第五部 慕情の夏に
第五部 慕情の夏に 1
僕達は、再び夏祭りの中に飛び込んで、射的、輪投げ、ヨーヨー釣りに興じた。
店に居合わせた子供達と一緒になって戯れる、奈々さんの姿というのは、彼女の新しい一面を見れた気がする。
彼女は、戦車のように往来する山車を眺めながら、ピンク色のチョコレートがトッピングされたチュロスを食べている。
「本当にいらないの?」と、奈々さんはチュロスを向けてくるが、甘い物が得意ではないからと断った。
「甘い物は、全然駄目なの?」
「んー、そういうわけではないですけど……
でも、祭りに来たらチョコバナナは食べてますかね」
「チョコバナナ、良いね。行こうよ」
奈々さんに手を引かれて、群衆の中に【チョコバナナ】と鮮やかに書かれた屋台を見つけた。
店の前に立つと、知った顔がチョコバナナを作っている。
頭に巻いたタオルから長髪が垂れていて、およそ飲食店には不向きな風貌であるが、爽やかな笑顔で接客している。
細川湊だった。
「いらっしゃいませー、チョコバナナどうっすかー、チョコバナナ。
お兄さんも、お姉さんも、チョコバナナいかがで……
おーう、一弥」
「よう。湊――バイトしてんの?」
湊は、苦い表情を浮かべて頭を掻いた。
「違うよ。先輩が、女から連絡きたっていうから、しばらく店番を頼まれたんだよ。
無償で奉仕になるんだろうな……
大体、この前、俺が祭りに誘ったら断ってたのに、一弥来てるじゃん。
――あれ、その隣の女の人は?」
何と伝えるべきか。僕達の関係って何だろう。
アルバイトと客。いや、お金を払っていないから、成立しない。
ただの知り合い?
仲の良い友達?
「一弥君の彼女で、奈々っていいます」
「え……?」
「ああー、そうっすか。ちなみに俺は、細川っていいます」
「いや……ちが」
僕は、唾液と共にゆっくりと言葉を飲み込んだ。
奈々さんは、なぜ『彼女』と、言ったのだろう。
本当にそう思っているのか、冗談なのかわからなかった。
お互いに告白もしていないし、一般的に考えれば後者であるはずだ。
「なんだよ、一弥。こんな綺麗な彼女がいるなら紹介しろよな。
そっか。そっか。
それなら、これはお祝いってことで、無料でいいです」
湊は、二本のチョコバナナを手渡してきた。
「えー、いいんですか? でも、悪いですよ」
「いや、いいんですよ。どうせ、バイト代出ないだろうし。
その代わりに、こういうのは好きにやらせてもらいますよ」
「湊、バレたら先輩に締められるかもよ」
「ああ、先輩、計算得意じゃないから大丈夫だよ」
奈々さんは、チョコバナナを受け取ると、手に持っていた袋を差し出した。
「ありがとうございます。
無料っていうのも悪いから、これ差し上げます。
射的の景品、お菓子なんですけど」
先程の射的で取れた景品で、中々に量が入っている。
何やら古風なお菓子のように見受けられたが、お礼を言ってから、湊は受け取った。
「あの……こいつワルやってますけど、良いやつなんで、よろしくお願いします」
と、保護者のような顔をみせて、奈々さんに伝えていた。
結局、その場で、なぜ『彼女』という表現をしたのか聞けなかった。
それが、頭の中で右往左往していく内に、
ひどく自分が小さい人間のような気がして嫌になった。
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