第四部 喜色の夏に 5
夏祭りの日。
奈々さんを、家まで迎えに行く約束をしていた。
約束の時間は、十六時。
夕暮れに向かう夏日は、その勢いを残して、灼熱とはいかないまでも健在であることを僕に証明している。
奈々さんが半年前に引っ越してきた家は、海沿いの公園近くにあるアパートだった。
何棟かのアパートが建ち並んでいて、僕が目指すアパートというのは、遠くから見ても随分と古びているように見える。
事実、奈々さんが『築年数が三十年以上で、老朽化しているから、なんか怖いんだよね』と、言っていた。
海沿いであるから、築年数に加えて潮風が建物の劣化を早めているのだろう。
アパートの脇に自転車を停車させて、携帯電話で時刻を確認すると、約束の十五分前だった。
我ながら、こういう所は真面目な性格であると思う。
建物を眺めると、長年の傷みや潮風によるものであろうか、郵便受け、階段、窓格子、あちこちに錆が発生している。
ひっそりとしたアパートの階段から、カン、カン、カンと人が降りてくる音がする。
奈々さんだった。
「あっ、一弥君。
お待たせ。迎えに来てくれて、ありがとう」
「あっ……いえ」
目の前に現れた奈々さんは、普段と少しばかり違っていて、大人びた印象を受けた。
奈々さんと会うのは、いつも彼女の仕事帰りだったから、上は白シャツ、下はジーンズというのが主な出で立ちだった。
今日は、明るい青色のシャツワンピースを着ていて、白いキャスケットを被っている。
涼しげで夏らしい爽やかな印象を受ける。
髪も一つに束ねているのを今日は解いていて、黒髪が砂粒の摩擦のようにさらさらとしている。
本来は、その姿を見て褒めてあげるのが良いのだろうが、僕の人品が、そうはさせなかった。
綺麗ですとか、似合っていますとか伝えたかったが、照れてしまって言葉にできない。
奈々さんは、そんな思いを知る由もなく「はい、これ」と、僕にアルミホイルに包まれた平たい物を手渡してくれた。
それは、何やら温かくて、不思議に思いながらアルミホイルを指先で開いていくと、中にはコロッケが入っていた。
「今日、金曜日でしょ?
毎週、金曜日に試食してほしいって、お願いをしたけど、お店は休みだし。
一弥君に食べてもらえないなと思って、さっき作ったの。
よかったら、食べてみて」
「はい。じゃあ、いただきます」
僕がアルミホイルを剥いて、コロッケを一口噛むと、いつもは熱々のコロッケが幾らかの熱を奪われていた。
「元々、お店のお惣菜や食材の余りで作るっていうのが発想だったのに、家で作ったのを食べてもらうって、何だかおかしくなっちゃったね」
「いえ、そんなことはないですよ。
作ってくれて、ありがとうございます」
口に入れたコロッケは、モチモチとした食感と濃厚な旨味が口内に広がった。
「――餅とチーズが入ったコロッケですか?
食感が餅で柔らかくて、チーズのまろやかな味が広がって、美味しいですよ」
感想を言った直後に、ニ十メートル程先から一人の男性が歩いてくる。
夏に似つかわしくない上下真黒のスーツ姿で、黒いサングラスをしている。
黒髪のパーマをオールバックにしている男性が、首を捻りながら、どんどん近寄ってくる。
おおよそ一般人、堅気ではない雰囲気を醸し出している。
何かあれば、奈々さんを守る。
そう思ったと同時に、奈々さんは男の元に駆け寄って行ってしまった。
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