第五部 慕情の夏に 2
「おい! おめえら! 来い!」
急な軽い風圧と共に、咆哮するような声が僕達に放たれた。
声の主は、髪を真っ赤に染め上げた清照先輩だった。
急な展開に事態が飲み込めない僕達は、呆気にとられた。
奈々さんは、清照先輩のことすら知らないのだから、急な大声に驚いただろう。
常に冷静な湊が、汗粒を額から垂らしている清照先輩に問いかけた。
「どうかしました?
何かあったんすか? 清照先輩」
「豊田の奴らが、〇〇中の連中と揉めたらしくてよ!
大人数に連れて行かれたらしい!
だから、兵隊集めてんだよ!
場所は――国道沿いのファミレス駐車場の裏だ!」
豊田というのは、僕達と同級生である。
大柄な男で腕っ節が強いし、不良になる前は、柔道全国大会三位という経歴もある。
彼の素行不良とは、口より先に手が出るという言葉をしっかりと体現していて、暴れ出すと止められない難儀な男である。
彼であれば、数人程度は相手にできそうなものだが、それよりも多くの人数がいるということか。
清照先輩の焦りに対して、湊は至って冷静に、
「マジっすか……まあ、〇〇中の奴らとはよく揉めてますからね。
てか、清照先輩は、もう卒業したんすから、大丈夫です。
俺らの代のことは、俺らでケリつけますよ」
「あ!? おめえらだけじゃ不安だから、俺が行ってやるって言ってんだよ!
おめえらが敗けたら、俺らも舐められるからよ!
わかってんのか、てめえ!」
怒号する清照先輩に、湊は冷徹な目を向けた。
チョコバナナに刺す割り箸を、調理台に勢いよく叩きつけると、中間辺りから無惨に折損した。
「中学卒業した先輩に、いちいち
いつまでも、先輩風吹かすなよ」
湊の凄味に圧倒されたのか、予想外の発言で困惑しているのか、清照先輩は小さい体を小刻みに揺らして、
「な、何だよ……てめえ、ひ、人がせっかく」と、目を逸らしてボソボソ呟いている。
「いや……すんません。でも、俺らでケリつけるんで。
声掛けしてくれたのは、感謝しますよ。
だから、清照先輩は立会人でお願いしますよ」
清照先輩は、他にも声を掛けて人数を集めたのだろうから、引けない立場にあるだろう。
確かに、湊が提案した立会人という形であれば面目が保たれる。
彼の先輩という立場を壊さないように、僕も会話に混ざる。
「清照先輩、落ち着いてくださいよ。
湊が言うように、清照先輩は高みの見物してもらえたら、俺らでケリつけますから。
連絡してくれて、ありがとうございました」
「風間……ちっ、仕方ねえな。
ああ、わかったよ。
俺、まだ周りに仲間いねえか探すからよ。
じゃあな」
清照先輩は、額から溢れ出る汗をシャツの袖で拭って、汗ばんだ腕を駆使して人混みの中を掻き分けていった。
「よし、気合い入れて行くか、湊」
湊に声を掛けた瞬間、空中を揺らいでいた僕の右手を、奈々さんがしっかりと握ってきた。
振り返ると、彼女は少しばかり俯いていた。
「友達を……大切に思う気持ちはわかるけど、行かないで」
「奈々さん……いや、でも――引けないっていうか……」
奈々さんは、僕に真直な目を向けてきた。
「人を殴るのも、人に殴られるのも痛いよ……
それは、外傷だけじゃなくて心も痛くなるんだよ?
君は、わかっているでしょ?
だから、行かないで――」
奈々さんの目には、心の水分が滲んでいる。
それが、殴られるよりも、何よりも痛かった。
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