校集会の話を奈々さんに向けて続けた。


「麻衣ちゃん、先生達に注意されていても無視していたから、新しく来た先生――

川田先生に髪の毛を掴まれたんです。

酷いですよね? いくら校則に違反していても、女の子の髪を引っ張るなんて……

他の先生達も一緒になって、はやてるような言葉を出していたんですけど。

誰も止められない中で、唯一、風間君が間に入って止めてくれたんです」


 あの時、川田が麻衣の長い金髪を掴んで、淫乱女や売春婦などの罵声を浴びせていた。

自身に権力があるのだという錯覚を、女子生徒に振りまく姿に非常に嫌悪したし、痛がっている彼女に対して、さらに恫喝するさまに怒りを覚えた。

僕には、川田の行為が、指導とは別ところにあるのだと感じた。

彼の支配欲と性欲から生まれたような、恍惚とした表情が酷く気持ち悪かった。

自身の性癖を、女子生徒に向ける教育者としてあるまじき姿。

いや、日本人としての誇りすらも欠落している彼に、敬意などは一切ない。


『先生、女子に暴力を振るうとかやめてもらえませんか? ダサいっすよ』


『なにい? 何だお前は! お前も校則違反で、この場にいるんだから、勘違いするな!

ヒーロー気取りか!? ああ!?』


 後で聞いたところによると、川田は柔道の経験者で、学生時分には全国大会にも出場していたらしい。

年齢が四十歳程の川田は、体格も非常に大柄で、でっぷりとしている。

彼に、学生服の襟元を掴まれて僕は投げ飛ばされたが、持ち前の運動神経で身体が床に叩きつけられることを回避した。

それでも彼は、立ち上がろうとした僕に対して、背後から絞め技をかけてきた。


『おらあ! クソガキが! 調子に乗るなよ!?

このまま落としてやろうか!? ああ!?』


『調子に……なんて乗ってな……いですよ。

ただ、女子に暴力を……振るうとか男として、ダサいって……思ってるんで……

格好……悪い男……には、なりたく…ねえ』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る