第四部 喜色の夏に 4

 一旦、家に帰宅してから黄昏時に出発する。

五十嵐弁当には、いつも通りの時間に到着した。

勘定台から中を覗くと、調理場に奈々さんの姿がある。

その姿は、やはり綺麗だった。


「――こんばんは」


「あっ! こんばんは。

ぴったりの時間だね。すぐにできるから、待っていてね」


 奈々さんは、試作のコロッケを持ってきてくれた。

今日は、どんなコロッケなのだろう。

一口食すと、揚げたての良い音がする。

口内を甘辛な味が満たして、スパイスの香りが鼻腔から抜けていく。


「今回は、カレーコロッケですね。

スパイシーで、甘辛な味付けで――

すごく美味しいです」


「よかった。余りのカレーを混ぜ込んで、他のスパイスや調味料で味を調整したから、

喜んでもらえたなら嬉しい」


 カレーコロッケは美味しく、あっと言う間に完食してしまった。

奈々さんは、僕が食べている間に店内の片付けをしていた。

前回の帰り際に、僕が来る金曜日には、奈々さんを送っていくという約束を交わしたから、彼女は片付けを優先しているようだ。


 二人は、自転車で曇りの夜に走り出す。

雲が緩やかな移動を見せて、月が時折、顔を覗かせてくる中。

前回のように緊張していては帰り道に話もできないから、

自転車を並列させて奈々さんに切り出した。


「あの……来週、夏祭り――あるじゃないですか」


「うん。私、知らなかったんだけど――

この間、お店のおばさんから聞いたよ」


 今まで、女性と約束をして、デートするというのは経験したことがない。

不安な思いが、濡れた布巾になって被さってくる。


「あの……予定とかありますか?

よかったら、一緒に――行きませんか?」


 点在する街路灯では、奈々さんの表情を中々に窺うことができない。

街路灯の下を通過した際の一瞬の間、

彼女の姿はカメラのシャッターに切られたように現れる。


「……私でいいの?」


「あっと……奈々さんと行きたいです――」


「本当に? 嬉しい。うん、一緒に行こう。

誘ってくれて、ありがとう」


 誘えてよかった。

ある種、夏祭りの話を出してくれた麻衣と萌音に、幾らかの感謝をした。

奈々さんは、自転車で湿った風を追い越し、そして、風を残していく中で再び話し始めた。


「その日、お店のおじさん、おばさんも町内会の関係で参加するみたいで、

お店が休業日なの。

私、お祭りって――小さい頃に、両親に連れられて行ったきりで、

ずっと行けてないんだ。だから、一弥君に誘ってもらえて嬉しいよ」


 この町の、夏に執り行われる祭祀は、風除けや厄除けが起源であると聞いている。

近隣や都会の方からも人々が訪れる、そこそこに有名な祭りである。

いつもは、友人達と行くのだけれど、今年の夏は奈々さんと行けることが嬉しい。

もちろん、友人達と馬鹿なことをしながら祭りの中を練り歩くのも楽しいが、奈々さんと歩く夏祭りは、

どのような景色が見れるのだろう。

どのような色彩をしているのだろう。

どのような世界に包まれるのだろう。


 奈々さんを送り届けた後、どこまでも続くような闇夜を走り抜けていたけれど、心の内は晴れ渡る青空が埋め尽くしていた。


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