第五部 慕情の夏に 6

「一弥君、お待たせ」と、奈々さんの声だ。

先程までの経緯から、「ああ、はい」としか返せない、何とも言えない場面である。

彼女は、麻衣と萌音に軽く会釈をしてから、僕に友達?と訪ねてきたが、何だか照れくさいものだから同級生とだけ伝えた。


「初めまして。私、奈々といいます」


「あ……初めまして。私は萌音といいます。

――えっと、彼女は、友達の麻衣ちゃんです」


 萌音は、麻衣が自己紹介をしたがらないことを予想したから、一瞬の間が空いて、彼女の名前を奈々さんに伝えた。


「私、ここのお祭りって初めてで、賑わいがあっていいですね。

二人は、もう色々回ったの?」

と、奈々さんは二人に向かって問いかけた。

麻衣は、他者に対して無愛想の類であるから、萌音が会話を続ける。


「そうなんです。最近は、この町のお祭りに、けっこう色々な人達が来てくれるんですよ。

私達は、さっき来たばかりで……夏祭りといえばってことで、とりあえず、かき氷を買ったんだよね?」

と、萌音が麻衣に問いかけても、麻衣は、首を斜めに軽く顎を引いて頷くのみであった。


 祭りの喧騒が山の向こう側に遠退いたかのように、四人の間には静寂が訪れた。

何やら不穏な空気が漂っている気さえする。

「あっ、えっと……」

と、萌音が何某かの言葉を発しようとした時に、麻衣が引き止めるように声を被せた。


「――風間は、年上の女の人が好みなんだね。

硬派ぶっているのに、何か軽くない?

普段は、女子に、話しかけんなみたいな雰囲気出しているけど。

結局、恋愛には弱いってこと?」


「別に……そういうのじゃ……ねえよ」


 ここで、麻衣と喧嘩に発展して雰囲気が悪くなるのも辛いし、奈々さんがいる手前、穏便に済ませたい。

逃げに徹しようとした浅い考えを見透かされてしまったのか、麻衣の追撃は止まらなかった。


「そういうのじゃないって?

普段と態度違うのも、その人に良く見せたいから?

悪ぶるのも結局は、女子からモテようとしてやっているわけでしょ。

大体、不良やっているからって、モテるとかないから。

えっと――奈々さんでしたっけ?

風間とは、どんな関係……付き合っているんですか?」


「あ……一弥君とは……」


 僕はてっきり『一弥君の彼女で、奈々っていいます』と、湊に伝えた時のように、奈々さんから類似した言葉が出ると思っていたが、予想の反応とは違っていた。

言い難そうにした奈々さんに対して、「え……? 何ですか?」と、眉間に皺を寄せて、詰め寄る麻衣。

僕は、奈々さんが困っている姿を見ていられなかったから、控えていた強めの言葉を吐き出した。


「奈々さんは、俺のだよ」


どのような言葉で表現すれば良いのか、わからなかった。

所謂、男女が交際している意味として使う彼氏、彼女という言葉は、交際の告白をしていないのだから適切ではない。

それ故に、奈々さんを大切な人という風に表した。

そうだ。紛れもなく僕にとって大切な人。


「ふーん、そうなんだ。

…………そっか。

大切な人がいるなら、喧嘩なんてしている場合じゃないか。

モンキーに付いていかなくて正解。

もう喧嘩なんてしないでよ?

じゃあ、二人の恋の邪魔をしたら悪いから、私は行くね」


「あっ……麻衣ちゃん……」


 萌音は、去り行く麻衣を引き止めようとしたのか、このまま一緒に付いていくことがはばかられたのか、どのような心境であるかは不明であるが、その静かな声は緩やかに空中を散歩した。

雑踏に身を隠すように薄れていく、麻衣の背中を見届けた後で、萌音は、奈々さんの方に体を向けた。


「あの……すみませんでした。

さっきは、あんな態度で……誤解してほしくはないんですけど、本当の麻衣ちゃんは優しい子なんです」


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