第五部 慕情の夏に 3

 誰に止められたとしても、今までの自分なら、湊と共に喧嘩の場所に駆けつけるはずだ。

もっとも、友の為に駆けつけるというのは、建前になるかもしれない。

今までの喧嘩というのは、日頃の鬱憤や焦燥感を喧嘩という形で、紛らわしていただけではないか。

仮に参加しなかったとしたら、自身が弱く見られて軽侮されてしまうことも怖れていた。


 しかし……今は、どうであろう。

奈々さんのために、行きたくないと思った。

喧嘩に行くことで彼女を悲しませるなら、悲しまない道を選択しよう。

自分が判断して決める、自分自身のことである。

視線を奈々さんの顔から、ゆっくりと湊に変えた。


「悪い、湊。俺は……行かない。

格好悪いと思うかもしれないけど」


 湊は、柔らかに一笑していた。


「格好悪くねーよ。

好きな女に諭されて、出した結論なら逆に格好良いだろ。

でも、あれだな……一弥が誰かの言うことを聞くとは思わなかったよ」


 我先にと喧嘩の渦中に乗り込む。

普段の僕を知っている湊なら、そう感じるだろう。


「豊田とか他の奴らに、悪いって……伝えといてくれ」


「別に謝らなくていいんじゃん?

俺ら喧嘩するけど、馴れ合いで喧嘩を共にしてるわけじゃないし。

俺は俺で決めるし、一弥は一弥で決めるだろ?

それで、いいんだよ。

――じゃあ、もう行くわ。

今度、今日の話をしてやるから楽しみにしとけよ」


 湊は、任せられていた屋台を放置して、人混みを勢いよく、すり抜けていった。

その背中を見送ると、最終的に自身で決めたことであるのに、

薄暗い雲のような後ろめたい気持ちが、胸の内に幾らか流れていた。


「……ごめんね」と、奈々さんは申し訳なさそうに言った。


 僕の表情から心境を読み取った上の発言であると思うが、後ろめたさというのは、

一人で行かせることになった湊に、申し訳なさを感じていただけで、

元々、喧嘩すること自体は好きではないのだ。


「いや、謝らないでくださいよ。

行かなくて……よかったと思います。

大体、奈々さんを祭りに誘ったのに、喧嘩しに行く方が今は格好悪いっていうか――

もう、この話は……俺は、大丈夫ですから。

他の出店を見ましょうよ」


「うん……そうだね」


 そう、喧嘩しにいかない。

今までであれば、そのような決断には至らなかった。

隣に奈々さんがいてくれたからだ。

群衆の中にあって、心境の変化という一輪の花が咲いたのを誰も知らないし、誰にも聞こえない。

流れていく時に、たった一粒の砂が落ちるだけだ。


 僕達は、祭りの中をしばらく無言で歩いていた。

「あ、一弥君、あれ見てみたい」と、奈々さんが指差した先はアクセサリー屋だった。

夏らしい彩り豊かなアクセサリーが、一面に並べられている。

夏祭りであるから、スイカ、ヨーヨー、リンゴ飴、かき氷などを模したアクセサリーも見受けられる。


 アクセサリーを眺めている奈々さんの様子を横目で見ると、愛らしく感じる。

年上であって、しっかりとしている部分が多いのに、このように可愛さが前面に出ている時も、僕は好きだった。


「わーかわいい……これも、これも。

あ、一弥君、これ見て」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る